研究者を探す
佐藤 征弥
徳島大学
2024年11月22日更新
- 職名
- 准教授
- 電話
- 088-656-7222
- 電子メール
- satoh.masaya@tokushima-u.ac.jp
- 学歴
- 1981/3: 新潟県立新発田高等学校卒業
1981/4: 東北大学理学部生物学科入学
1985/4: 東北大学大学院博士前期課程進学
1987/3: 東北大学大学院博士前期課程修了
1987/4: 東北大学大学院博士後期課程進学
1990/3: 東北大学大学院博士後期課程修了 - 学位
- 理学博士 (東北大学) (1990年3月)
- 職歴・経歴
- 1990/4: 筑波大学第2事務区文部技官
1992/1: 科学技術特別研究員
1995/1: COE非常勤研究員
1995/4: 徳島大学総合科学部講師
2000/4: 徳島大学総合科学部助教授
- 専門分野・研究分野
- 生物学 (Biology)
2024年11月22日更新
- 専門分野・研究分野
- 生物学 (Biology)
- 担当経験のある授業科目
- この良さをわかってほしい (共通教育)
グローバル社会文化論 (大学院)
フィールド環境生態学 (学部)
卒業研究 (学部)
基礎生物学実験D (共通教育)
基礎生物学実験N (共通教育)
植物保護学特論 (大学院)
植物学総論 (学部)
植物環境応答生理学 (学部)
植物病理学 (学部)
生物生産システム実習A (学部)
生物生産システム実習C (学部)
生物生産システム実習Ⅰ (学部)
生物生産システム実習Ⅱ (学部)
生物生産システム概論 (学部)
生物生産フィールド実習 (学部)
生物生産科学概論 (学部)
生物生産科学特別演習 (大学院)
生物生産科学特別研究 (大学院)
生物資源学研究 (大学院)
生物資源環境学 (学部)
生物資源産業学C (学部)
生物資源産業学実習 (学部)
生物資源産業学専門英語 (学部)
生産フィールド科学概論 (学部)
自然保護論 (共通教育)
英語論文講読 (学部)
英語論文講読Ⅰ (学部)
英語論文講読Ⅱ (学部)
農業科学総論Ⅰ (学部) - 指導経験
- 11人 (学士), 11人 (修士)
2024年11月22日更新
- 専門分野・研究分野
- 生物学 (Biology)
- 研究テーマ
- イチョウの伝来と伝播の解明, 植物プランクトンの解毒メカニズムの解明, イチゴ重要病害の遺伝子診断, 巨樹と人の関係史 (歴史 (history))
- 著書
- 佐藤 征弥 :
モラエスが内国勧業博覧会で展示したワイン,
徳島大学モラエス研究会, 2024年5月.- (要約)
- 1903(明治36)年に大阪で開催された第5回内国勧業博覧会において,神戸でポルトガル領事を務めていたモラエスは,ポルトガルに積極的に出品を呼びかけ,「葡国領事」の名義で3坪のスペースを得て,ポルトガルから取り寄せたワイン,コルク,缶詰を展示した. モラエスがどのように博覧会に関わったのかを調べ,さらに出品した会社が現在どうなっているのか紹介した.
- (キーワード)
- モラエス / 第5回内国勧業博覧会
とくしま木育ハンドブック,
徳島県木材協同組合連合会/株式会社あわわ, 徳島, 2023年3月.- (キーワード)
- 木育 / 巨樹
木の歴史,現在,未来が見える とくしま木育ハンドブック,
徳島県木材協同組合連合会/株式会社あわわ, 徳島, 2023年3月.- (要約)
- 「木の歴史」の中で,日本の巨樹や徳島の巨樹の歴史と人との関係史について解説した.「地球温暖化と森林」において,森林が炭素吸収源として地球温暖化の抑制に果たす役割について解説した.また「コラム」鳥総立と呼ばれる伐採した木の切り株にその木の梢を挿し,感謝の祈りを捧げる儀式において,日本人が自然の恵みへの感謝が表れていることを紹介した.
- (キーワード)
- 木育 / 巨樹 / 鳥総立
徳島大学総合科学部モラエス研究会,
徳島日本ポルトガル協会, 徳島, 2021年10月.- (要約)
- 徳島大学総合科学部モラエス研究会は,2010年7月31日に発足した.以降,現在(2020年3月時点)までの歩みを総括した.
- (キーワード)
- モラエス / 徳島大学総合科学部モラエス研究会 / 徳島日本ポルトガル協会
クリヤマさんとハヤシさん, --- モラエスと大阪砲兵工廠の栗山勝三と林錬作との友情について ---,
徳島大学総合科学部モラエス研究会, 2020年3月.- (要約)
- モラエスの著書``Traços do Extremo Oriente: Siam, China, Japão''の中に2度目の訪日の際に滞在した大阪でお世話になった日本人に感謝する文章があり,二人の日本人男性「栗山」と「ハヤシ」という実名がでてくる.「栗山」は,大阪砲兵工廠の栗山勝三という人物であることが知られていたが,ハヤシについては不明であった.本研究により栗山と同じく大阪砲兵工廠に当時勤務していた林錬作であることが判明した.また,大阪砲兵工廠の1893年(明治26)の記録にモラエスが日本を去るにあたり,大阪砲兵工廠に謝辞を伝えたことが記されており,その中で林錬作と栗山勝三の名前を出して「林少佐並ニ栗山大尉ヘモ滞在中本官ノ為メニ尽サレタル御墾切ノ謝辞」と,特別に感謝を述べていることも判明した.
- (キーワード)
- モラエス / 栗山勝三 / 林錬作 / 大阪砲兵工廠 / 極東遊記 / 極東素描
おヨネ,コハル,千代子の戒名について,
徳島大学総合科学部モラエス研究会, 2019年3月.- (要約)
- モラエスは著書の中で,たびたび戒名について記している.身近な存在であった三人の女性,福本ヨネ(おヨネ),齋藤コハル,コハルの妹の千代子の戒名は,モラエスが自己流に解釈した意味を紹介している.モラエスは仏教に大きな影響を受けたことを自身も認めているが,仏教に帰依したわけではなく,自分の宗教は自ら創り出した「追慕の宗教」であると宣言している.僧侶が考えた戒名は絶対的なものではなく,モラエスにとって戒名は,魂の救済の証として機能するだけはなく,新しい存在へと移行した死者の個性を定義して,自分にとって理想の存在として祀りあげるための手段であった.モラエスが考える死後の彼女らは,千代子は善を学び,コハルの漫画は彼女の命とともに見事な絵に昇華され,そして最愛のおヨネは,永遠にモラエスに話しかけてくれる宝の器となった.
- (キーワード)
- モラエス / 戒名
モラエスと宮沢賢治, --- 死後に評価された二人の誌上での出会い ---,
徳島大学総合科学部モラエス研究会, 2018年3月.- (要約)
- 1935(昭和10)年に刊行された雑誌『真理』7月号において,ヴェンセスラウ・デ・モラエスと宮沢賢治が取り上げられていることを見出した.雑誌が掲載された当時,モラエスは没後6年,宮沢賢治は没後2年経っていた.二人とも生前は無名であり,亡くなってから文名が高まった作家であるが,この雑誌は二人の文名が高まっていく過程をうかがい知る貴重な資料である.
- (キーワード)
- モラエス / 宮沢賢治 / 雑誌『真理』 / 會田慶佐
Flora Nipónica no Jardin Botânico de Lisboa, --- リスボン植物園にある日本由来の植物がモラエスの文章とともに展示・出版 ---,
徳島大学総合科学部モラエス研究会, 2018年3月.- (要約)
- リスボン植物園(Jardin Botânico de Lisboa)では,園内に植栽されている日本の植物について,植物の表示や園路を整備する事業が2018年3月に完成した.また,それを記念して編まれた ``Flora Nipónica no Jardin Botânico de Lisboa''という本が2017年11月にポルトガルのモラエス協会から発行された.この本は,それぞれの植物にモラエスの印象的な文章が添えられていることが大きな特徴である.筆者は,この企画に携わり,その内容について紹介した.
- (キーワード)
- Flora Nipónica no Jardin Botânico de Lisboa / モラエス / リスボン植物園
Flora Nipónica : no Jardin Botánico de Lisboa, --- um passeio com Wenceslau de Moraes ---,
Associação Wenceslau de Moraes, Nov. 2017.- (要約)
- リスボン植物園の中にある日本由来の植物を,モラエスの著作の文章とともに紹介した. ポルトガルのリスボン植物園には,日本由来の植物が庭園に60種,圃場に3種植栽されている.本書は,これらの植物について日本語の名称や解説を記し,晩年を徳島で過ごしたモラエスによる文章を付している.これらは,ポルトガル語と英語で並記され,植物名については,日本での呼称が,漢字,カタカナ,ローマ字で示している. 植物名については日本の呼称が漢字,カタカナ,ローマ字で示されており,日本人にとっても親しみ易く,またポルトガルはもちろん,諸外国の人々にも日本の植物への関心が高まるような内容となっている.
- (キーワード)
- モラエス協会 / モラエス / リスボン植物園
北海道と東北地方の巨樹イチョウの遺伝的特性の解析,
秋田文化出版株式会社, 2016年6月.- (要約)
- イチョウは13-14世紀に中国大陸から移入されたと考えられている.しかし,その伝来と伝播の詳細は不明な点が多い.我々はその道筋を明らかにするために全国のイチョウ古木のDNA解析を進め,ミトコンドリアDNAのnad2イントロンの塩基配列の変異から20以上のDNAタイプが存在し,それらが特徴的な地理的分布を示すことを明らかにしてきた.本研究では北海道と東北地方のイチョウ182個体についてDNA解析を行い,この地域のイチョウの歴史について明らかにすることを試みた. 東北地方では東日本1タイプ(Ej1)と呼ばれるDNAタイプのイチョウが最も多く,特に青森県ではその割合が高かった.このタイプのイチョウは幹周囲が大きいものが多く,東北地方に存在する幹周囲が10 mを超えるイチョウ26本全てがEj1タイプであった.これらの巨樹の樹齢は不明だが,江戸時代に植えられたと考えられる他タイプのイチョウよりはるかに大きいことから,それらが植えられた時期は江戸時代よりも遡ると考えられる.一方,北海道では巨樹イチョウが乏しく,最大でも幹周囲が6.5 mである.また,北海道のイチョウは多様なDNAタイプが見出された.北海道のイチョウは,開拓とともに広がっていったと考えられる.
- (キーワード)
- イチョウ / DNA分析 / DNAタイプ
青森県深浦町の北金ヶ沢と関に存在する巨樹イチョウと杉について,
秋田文化出版株式会社, 2016年6月.- (要約)
- 青森県深浦町北金ヶ沢には「垂乳根の銀杏」と呼ばれる日本一大きいとされるイチョウがある.また,このイチョウから1 kmほど離れた深浦町関にも立派なイチョウがあり,「関のイチョウ」あるいは「折曽のイチョウ」と呼ばれている.また,このイチョウから100 mほど離れた所に「甕杉」と呼ばれる古くから有名な杉の巨樹がある.さらにこの近くには,今はなくなってしまったが「阿弥陀杉」と呼ばれていた大きな杉がかつてはあった.本研究は,これら4本の巨樹について史料にどのように記されているか整理し,木の歴史や木と地域住民との関係性について分析した.これまでのところ江戸時代後期以降の史料しか現在のところ見つかっておらず,いつ頃誰が植えたということについて,言い伝えのように阿部比羅夫や安東氏や折曽関と結びつくような証拠は認められなかった.史料から見えてきたのは,江戸期には甕杉や阿弥陀杉の方がイチョウよりも重要視されていたことことである.しかし,垂乳根の銀杏が他に比類なき巨樹イチョウがあることが明らかになるにつれ,垂乳根の銀杏に対する関心や知名度が高まっていった.また,杉とイチョウの巨樹がペアになって存在していることは,ここに限らず,もっと広い地域(青森・秋田)にみられ,この地域の木の文化と繋がっている可能性がある.
- (キーワード)
- イチョウ / スギ / 北金ヶ沢のイチョウ / 折曽のイチョウ
重金属の除去,
株式会社エヌ·ティー·エス, 東京, 2012年7月.- (要約)
- 藻類を用いた環境浄化において,水環境からの重金属の除去について解説した.内容は,(1)重金属処理に適した種のスクリーニングについて,(2)重金属と結合する生体物質についてグルタチオン,メタロチオネイン,アルギン酸や寒天などの粘性多糖類,細胞表面の官能基などを構造と特徴,(3)環境浄化への応用として処理池での浄化やバッチ方法での浄化などの事例を紹介した.
- (キーワード)
- 重金属 (heavy metals) / 藻類 / バイオレメディエーション
顕微蛍光定量法による細胞内微量DNAの定量,
株式会社 廣川書店, 東京, 2004年4月.- (要約)
- 蛍光色素で細胞のDNAを染色し,蛍光顕微鏡およびCCDカメラと画像解析装置を用いてDNA量を測定する方法について解説した.
- 論文
- 佐藤 征弥, 高須賀 友里, 松浦 大樹, 高木 佳美, 富塚 昌輝, 依岡 隆児, 宮崎 隆義 :
蜂須賀茂韶の海外での功績,
徳島大学地域科学研究, Vol.10, 1-24, 2020年.- (要約)
- 蜂須賀茂韶(はちすかもちあき)は,藩政期の終わりに徳島藩の最後の藩主となり,明治維新後は外交官,実業家,政治家として活躍した人物であるが,彼のイギリス遊学時代や外交官使時代の活動については,これまで情報が乏しかった.本研究はヨーロッパの図書館のデジタルアーカイブを利用して彼に関する情報を調べ,多数の資料を発見した.茂韶はオックスフォード大学を卒業してからもしばらくイギリスに滞在し,ヴィクトリア女王や皇太子に拝謁したり,軍艦「金剛」「扶桑」「比叡」の進水式に出席したりと公的な行事に現れるようになった.パリでの公使在任中の活動については多くの資料が見つかり,多彩な活動内容が明らかになった.条約関連では,ジュネーブ条約,日仏間郵便為替条約,メートル条約に署名した.この中ではジュネーブ条約署名がよく知られているが,メートル条約も日本の社会や産業に及ぼした影響は計り知れないものがある.国際度量衡委員会の活動報告書CIPM 1885(111)から,茂韶が国際度量衡委員会や日本政府と何度もやりとりを重ねて条約加盟にこぎつけたことが明らかになった. また,デジタルアーカイブには古新聞が多く含まれているため社交界の情報も多く,茂韶夫妻が多数の催しに出席したことが分かった.夫妻は主催することにも熱心で,ベルギーのブリュッセルで開いた舞踏会や,パリでの晩餐会やコンサートや観劇は評判になった.
- (キーワード)
- 蜂須賀茂韶 / 蜂須賀随子 / メートル条約 / 扶桑 / 比叡 / 金剛 / 喜賓会 / 三宮義胤
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 115414
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050004953596683520
(徳島大学機関リポジトリ: 115414, CiNii: 1050004953596683520) 佐藤 征弥, 高木 佳美, 石川 榮作, 宮崎 隆義 :
ヴェンセスラウ・デ・モラエスの日本語会話能力, --- 会話能力の検証および会話内容からみえる人物像について ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.8, 8-26, 2018年.- (要約)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエスは,1897年以来,日本に30年以上日本に住んでいたにもかかわらず,日本語の話す能力は良くなかったと言われている.本研究では,直接会話をした人々の記憶に基づいて,彼の日本語の話す能力を調査した.肯定や否定の言葉を除いて,彼の発話で最も頻繁に現れた言葉は「かわいそう」「気の毒」であった.ポルトガル語ではpiedadeが対応する言葉であり,彼の著作の中でも頻繁に現れ,彼を理解する上で重要なキーワードである.また 「カワイイ/カワイらしい」や「しんせつ」なども,会話によく使われた.日本語の文法に関しては,モラエスは助詞や動詞の活用形を習得していなかった.モラエスの日本語が上達しなかったのは,彼が徳島で知的な人々との付き合いを避けたためであろう.その一方で,彼はよく挨拶し,彼の近所の人たちと贈り物をしばしば交換していた.彼は日本人が心地よい隣人であることを自分の作品の中で述べており,彼もまた良い隣人であろうと努めた.彼の生活において知的で複雑な会話は必要なかったのである.
- (キーワード)
- モラエス / ピエール・ロチ / 日本語能力 / 日本語発話能力 / 可哀想
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 112466
(徳島大学機関リポジトリ: 112466) Nozomu Iwabuchi, Ai Endo, Norikazu Kameyama, Masaya Satoh, Akio Miyazaki, Hiroaki Koinuma, Yugo Kitazawa, Kensaku Maejima, Yasuyuki Yamaji, Kenro Oshima and Shigetou Namba :
First report of `Candidatus Phytoplasma malaysianum' associated with Elaeocarpus yellows of Elaeocarpus zollingeri,
Journal of General Plant Pathology, Vol.84, No.2, 160-164, 2018.- (要約)
- ``Elaeocarpus yellows'' (ELY) is a widely reported phytoplasma disease of Elaeocarpus zollingeri trees in Japan. The phytoplasma associated with ELY (ELY phytoplasma) had not been identified at the species level because its 16S rRNA sequence had yet to be reported. Here, we report the results of a sequence analysis based on 16S rRNA and secA gene sequences, which showed that the ELY phytoplasma is related to `Candidatus Phytoplasma malaysianum'. To our knowledge, this is the first report showing the occurrence of `Ca. P. malaysianum' outside Malaysia and the infection of E. zollingeri by the phytoplasma.
- (キーワード)
- Phytoplasma / Elaeocarpus yellows / Elaeocarpus zollingeri / `Candidatus Phytoplasma malaysianum'
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1007/s10327-017-0761-4
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● Summary page in Scopus @ Elsevier: 2-s2.0-85039847977
(DOI: 10.1007/s10327-017-0761-4, Elsevier: Scopus) Masaya Satoh, Daisuke Mita, Ryohei Takai, Yuusuke Imada, Ryuji Anzai, Ryutaro Tanaka, Eri Shimogomi, Ayami Oda, Hajime Nonoichi, Risa Kamae, Shota Okumura, Miyu Hirase, Chihiro Itonaga, Shinzaburo Sano, Hiroaki Nakagawa, Hiro Okada and Mayu Yamagata :
Present situation of Elaeocarpus zolloingeri tree planted in Mt. Shiroyama in 2006, --- survival and infection status of Elaeocarpus yellows ---,
Regional Science Research, the University of Tokushima, Vol.6, 11-17, 2016.- (要約)
- 2006年(平成18)6月25日にNPO「徳島城址を愛する会」の主催により城山山麓に植えられた300本のホルトノキの苗木の調査を行った.調査の結果,これらのうち40本の苗木の生存が確認された(13.3%).エリア別にみると,南側山麓に比較的多く残っていた.また,植樹記録のない苗木も2本見つかった.これらがホルトノキ萎黄病の原因菌ファイトプラズマに感染しているかどうかをnested PCRにより確認した結果,3本がファイトプラズマに感染していることが明らかになった.
- (キーワード)
- ホルトノキ / ホルトノキ萎黄病 / ファイトプラズマ / 徳島市 (Tokushima city) / 城山
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 110014
(徳島大学機関リポジトリ: 110014) 佐藤 征弥, 種ヶ嶋 絵理, 網田 克明, 川上 三郎 :
板東俘虜収容所のドイツ兵が大麻比古神社境内に造った橋と公園,
徳島大学地域科学研究, Vol.5, 10-32, 2015年.- (要約)
- 鳴門市大麻町板東にある大麻比古神社の本殿裏の林内に「ドイツ橋(独逸橋)」,「めがね橋」と呼ばれる2つの石橋がある.これらは板東俘虜収容所に収容されていたドイツ兵が1917年から1919年にかけて橋造り・公園造りの一環として築いたものである.本研究はドイツ兵が造った公園がどのようなものだったのか具体的に明らかにすることを目的として行なった.ドイツ兵が残した記録や写真,地元の古老への聞きとり,大麻比古神社の古境内図等を基に,ドイツ兵が何をどこに造ったのか推測・推定した.そして,2つの石橋の他に,石段と道にドイツ兵が築いた名残を留めていることが分かった.また,調査の過程で,これらを設計し作業を指揮したドイッチュマン築城少尉の他にマックス・ブンゲ曹長が関わっていることが分かった.彼は,青島ドイツ人社会において英雄と称えられた人物であり,収容所から解放された後,帰国して故郷の町ハイリゲンハーフェンで町長を12年務めた.彼については今日まで板東俘虜収容所を題材にした一連の調査や作品群において注目されることがなかったが,このように傑出した人物であり,橋や公園の保存・管理にあたり彼の存在についても記憶に留めるべきであると考える.
- (キーワード)
- アドルフ・ドイッチュマン / 板東俘虜収容所 / ドイツ橋 / ディ・バラッケ / 大麻比古神社
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 109548
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050564287418379136
(徳島大学機関リポジトリ: 109548, CiNii: 1050564287418379136) 佐藤 征弥, 高橋 英誠, 近森 美保, 谷 由里恵, 安達 直之 :
徳島市城山のホルトノキの衰弱・枯死の原因について — ホルトノキ萎黄病を引き起こすファイトプラズマの深刻な感染状況 —,
Natural Science Research, Vol.28, No.4, 21-25, 2014年.- (要約)
- 徳島市の「城山原生林」のホルトノキ群落は1980年代以降,急速に衰弱・枯死が進み,200本以上あった大径木が11本しか残っていない.その原因が全国的なホルトノキの枯死を引き起こしているホルトノキ萎黄病かどうかを検証した.その結果,分析した城山のホルトノキすべてにホルトノキ萎黄病の原因細菌であるphytoplasmaが検出され,ホルトノキ萎黄病の被害が深刻であることが明らかになった.
- (キーワード)
- Elaeocarpus sylvestris var. ellipticus / ホルトノキ萎黄病 / 城山 / ファイトプラズマ / 徳島 (Tokushima)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 106380
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050845762395053056
(徳島大学機関リポジトリ: 106380, CiNii: 1050845762395053056) Yukari Miura, Xiaohui Chen, Saki Yamada, Aya Sugihara, Molomjamts Enkhjargal, Yuanzhi Sun, Keiko Kuroda, Masaya Satoh and Yasuo Oyama :
Triclocarban-induced change in intracellular Ca2+ level in rat thymocytes: Cytometric analysis with Fluo-3 under Zn2+-free conditions,
Environmental Toxicology and Pharmacology, Vol.37, No.2, 563-570, 2014.- (要約)
- Triclocarban (TCC) is an antimicrobial used in personal hygiene products. Recent health concerns arose after TCC was detected in the blood of human subjects who showered with soap containing TCC. In this study, the effect of TCC on intracellular Ca2+ concentration in rat thymocytes was examined using Fluo-3, an indicator of intracellular Ca2+. TCC at concentrations ranging from 0.1 µM to 3 µM increased intracellular Ca2+ concentration biphasically: first by releasing Ca2+ from intracellular Ca2+ stores and then inducing Ca2+ influx through store-operated Ca2+ channels. The threshold TCC concentration to increase intracellular Ca2+ concentration in this study was lower than the maximum TCC concentrations reported in human blood samples. Therefore, we anticipate that TCC at concentrations reported in human blood samples might disturb intracellular Ca2+ signaling in human lymphocytes.
- (キーワード)
- Aniline Compounds / Animals / Anti-Infective Agents, Local / Calcium / Carbanilides / Cells, Cultured / Fluorescent Dyes / Male / Rats / Thymocytes / Water Pollutants, Chemical / Xanthenes / Zinc
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1016/j.etap.2014.01.013
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 24562054
- ● Summary page in Scopus @ Elsevier: 2-s2.0-84896714873
(DOI: 10.1016/j.etap.2014.01.013, PubMed: 24562054, Elsevier: Scopus) Abdul Hameed, Masaya Satoh, Yuka Furuhashi, Yasuo Oyama and Shahida Hasnain :
Induction of non protein thiols by chromium in cyanobacteria isolated from polluted areas,
African Journal of Microbiology Research, Vol.7, No.40, 4806-4811, 2013.- (要約)
- Two cyanobacterial strains Synechocystis ``AHZ-HB-MK'' and ``AHZ-HB-P2A'' were isolated from tannery effluent form Lahore, Pakistan and their tolerance against K2CrO4 was examined. Although growth was completely inhibited at 10 μg mL-1 in AHZ-HB-P2A strain, cell growth of AHZ-HB-MK strain was observed even at a concentration of 100 μg mL-1. To show reasons for different tolerance between the two strains, we compared changes in nonprotein thiols, glutathione (GSH and GSSG), cysteine and cystine, after K2CrO4 treatment in both strains. After K2CrO4 treatment GSH completely disappeared in both strains, suggesting that GSH was involved in detoxification. GSSG content in former strain remarkably increased almost three and six times after 7-days treatment with 10 and 100 μg mL-1 K2CrO4, respectively while it decreased in the later strain. Cysteine content in the former strain increased almost three and eleven times after 1 day and 7 days treatment with 100 μg m L-1 K2CrO4, respectively, such increase in cysteine content was not observed in later strain. These data revealed that former strain could induce glutathione and cysteine but later strain could not. The difference in the ability to induce the nonprotein thiols between two strains must be responsible for differential tolerance in K2CrO4 observed in the growth inhibition.
- (キーワード)
- chromium / cysteine / cyanobacteria / glutathione / Synechocystis
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.5897/AJMR2013.5968
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.5897/AJMR2013.5968
(DOI: 10.5897/AJMR2013.5968) Yuanzhi Sun, Molomjamts Enkhjargal, Aya Sugihara, Saki Yamada, Xiaohui Chen, Yukari Miura, Eri Fukunaga, Masaya Satoh and Yasuo Oyama :
Effect of triclocarban on membrane potential of rat thymocytes: Assessment with bis-(1,3-dibutylbarbituric acid)trimethine oxonol,
Natural Science Research, Vol.27, No.4, 51-57, 2013.- (要約)
- The effect of triclocarban (TCC), an environmental pollutant from household items and health care products, on membrane potential of rat thymocytes was examined by a flow cytometry with a fluorescent probe sensitive to membrane potential, bis-(1,3-dibutylbarbituric acid)trimethine oxonol, because TCC changes intracellular ionic circumstance that may affect the membrane potential. TCC at 0.3 µM or more (up to 3 µM) depolarized the membranes. This TCC-induced phenomenon was against our prediction because TCC increases intracellular Ca2+ concentration that activates Ca2+-dependent K+ channels, resulting in a hyperpolarization. The depolarization was still observed under Ca2+-free condition, but not under Na+-free condition. Furthermore, TCC hyperpolarized the membranes under Ca2+- and Na+-free condition. To see if TCC inhibits Ca2+-dependent hyperpolarization, the effect of A23187, a calcium ionophore, on the membrane potential was examined in the cells treated with TCC. A23187 induced large depolarization in the cells treated with 0.3 3 µM TCC. The A23187-induced depolarization in the presence of TCC was greatly attenuated under Na+-free or Ca2+-free condition whereas A23187 elicited hyperpolarization in the cells treated with 0.3 3 µM TCC under Ca2+- and Na+-free condition. Results suggest that 0.3 3 µM TCC increases membrane permeability of Na+ and Ca2+, resulting in the depolarization. Large depolarization induced by TCC in the presence of external Ca2+ and Na+ may mask the hyperpolarization elicited via the increase in intracellular Ca2+ concentration by TCC. Thus, there is a possibility that TCC depolarizes membranes of lymphocytes, resulting in alteration of cellular functions of lymphocytes.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 105960
(徳島大学機関リポジトリ: 105960) Tsolmon Chimeddorj, Tomoko Suzuki, Kazuhiro Murakane, Miyuki Inai, Masaya Satoh and Yasuo Oyama :
Synergistic increase in cell lethality by dieldrin and H2O2 in rat thymocytes: Effect of dieldrin on the cells exposed to oxidative stress,
Chemosphere, Vol.93, No.2, 353-358, 2013.- (要約)
- Dieldrin, one of persistent pesticides, is highly resistant to biotic and abiotic degradation. It is accumulated in organisms. Recent studies suggest that dieldrin exerts a potent cytotoxic action on cells exposed to oxidative stress. In this study, the effect of dieldrin on rat thymocytes exposed to hydrogen peroxide (H2O2)-induced oxidative stress was examined. Dieldrin at 5 µM and H2O2 at 300 µM slightly increased cell lethality from a control value of 5.4 ± 0.5% (mean ± standard deviation of four experiments) to 7.8 ± 1.3% and 9.0 ± 0.3%, respectively. Simultaneous application of dieldrin and H2O2 significantly increased cell lethality to 46.2 ± 1.8%. The synergistic increase in cell lethality was dependent on dieldrin concentration (0.3 5 µM) but not on H2O2 concentration (30 300 µM). Dieldrin accelerated H2O2-induced cell death, which was estimated with the help of annexin V-FITC and propidium iodide. Presence of either dieldrin or H2O2 decreased the cellular content of nonprotein thiol and increased intracellular Zn2+ concentration. The combination of dieldrin and H2O2 further pronounced these effects. TPEN, a chelator of intracellular Zn2+, significantly attenuated the synergistic increase in cell lethality induced by dieldrin and H2O2. It is, therefore, suggested that dieldrin augments the cytotoxicity of H2O2 in a Zn2+-dependent manner.
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1016/j.chemosphere.2013.04.092
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 23726008
- ● Summary page in Scopus @ Elsevier: 2-s2.0-84882870047
(DOI: 10.1016/j.chemosphere.2013.04.092, PubMed: 23726008, Elsevier: Scopus) Yasuhiro Kanbara, Kazuhiro Murakane, Yumiko Nishimura, Masaya Satoh and Yasuo Oyama :
Nanomolar concentration of triclocarban increases the vulnerability of rat thymocytes to oxidative stress,
The Journal of Toxicological Sciences, Vol.38, No.1, 49-55, 2013.- (要約)
- It was recently reported that triclocarban was absorbed significantly from soap used during showering in human subjects and that its Cmax in their whole blood ranged from 23 nM to 530 nM. We revealed that a nanomolar concentration (300 nM) of triclocarban potentiated the cytotoxicity of 300 µM H2O2 in rat thymocytes by using cytometric techniques with appropriate fluorescent probes. Although 300 nM triclocarban did not itself increase the population of dead cells (cell lethality), it facilitated the process of cell death induced by H2O2, resulting in a further increase in the population of dead cells. Nanomolar concentrations (300 nM or higher) of triclocarban significantly decreased the cellular content of nonprotein thiol (glutathione), which has a protective role against oxidative stress. Triclocarban at 300 nM or higher increased the cell vulnerability to oxidative stress. The results may suggest that nanomolar concentration (300 nM or higher) of triclocarban affects some cellular functions although there is no evidence for adverse effects of triclocarban in humans at present.
- (キーワード)
- 環境汚染物質 (Environmental pollutants) / 細胞毒性 (cytotoxicity) / トリクロカルバン
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.2131/jts.38.49
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● Summary page in Scopus @ Elsevier: 2-s2.0-84873173652
(DOI: 10.2131/jts.38.49, Elsevier: Scopus) 佐藤 征弥, 安田 侑右, 的場 一将, 前髙 明典, 包 斯琴高娃, 平島 佑香, 中島 明日香, 坂田 真宏, 黒地 潤, 韓 哲浩, 遠藤 陽介, 境 泉洋, 宮崎 隆義 :
徳島公園(徳島中央公園)の造園設計について, --- 日比谷公園及びザイファースドルフ城との比較 ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.2, 42-54, 2012年.- (要約)
- 徳島中央公園は明治39年(1906)に旧徳島藩主の居城跡に「徳島公園」として開設された我が国で二番目の西洋風近代公園であり,市の中心部に位置する総合公園として多くの人々に利用され親しまれてきた.徳島公園について設計の詳細に踏込んだ研究はこれまで行われてこなかったが,それは設立前後の公園の設計図や図面が残っていないことによる.演者らは明治38年(1905)の新聞紙上に徳島公園の設計図やその解説が掲載されていることを見いだし,それに基づいて徳島公園設計の意図や理念を探った. 徳島公園の設計を担当したのは,我が国初の西洋風近代公園として作られた日比谷公園の設計を担当した本多静六と弟子の本郷高徳である.徳島公園と日比谷公園の設計図の調査から,日本における初期の西洋風近代公園の特質を浮き彫りにした. また,本多は日比谷公園の設計にあたり,造園家マックス・ベルトラムによるドイツの公園の設計図集『造園設計図案』(Gärtnerisches Planzeichnen)を取り入れている.そこで,徳島公園の設計に際してもこれを参考にしている可能性があると考え,調査した結果,XXXII番の``Die Parkanlagen des Herrn Graf Brühl zu Seifersdorf bei Radeberg''と題された図が徳島公園と類似していることが分かった.この図はドイツのザクセン州ラーデベルク近くのザイファースドルフ(Seifersdorf)にある13世紀に作られたBrühl 伯爵の城である. また,林学者であった本多は,城山について「天然林として甚貴重すべきもの」とその価値を認め,「林木の伐採は道路の開鑿及び眺望を得るための他は之を避け」と述べているように,本丸跡の招魂碑と東二の丸跡の喫茶店の他に建築物は設けなかった.さらに彼は「徳島公園は公園としての資質を備ふる点に於て蓋し日本の各公園中第一位」と述べ,その理由を三つ挙げているが,いずれも城山に関係したものである.
- (キーワード)
- 徳島公園 / 徳島中央公園 / 日比谷公園 / 造園設計 / 本多静六 / 造園設計図案 / ザイファースドルフ城 / マックス・ベルトラム
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 105940
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050001337464853632
(徳島大学機関リポジトリ: 105940, CiNii: 1050001337464853632) 佐藤 征弥, 池幡 佳織, 浮田 健太郎, 王 艶, 大粟 美菜, 駕田 啓一郎, 加藤 潤, 木下 悠亮, 杉本 多余, 高橋 将央, 田嶋 孝裕, 原田 克哉, 福本 孝博, 藤永 真大, 藤本 彩, 光永 雅子, 渡邊 ゆいか, 境 泉洋, 宮崎 隆義 :
『阿波名所図会』における眉山の自然と景観,
徳島大学地域科学研究, Vol.1, No.0, 15-27, 2012年.- (要約)
- 『阿波名所図会』は,江戸時代後期に庶民の間で旅行ブームが興った時期に作られた阿波の名所を紹介したガイドブックである.同書巻頭の附言に「文化辛未之歳中冬」とあることから,文化8年(1811)に作成されたことが分かり,今年はちょうど200年目にあたる.本研究は『阿波名所図会』において眉山の景観や自然がどのように描かれているか分析するとともに,それ以降現在までの変化についても他の資料を基に調査した. 『阿波名所図会』において眉山が描かれた挿絵には,山中の樹木が4種類に描き分けられている.最も目立つのは,山中に生い茂っている松である.次に,松とは異なる針葉樹が多数描かれているが,これと同じ樹は同書にしばしば登場し,挿絵「舎心山太龍寺」では山中にこの樹が優占している.太龍寺の境内は現在,杉や檜の古木で覆われており,『阿波名所図会』においても杉または檜を描いていると考えられる.江戸時代に作成された別の史料『四国偏礼霊場記』や『四国遍札名所図会』との比較からも杉・檜であることが支持される.他の2種類の樹木は広葉樹であり,形態的特徴から樹種を特定することは難しいが,他の挿絵や別の史料との比較からそのうちの一つは桜であると考えられる. このような眉山の植生景観は明治期に一変する.大正5年(1916)版の『阿波名勝案内』には,明治維新後に眉山の樹木が伐採されて禿げ山となったことが記されている.その後,大正期から太平洋戦争前の間に作られた古絵葉書「徳島・新町橋」を見ると,再び眉山は木々で覆われている.樹種は判然としないが,広葉樹が主であり,松や杉・檜は目立たたない.また,同時期の別の古絵葉書「新町橋と眉山」では,山腹に白く桜並木が,筋状に延びているのが分かる. 平成16年の『徳島県環境基本計画(資料編)』には現在の眉山は,山地のアカマツ林はほとんど枯れてコナラ林に変わったと記されている.明治維新後の伐採で大きく数を減らした眉山の松は,マツ枯れによりさらにその数を減らしたのである.同資料は眉山の自然植生を,ヤブツバキ域にまとめられる照葉樹林「シイ - タブ林」に含まれる「ミミズバイ - スダジイ群集」に分類している.かつて眉山に広がっていた松林は,人間の影響下で自然植生の代償植生として成立していたものである. このように眉山の植生は,人為的影響やマツ枯れにより時代によって大きく変化してきた.現在は保安林,風致地区,鳥獣保護区に指定され,将来に残すべく保護対策がとられている.
- (キーワード)
- 阿波名所図会 / 景観 / 眉山 / 植生景観 / 徳島 (Tokushima)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 105900
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050564287418271360
(徳島大学機関リポジトリ: 105900, CiNii: 1050564287418271360) 佐藤 征弥, 阿部 梨沙, 乃村 亜由美, 姜 憲, 瀬田 勝哉 :
日本と朝鮮半島の巨樹 – 樹種および巨樹にまつわる伝承の比較,
植生史研究, Vol.21, No.1, 3-19, 2012年.- (要約)
- 明治時代末の天然記念物保護の機運の高まり受け,大正2年(1913)に刊行された『大日本老樹名木誌』は,各地の著名な樹1500本について,所在地,地上五尺の幹周囲,樹高,樹齢,伝説が記されており,日本の巨樹研究において極めて重要な資料である.また,その6年後の大正8年(1919)には朝鮮総督府から『朝鮮巨樹老樹名木誌』が刊行され,朝鮮半島の3168 本の樹について同様のデータが記されている.本研究は,この二つの資料を基に,記載されている樹種や樹の所有者(所在地),伝承を整理し比較した.樹種でいえば,掲載本数の多い順に『大日本老樹名木誌』ではマツ,スギ,クスノキ,ケヤキ,サクラ,イチョウと続き,『朝鮮巨樹老樹名木誌』ではケヤキ,エノキ・ムクエノキ,イチョウ,チョウセンアカマツ(アカマツのこと),ヤチダモ,エンジュと続く.樹の所有は日本では,神社や寺院に植えられている割合が高い.一方,朝鮮半島では公有地,地域共同体である「里」や「洞」が圧倒的に多い.これは,地域で樹を祭る習慣があるためである.樹にまつわる伝承をその内容に基づいて分類した結果,樹種による違いが明確に表れた.それぞれの樹種が有する形態的,生理的特徴に起因すると考えられるものも多い.また,日本と朝鮮半島を比較すると,共通点もみられるが,むしろ異なる部分が目立ち,歴史,宗教,文化の違いが反映されている.
- (キーワード)
- 巨樹 / 伝承
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.34596/hisbot.21.1_3
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1390850323950016896
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.34596/hisbot.21.1_3
(DOI: 10.34596/hisbot.21.1_3, CiNii: 1390850323950016896) Ikumi Tamura, Yasuhiro Kanbara, Minoru Saito, Kanna Horimono, Masaya Satoh, Hiroshi Yamamoto and Yasuo Oyama :
Triclosan, an antibacterial agent, increases intracellular Zn2+ concentration in rat thymocytes: Its relation to oxidative stress,
Chemosphere, Vol.86, No.1, 70-75, 2012.- (要約)
- Triclosan is used as an antibacterial agent in household items and personal care products. Since this compound is found in maternal milk of humans and bodies of wild animals, there is growing concern among some consumer groups and scientific community that triclosan is adverse for humans and wild animals. In order to estimate adverse actions of triclosan, the effects of triclosan on intracellular Zn2+ concentration and cellular thiol content were studied in rat thymocytes by the use of flow cytometer with appropriate fluorescent probes. Triclosan at 1-3 µM (sublethal concentrations) increased the intensity of FluoZin-3 fluorescence (intracellular Zn2+ concentration) and decreased the intensity of 5-chloromethylfluorescein (5-CMF) fluorescence (cellular thiol content). Negative correlation (r = -0.985) between triclosan-induced changes in FluoZin-3 and 5-CMF fluorescences was found. Removal of external Zn2+ did not significantly affect the triclosan-induced augmentation of FluoZin-3 fluorescence, suggesting an intracellular Zn2+ release by triclosan. These actions of triclosan were similar to those of H2O2 and triclosan significantly potentiated the cytotoxicity of H2O2. Therefore, the results may suggest that triclosan at sublethal concentrations induces oxidative stress that decreases cellular thiol content, resulting in an increase in intracellular Zn2+ concentration by Zn2+ release from intracellular store(s). Since recent studies show many physiological roles of intracellular Zn2+ in cellular functions, the triclosan-induced disturbance of cellular Zn2+ homeostasis may induce adverse actions on the cells.
- (キーワード)
- Animals / Environmental Pollutants / Flow Cytometry / Fluoresceins / Fluorescent Dyes / Homeostasis / Oxidative Stress / Polycyclic Compounds / Propidium / Rats / Sulfhydryl Compounds / Thymocytes / Triclosan / Zinc
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1016/j.chemosphere.2011.09.009
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 22000841
- ● Search Scopus @ Elsevier (PMID): 22000841
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1016/j.chemosphere.2011.09.009
(DOI: 10.1016/j.chemosphere.2011.09.009, PubMed: 22000841) Ikumi Tamura, Minoru Saito, Yumiko Nishimura, Masaya Satoh, Hiroshi Yamamoto and Yasuo Oyama :
Elevation of intracellular Ca2+ level by triclosan in rat thymic lymphocytes: Increase in membrane Ca2+ permeability and induction of intracellular Ca2+ release,
Journal of Health Science, Vol.57, No.6, 540-546, 2011.- (要約)
- Triclosan is an antibacterial agent used in household items and personal care products. Because wild animals and humans can harbor this compound in their systems, the toxic effects of triclosan are a possibility and are suspected. Therefore, we examined the effects of triclosan on intracellular Ca2+ concentration in rat thymocytes by cytometric techniques using fluorescent probes. Triclosan doses of 1 10 µM significantly increased the intensity of Ca2+-detecting Fluo-3 fluorescence, indicating an increase in intracellular Ca2+ concentrations. The augmentation of Fluo-3 fluorescence became more profound in a dose-dependent manner after the addition of an external source of Ca2+. Conversely, the removal of external Ca2+ greatly attenuated the triclosan-induced augmentation of Fluo-3 fluorescence. These results suggest that triclosan treatment allows external Ca2+ to pass through cell membranes. This phenomenon was not specific for Ca2+ because external Mn2+ quenched the triclosan-induced augmentation of Fluo-3 fluorescence, indicating that triclosan can also mediate Mn2+ permeation across membranes. Therefore, these results suggest that triclosan increases membrane permeability to divalent metal cations. Furthermore, triclosan induces Ca2+ release from intracellular stores because the Fluo-3 fluorescence intensity still increased slightly after triclosan treatment, even under conditions free from external Ca2+. Additionally, triclosan did not increase the intensity of Fluo-3 fluorescence when Ca2+ was depleted from intracellular Ca2+ stores by A23187 under the external Ca2+-free condition. Taken together, these data suggest that micromolar concentrations of triclosan affect intracellular Ca2+ homeostasis in thymocytes, possibly resulting in cellular malfunction.
- (キーワード)
- triclosan / Ca / Fluo-3 / thymocyte
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1248/jhs.57.540
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1390001204498777600
- ● Summary page in Scopus @ Elsevier: 2-s2.0-82855178905
(DOI: 10.1248/jhs.57.540, CiNii: 1390001204498777600, Elsevier: Scopus) Takuya Kawanai, Masahiro Fujinaga, Kazuki Koizumi, Isao Kurotani, Erika Hashimoto, Masaya Satoh, Shoji Imai, Norikazu Miyoshi and Yasuo Oyama :
Some characteristics of membrane Cd2+ transport in rat thymocytes: An analysis using Fluo-3,
Biometals, Vol.24, No.5, 903-914, 2011.- (要約)
- Although cadmium-induced apoptosis of lymphocytes is one of common features in the immunotoxicity of cadmium, the membrane pathway for intracellular cadmium accumulation is not fully elucidated. To characterize membrane Cd2+ transport of rat thymocytes, the change in intracellular Cd2+ concentration under various conditions was examined by the use of Fluo-3, a fluorescent probe for monitoring the change in intracellular concentration of divalent metal cations. The membrane Cd2+ transport was estimated by the augmentation of Fluo-3 fluorescence induced by bath application of CdCl2. Lowering temperature strongly suppressed the augmentation of Fluo-3 fluorescence by CdCl2, suggesting that the metabolic process can be involved in membrane Cd2+ transport. External acidification (decreasing pH) and membrane depolarization by adding KCl attenuated the augmentation, indicating the requirement of electrochemical driving force for membrane Cd2+ transport into the cells. Bath application of CaCl2 and ZnCl2 equally decreased the augmentation, suggesting their competition with Cd2+ at the membrane transport. The augmentation by CdCl2 was lesser in the cells treated with N-ethylmaleimide inducing chemical depletion of cellular thiols. The result suggests the contribution of sulfhydryl groups to membrane Cd2+ transport. Taken together, it is suggested that the cells possess a temperature-sensitive membrane Cd2+ pathway, driven by electrochemical gradient of Cd2+ and transmembrane potential, with competitive binding site. Based on the characteristics described above, it is unlikely that the membrane Cd2+ transport in rat thymocytes is attributed to a single transport system although it has characteristics that are similar to those of divalent cation transporter 1.
- (キーワード)
- 環境汚染物質 (Environmental pollutants)
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1007/s10534-011-9444-3
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 21455662
- ● Summary page in Scopus @ Elsevier: 2-s2.0-80052401060
(DOI: 10.1007/s10534-011-9444-3, PubMed: 21455662, Elsevier: Scopus) Akio Kinazaki, Hongqin Chen, Kazuki Koizumi, Takuya Kawanai, Tomohiro Oyama, Masaya Satoh, Shiro Ishida, Yoshiro Okano and Yasuo Oyama :
Putative role of intracellular Zn2+ release during oxidative stress: A trigger to restore cellular thiol content that is decreased by oxidative stress,
The Journal of Physiological Sciences, Vol.61, No.5, 403-409, 2011.- (要約)
- Although the ability of zinc to retard oxidative process has been recognized for many years, zinc itself has been reported to induce oxidative stress. In order to give some insights to elucidate the role of intracellular Zn2+ in cells suffering from oxidative stress, the effects of N-ethylmaleimide (NEM) and ZnCl2 on cellular thiol content and intracellular Zn2+ concentration were studied by use of 5-chloromethylfluorescein diacetate (5-CMF-DA) and FluoZin-3 pentaacetoxymethyl ester (FluoZin-3-AM) in rat thymocytes. The treatment of cells with NEM attenuated 5-CMF fluorescence and augmented FluoZin-3 fluorescence in a dose-dependent manner. These NEM-induced phenomena were observed under external Zn2+-free condition. Results suggest that NEM decreases cellular thiol content and induces intracellular Zn2+ release. Micromolar ZnCl2 dose-dependently augmented both FluoZin-3 and 5-CMF fluorescences, suggesting that the elevation of intracellular Zn2+ concentration increases cellular thiol content. Taken together, it is hypothesized that intracellular Zn2+ release during oxidative stress is a trigger to restore cellular thiol content that is decreased by oxidative stress.
- (キーワード)
- Animals / Cells, Cultured / Ethylmaleimide / Fluoresceins / Fluorescent Dyes / Oxidative Stress / Polycyclic Compounds / Rats / Sulfhydryl Compounds / Sulfhydryl Reagents / Thymocytes / Zinc
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1007/s12576-011-0160-0
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 21744294
- ● Search Scopus @ Elsevier (PMID): 21744294
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1007/s12576-011-0160-0
(DOI: 10.1007/s12576-011-0160-0, PubMed: 21744294) Takuya Kawanai, Masaya Satoh, Koji Murao and Yasuo Oyama :
Methylmercury elicits intracellular Zn2+ release in rat thymocytes: Its relation to methylmercury-induced decrease in cellular thiol content,
Toxicology Letters, Vol.191, No.2-3, 231-235, 2009.- (要約)
- We have previously revealed that thimerosal, an organomercurial preservative, increases intracellular Zn2+ concentration in rat thymocytes. Because thimerosal contains ethylmercury that confers the toxicity, it is a possibility that methylmercury (MetHg), an environmental pollutant, also increases intracellular Zn2+ concentration. This possibility was tested by measuring intracellular Zn2+ level with FluoZin-3, a fluorescent probe for intracellular Zn2+. MetHg at concentrations ranging from 100 nM to 1 µM significantly increased the intensity of FluoZin-3 fluorescence, an indicator for intracellular Zn2+ concentration, under external Ca2+- and Zn2+-free condition in a concentration-dependent manner. TPEN, a chelator for intracellular Zn2+, completely diminished the MetHg-induced augmentation of FluoZin-3 fluorescence. MetHg at 100 nM or more significantly decreased the intensity of 5-chlormethylfluorescein fluorescence, an indicator for cellular thiol content. Such MetHg-induced changes in the fluorescence were correlated with a coefficient of -0.917. Taken together, it is suggested that submicromolar MetHg releases Zn2+ from intracellular thiol, resulting in the increase in intracellular Zn2+ concentration. However, it is unlikely that MetHg at critical maternal blood concentration (27 nM) affects intracellular Zn2+ homeostasis.
- (キーワード)
- Animals / Cell Membrane / Chelating Agents / Ethylenediamines / Fluoresceins / Fluorescent Dyes / Methylmercury Compounds / Polycyclic Compounds / Rats / Rats, Wistar / Sulfhydryl Compounds / T-Lymphocytes / Zinc
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1016/j.toxlet.2009.09.003
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 19748556
- ● Search Scopus @ Elsevier (PMID): 19748556
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1016/j.toxlet.2009.09.003
(DOI: 10.1016/j.toxlet.2009.09.003, PubMed: 19748556) Toshihisa Oyama, Keisuke Oyama, Takuya Kawanai, Tomohiro Oyama, Erika Hashimoto, Masaya Satoh and Yasuo Oyama :
Tri-n-butyltin increases intracellular Zn2+ concentration by decreasing cellular thiol content in rat thymocytes,
Toxicology, Vol.262, No.3, 245-249, 2009.- (要約)
- Effect of tri-n-butyltin (TBT), an environmental pollutant, on intracellular Zn2+ concentration was tested in rat thymocytes to reveal one of cytotoxic profiles of TBT at nanomolar concentrations using a flow cytometer and appropriate fluorescent probes. TBT at concentrations of 30 nM or more (up to 300 nM) significantly increased the intensity of FluoZin-3 fluorescence, an indicator for intracellular Zn2+ concentration, under external Ca2+- and Zn2+-free condition. Chelating intracellular Zn2+ completely attenuated the TBT-induced augmentation of FluoZin-3 fluorescence. Result suggests that nanomolar TBT releases Zn2+ from intracellular store site. Oxidative stress induced by hydrogen peroxide also increased the FluoZin-3 fluorescence intensity. The effects of TBT and hydrogen peroxide on the fluorescence were additive. TBT-induced changes in the fluorescence of FluoZin-3 and 5-chloromethylfluorescein, an indicator for cellular thiol content, were correlated with a coefficient of -0.962. Result suggests that the intracellular Zn2+ release by TBT is associated with TBT-induced reduction of cellular thiol content. However, chelating intracellular Zn2+ potentiated the cytotoxicity of TBT. Therefore, the TBT-induced increase in intracellular Zn2+ concentration may be a type of stress responses to protect the cells.
- (キーワード)
- Animals / Dose-Response Relationship, Drug / Environmental Pollutants / Flow Cytometry / Fluorescent Dyes / Hydrogen Peroxide / Oxidative Stress / Polycyclic Compounds / Rats / Rats, Wistar / Sulfhydryl Compounds / Thymus Gland / Trialkyltin Compounds / Zinc
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1016/j.tox.2009.06.016
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 19559746
- ● Search Scopus @ Elsevier (PMID): 19559746
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1016/j.tox.2009.06.016
(DOI: 10.1016/j.tox.2009.06.016, PubMed: 19559746) Masaya Satoh and Yoshiyuki Matsumoto :
Mercury-induced oxidative stress in marine phytoplankton Tetraselmis tetrathele (Prasinophyceae).,
Natural Science Research, Faculty of Integrated Arts and Sciences, The University of Tokushima, Vol.22, 57-63, 2008.- (要約)
- 広く海洋に生息し,海洋生態系の第一次生産者である植物プランクトン であるプラシノ藻類 Tetraselmis tetrathele を研究材料としてHg処理後の細胞の変化について,特にH2O2の発生に注目して調べた. T. tetratheleを様々な濃度のHgCl2で処理し,DCFH-DAで染色したところ,1時間及び3時間Hg処理において,1 μMのHgCl2濃度のときに強い蛍光がみられた.また6時間処理した細胞でも0.3 μMのHgCl2濃度で同様の強い蛍光がみられた.これは,細胞がHgの影響を受け,細胞内にH2O2が発生していることを示している. また,明条件下あるいは暗条件下において,1 μMのHgCl2で処理した細胞のDCF蛍光強度を時間を追って調べると,明条件では,60分から70分で最大の蛍光を示したが,暗条件では50分で最大の蛍光を示した.このことから,暗条件下では明条件下よりHgの影響をより早く受けることがわかった. 次にFDA染色により明条件と暗条件で細胞内エステラーゼ活性を比較した.その結果,共に1 μMのHgCl2において,酵素活性が著しく低下していることがわかった.また,明条件よりも,暗条件のほうが低い濃度のHgで酵素活性が低下した.
- (キーワード)
- 過酸化水素 / 水銀 / 酸化ストレス / 植物プランクトン / テトラセルミス
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 61874
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050282812440400000
(徳島大学機関リポジトリ: 61874, CiNii: 1050282812440400000) 江戸 梢, 藤原 久美子, 横田 由紀, 小野田 協子, 葭森 健介, 平井 松午, 佐藤 征弥 :
四国霊場と自然, --- 神木,自然景観,寺紋について ---,
徳島大学総合科学部自然科学研究, Vol.22, 127-140, 2008年.- (要約)
- 阿讃山地沿いに分布する四国霊場(1番札所霊山寺から5番札所地蔵寺)および大麻比古神社において,境内や周辺の自然景観の変遷,遍路道の変遷,そして神木の歴史,寺紋について調査を実施した.
- (キーワード)
- 寺紋・神紋 / 神木 / 四国霊場 / 四国遍路 / 神木
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 61873
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050001337463688960
(徳島大学機関リポジトリ: 61873, CiNii: 1050001337463688960) Aimi Kanada, Jun-ya Yamaguchi, Yumiko Nishimura, Tomohiro Oyama, Masaya Satoh, Norihiro Katayama, Ken-ichi Chikutei, Yoshiro Okano and Yasuo Oyama :
Tri-n-butyltin-induced blockade of store-operated calcium influx in rat thymocytes,
Environmental Toxicology and Pharmacology, Vol.22, No.2, 213-218, 2006.- (要約)
- Tri-n-butyltin (TBT), one of environmental pollutants, disturbs intracellular Ca2+ homeostasis by increasing intracellular Ca2+ concentration ([Ca2+]i). Effect of TBT on oscillatory change in [Ca2+]i (Ca2+ oscillation) of rat thymocytes was examined using a laser microscope with fluo-3-AM in order to further elucidate the TBT toxicity related to intracellular Ca2+. The Ca2+ oscillation was completely attenuated by 300 nM TBT. Since store-operated Ca2+ channels are involved in the generation of Ca2+ oscillation, the action of TBT on an increase in [Ca2+]i by Ca2+ influx through store-operated Ca2+ channels was examined. The increase in [Ca2+]i by the store-operated Ca2+ influx was not affected by 3 nM TBT. However, TBT at 10 nM or more significantly reduced the increase in [Ca2+]i. It is likely that TBT attenuates the Ca2+ oscillation by reducing the Ca2+ influx through store-operated Ca2+ channels.
- (キーワード)
- 環境汚染物質 (Environmental pollutants)
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1016/j.etap.2006.03.007
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 21783712
- ● Search Scopus @ Elsevier (PMID): 21783712
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1016/j.etap.2006.03.007
(DOI: 10.1016/j.etap.2006.03.007, PubMed: 21783712) Yumiko Nishimura, Jun-ya Yamaguchi, Aimi Kanada, Kanna Horimoto, Kaori Kanemaru, Masaya Satoh and Yasuo Oyama :
Increase in intracellular Cd2+ concentration of rat cerebellar granule neurons incubated with cadmium chloride: Cadmium cytotoxicity under external Ca2+-free condition,
Toxicology In Vitro, Vol.20, No.2, 211-216, 2006.- (要約)
- カドミウム毒性はカルシウムイオンの細胞機能の阻害との関連で示唆されることが多い.そこでカルシウムイオン除去条件下で,カドミウムイオンそれ自体が細胞レベルで同様な細胞毒性を示すことを明らかにした.細胞内でカドミウムイオン濃度の上昇を画像化して,カルシウムイオンの有無に関わらず,カドミウムイオンは同程度の細胞毒性を示した.
- (キーワード)
- カドミウム (cadmium) / 細胞毒性 (cytotoxicity)
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1016/j.tiv.2005.06.006
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 16061347
- ● Summary page in Scopus @ Elsevier: 2-s2.0-30644476948
(DOI: 10.1016/j.tiv.2005.06.006, PubMed: 16061347, Elsevier: Scopus) Yasutaka Nishizaki, Hiromi Nakao, Chisato Umebayashi, Kyoko Iwase, Tomoko Tatsuishi, Masaya Satoh and Yasuo Oyama :
Increase in number of annexin V-positive living cells of rat thymocytes by intracellular Pb2+,
Environmental Toxicology and Pharmacology, Vol.15, No.1, 45-51, 2003.- (要約)
- 鉛は世界各地で健康被害を起こしている代表的な環境汚染物質の一つである.しかしながら,鉛の細胞レベルでの作用は多様であり研究が続いている.この論文では細胞内に入った鉛が細胞にアポトーシス様膜変化を起こすことを詳細に検討した.現在,米国でも90万人程度は血中鉛濃度がかなり高いことが報告されている.これに近い濃度で細胞内に入った鉛が細胞死のトリガーになる可能性を示した.
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1016/j.etap.2003.08.007
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 21782679
- ● Search Scopus @ Elsevier (PMID): 21782679
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1016/j.etap.2003.08.007
(DOI: 10.1016/j.etap.2003.08.007, PubMed: 21782679) Tomohiro Arata, Yasuo Oyama, Masaya Satoh, Hiromi Hayashi and Yoshiro Okano :
Cytotoxic effects of triphenylbismuth on rat thymocytes: Comparison with bismuth chloride and triphenyltin chloride,
Environmental Toxicology, Vol.17, No.5, 472-477, 2002.- (要約)
- 近年,有用性が増しているトリフェニルビスマスの環境毒性を考察する上で必要な細胞レベルでの毒性を検討した.環境汚染物質のトリブチルスズと比べると毒性は低いものの,μMのオーダーでは明らかに毒性が確認された.よって,その使用に於いては環境(自然環境,研究室環境)への配慮が必要である.
- (キーワード)
- triphenyltin / triphenylbismuth
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1002/tox.10081
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 12242678
- ● Search Scopus @ Elsevier (PMID): 12242678
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1002/tox.10081
(DOI: 10.1002/tox.10081, PubMed: 12242678) Masaya Satoh, Yoshinobu Hirachi, Ai Yoshioka, Maki Kobayashi and Yasuo Oyama :
Determination of cellular levels of nonprotein thiols and their correlations with susceptibility to mercury in phytoplankton,
Journal of Phycology, Vol.38, No.5, 983-990, 2002.- (要約)
- 海洋性の植物プランクトンにおいて,解毒物質であるグルタチオンとシステインの定量を行い,細胞あたりの含量と細胞中の濃度を計算した.その結果,これらの物質がmMレベルで存在することが分かり,また細胞中濃度の高い種ほど酸化度が低いことも明らかになった. また,FDA染色法により,各植物プランクトンの水銀耐性を測定し,グルタチオンやシステインの含量との関係を調べた結果,グルタチオンやシステイン濃度の高い種ほど水銀に抵抗力を持つことが明らかになった.これは異なる種を用いてこれらの物質の含量と重金属抵抗性の相関を明らかにした初めての報告である.
- (キーワード)
- cysteine / cystine / fluorescein diacetate / glutathione / mercury / microalgae / nonprotein thiol / phytoplankton / PHYTOCHELATIN SYNTHESIS / OXIDATIVE STRESS / HEAVY-METALS / GLUTATHIONE / COPPER / CADMIUM / BINDING / POLLUTION / HEALTH / PLANTS
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1046/j.1529-8817.2002.t01-1-01223.x
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1046/j.1529-8817.2002.t01-1-01223.x
(DOI: 10.1046/j.1529-8817.2002.t01-1-01223.x) Yoshihiko Okada, Yasuo Oyama, Lumi Chikahisa, Kaori Kanemaru, Hitomi Sakai, Katuhiko Noda and Masaya Satoh :
Tri-n-butyltin-induced decrease in cellular level of glutathione in rat thymocytes: a flow cytometric study using 5-chloromethylfluorescein diacetate,
Toxicology Letters, Vol.117, 123-128, 2000.- (キーワード)
- tri-n-butyltin
Toxicity of methylmercury conjugated with L-cysteine on rat thymocytes in comparison with that of methylmercury,
Environmental Toxicology and Pharmacology, Vol.9, No.1, 49-55, 2000.- (キーワード)
- methylmercury
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1016/S1382-6689(00)00062-4
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 11137468
- ● Summary page in Scopus @ Elsevier: 2-s2.0-0034530010
(DOI: 10.1016/S1382-6689(00)00062-4, PubMed: 11137468, Elsevier: Scopus) Mami Nakata, Yasuo Oyama, Lumi Chikahisa, Yuko Yamazaki and Masaya Satoh :
Flow cytometric analysis on tri-n-butyltin-induced increase in annexin V binding to membranes of rat thymocytes,
Environmental Toxicology and Pharmacology, Vol.7, 267-273, 1999.- (キーワード)
- tri-n-butyltin
Heavy-metal induced changes in cellular nonproteinaceous thiol levels and heavy metal-binding peptides in Tetraselmis tetrathele (Prasinophyceae),
Journal of Phycology, Vol.35, 989-994, 1999.- (要約)
- The effects of mercury and cadmium on the intracellular level of nonprotein thiols in a unicellular green alga Tetraselmis tetrathele (Prasinophyceae) were investigated by using a fluorescent dye, 5-chloromethylfluorescein (5CMF), as a probe for nonprotein thiols. Depletion of nonprotein thiols began within 30 min, and completely depleted at 2 h, and most cells died at 24 h after exposure the cells to more than 3.0 M HgCl2. HPLC analyses revealed that glutathione was a major nonprotein thiol in T. tetrathele. A tripeptide, Arg-Arg-Glu, was found to be abundant and it showed ability to bind Hg2+, suggesting that it functions to scavenge heavy metals as well as thiol molecules.
Spermine is a salicylate-independent endogenous inducer for both tabacco acidid pathogenesis-related proteins and resistance against tobacco mosaic virus infection,
Plant Physiology, Vol.118, No.4, 1213-1222, 1998.- (要約)
- タバコモザイクウィルスを感染させたタバコ葉の病斑部位の細胞間隙に,スペルミンが健康葉の20倍も蓄積していることを見いだした.そして,健康葉にスペルミンを投与することにより,PR protein の発現が誘導されること,およびタバコモザイクウィルスによる病斑が縮小することが分かった.このスペルミンによる防御メカニズムは,防御反応誘導物質であるサリチル酸とまったく独立に働く新規のメカニズムであることが明らかになった.
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1104/pp.118.4.1213
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● PubMed @ National Institutes of Health, US National Library of Medicine (PMID): 9847095
- ● Search Scopus @ Elsevier (PMID): 9847095
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1104/pp.118.4.1213
(DOI: 10.1104/pp.118.4.1213, PubMed: 9847095) Yasuo Oyama, Mami Nakata, Mineshi Sakamoto, Lumi Chikahisa, Norikazu Miyoshi and Masaya Satoh :
Methylmercury toxicity in rat brain neurons: modificatons by compounds possessing SH-group and comparison with dimethylmercury, N-ethylmaleimide, and ionomycin,
Environmental Toxicology and Pharmacology, Vol.6, 221-227, 1998.- (キーワード)
- methylmercury
Effects of triphenyltin on growth and viability of K562 leukemia cells,
Environmental Toxicology and Pharmacology, Vol.6, 209-215, 1998.- (キーワード)
- triphenyltin
Isolation of organellar DNA from Codium fragile (Codiaceae, Codiales, Ulvophyceae),
Phycological Research, Vol.45, No.4, 213-216, 1997.- (要約)
- 緑藻類ミルCodium fragile から塩化セシウム密度勾配超遠心によりオルガネラDNAを単離した.超遠心の結果,三本のバンドが存在し,サザン法により核DNA,葉緑体DNA,ミトコンドリアDNAを同定した.また核のrRNAはミトコンドリアDNAと同じ位置にバンドを形成した.ミトコンドリアDNAのゲノムサイズは141.6 kb以上であり,微細藻類より大きく,陸上植物より小さい値であった.
Isolation of eyespots of green algae and analyses of pigments,
Botanica Marina, Vol.38, 467-474, 1995.- (要約)
- 遊走性を示す植物プランクトンの多くは,眼点と呼ばれる細胞内小器官を有し,走光性を示す.本研究は緑色藻類を用いて眼点の単離·精製法を確立し,眼点の構造と眼点中の色素組成を調べた.その結果,Pyramimonasではβ-カロテンが,Mesostigmaではγ-カロテンが,Bryopsisではα-カロテンが主成分であった.これらの成分の違いは,走光性のメカニズムとは関係なく,カロテンの代謝メカニズムによると推察した.
Organization of heterogeneous mitochondrial DNA molecules in mitochondrial nuclei of cultured tobacco cells,
Protoplasma, Vol.175, 112-120, 1993.- (要約)
- 高等植物のミトコンドリアは多数のDNA分子種が存在し,個々のミトコンドリアにおいてどのように統合されているのか問題となっていた.そこで,タバコ培養細胞において,ミトコンドリアに含まれるDNA量,ミトコンドリアゲノムサイズ,ミトコンドリアDNA分子種の長さについて調べた.その結果,個々のミトコンドリアは異なるDNA分子種を複数もつが,総ての分子種を持つわけではないこと,すなわちゲノム構成が異なるミトコンドリアが存在することを証明した.
- (出版サイトへのリンク)
- ● Publication site (DOI): 10.1007/BF01385008
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1362825894879956736
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.1007/BF01385008
(DOI: 10.1007/BF01385008, CiNii: 1362825894879956736) Masaya Satoh, Shinichi Miyamura and Terumitsu Hori :
Inter- and intraspecific variations of chloroplast DNA of the siphonous green algal genus Caulerpa (Caulerpales, Chlorophyta),
Japan Journal of Phycology, Vol.40, 365-372, 1992.- (要約)
- 緑藻類イワヅタ葉緑体DNAの精製法を確立し,日本産のイワヅタ4種についてその制限酵素パターンを比較した.その結果,大きな種間変異がみられたが,外部形態や葉緑体の構造で共通特徴を持つ2種については制限酵素パターンに類似性がみられた.また,この2種については葉緑体DNAのゲノムサイズが高等植物に比べて著しく小さいことが明らかになった.
Organization of multiple nucleoids and DNA molecules in mitochondria of human cell,
Experimental Cell Research, Vol.196, No.1, 137-140, 1991.- (要約)
- ヒト卵巣癌由来A2780培養細胞におけるミトコンドリアDNAおよびミトコンドリア核の存在様式を明らかにした.すなわち,ミトコンドリアあたり平均4.6コピーのミトコンドリアDNAが存在すること,細胞あたり約500コピーのミトコンドリアDNAが存在することを明らかにした.また,ミトコンドリアのうち70%は複数のミトコンドリア核を持つ''多核''であることを初めて明らかにした.
- MISC
- 佐藤 征弥, 楠田 七葉, 大坂 佳輝, 関 祥菜, 阿部 萌音 :
2006年に徳島市城山に植樹されたホルトノキの苗木の現状, --- 生育状況とホルトノキ萎黄病感染状況について (第二報) ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.12, 1-10, 2022年.- (要約)
- ホルトノキ萎黄病により消滅の危機にある城山のホルトノキ群落を再生するため,城山のホルトノキの消滅を防ぐために,2006年にNPOらによって300本のホルトノキの苗木が城山山麓に植えられた.本研究はその追跡調査を行った.2022年の調査では300本の苗木のうち29本が生存していた.樹高は最も高い個体が5.2 m,最も低い個体が82 cm,平均は194 cmであった.また,これら29本および周辺の稚樹2本についてファイトプラズマに感染しているかどうかをnested PCRにより確認した結果,9本の感染が判明した.これ以上の消失を防ぐため,移植や新たな苗木の育成などの対策が急務である.
- (キーワード)
- ホルトノキ / ホルトノキ萎黄病 / ファイトプラズマ / 城山 / 徳島 (Tokushima)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 117627
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050293943124496384
(徳島大学機関リポジトリ: 117627, CiNii: 1050293943124496384) 宮崎 隆義, 石川 榮作, 佐藤 征弥, 境 泉洋 :
モラエスの庭, --- (6)モラエスの目:徳島の風景 ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.6, No.0, 18-25, 2016年.- (要約)
- This paper is part of the results from the social action activities financed by the Faculty of Integrated Arts and Sciences, and Tokushima University, 2015. The activities are mainly focused on the reevaluation by public lectures and other exhibitions of Wenceslau de Moraes 1854-1929, a Portugal naval officer and consul general who lived and died in Tokushima. This is also part of the outcomes of the Project Studies by Moraes's Studies Group launched on July 31, 2010.The members of Moraes's Studies Group, T. Miyazaki (English Literature, Comparative Literature), E. Ishikawa (German Literature, Comparative Literature), M. Satoh (Plant Physiology), M. Sakai (Clinical Psychology), all at the Institute of Socio-Arts and Sciences, Tokushima University, have been continuing to try to analyze Moraes's works and to approach new facets of Moraes's biographical aspects. Moraes was fascinated by the far-east Japan and fell in love with Ó-Yoné, who died soon after the marriage. After her death, Moraes decided to live in Tokushima, which was Ó-Yoné's hometown. He lived with Ko-Haru, Ó-Yoné's niece, for a while until she died from tuberculosis at the age of 21. His life until his death in Tokushima was a kind of a hermit, disregard of his fame as Consul General and Navy high-rank Officer of Portugal, and other financial merits entailed with them. Moraes published O ‟Bon-odori„ em Tokushima in 1916 after Ó-Yoné died, and Ó-Yoné é Ko-haru afterwards. In both works Moraes depicted Tokushima landscape and everyday things in general which his eyes caught through his keen sensitivity. He worshipped Japan's unique beautiful landscape, but he was disappointed at the rapidly westernized aspects of large cities like Kobe, Osaka and Tokyo. He had been, in a sense, allured and attracted by the old and beautiful landscape through the writings by his foregoing visitors to Japan. His choice of Tokushima as his residence for his remaining days might be considered to search for the old and traditional beautiful aspects of Japan that seemed to him to be remaining in a local city like Tokushima far away from the large cities. Moraes's sense of beauty through his eyes to Tokushima landscape may lead us Japanese to consider our identity in this now globalized society.
- (キーワード)
- モラエス / 徳島の盆踊り / 徳島の風景 / モラエス研究 / 風景論
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 110015
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050845762395175680
(徳島大学機関リポジトリ: 110015, CiNii: 1050845762395175680) 宮崎 隆義, 石川 榮作, 佐藤 征弥, 境 泉洋 :
モラエスの庭, --- (5) モラエスの著作の位置づけと第五回内国勧業博覧会 ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.5, No.0, 33-41, 2015年.- (要約)
- This paper and report is based on the oral presentation delivered on 29th, November 2014, as part of Symposium `Moraes in Kobe and Tokushima' held at the Faculty of Integrated Arts and Sciences, Tokushima University, in Tokushima. This is also part of the outcomes of the Project Studies by the activities in 2014 of Moraes's Studies Group launched on July 31, 2010. The members of Moraes's Studies Group, T. Miyazaki (English Literature, Comparative Literature), E. Ishikawa (German Literature, Comparative Literature), M. Satoh (Plant Physiology), M. Sakai (Clinical Psychology), all at the Institute of Socio-Arts and Sciences, Tokushima University, have been continuing to try to analyze Moraes's works and to explore new facets of Moraes's biographical facts. Moraes was fascinated by the far-east Japan and fell in love with Ó-Yoné, who died young at the age of 39 in Kobe. After her death, Moraes decided to leave Kobe and live in Tokushima, which was Ó-Yoné's hometown. He lived with Ko-Haru, Ó-Yoné's niece, for a while until she died from tuberculosis at the age of 21. He led his life until his death in Tokushima for 16 years as a kind of hermit, neglecting his fame as the Consul General and Navy high-rank Officer of Portugal, and other financial merits entailed with the post. Though Moraes is often regarded as a kind of hermit in Tokushima, we should pay more attention to and reevaluate his aspect of a diplomat and consul in Kobe days before coming to Tokushima. He was a very able diplomat and consul, and once actively involved with the 5th National Industrial Exhibition held in 1903. In Tokushima he wrote and published O Bon-odori em Tokushima and afterwards Ó-Yoné e Ko-haru. These works might be regarded as based on the forms of diary and essay, seemingly as reports from Tokushima to Bento Carqueja, editor of Comércio do Porto (Porto Commercial Newspaper) in Portugal. Concerning these works as such there seems to be an undercurrent of the image of garden, or paradise, which is strongly connected with the Exhibition he was concerned. In this paper, a tentative reevaluation of his works in Tokushima and the undercurrent of the image of garden related with the 5th National Industrial Exhibition he was involved with in Kobe days.
- (キーワード)
- モラエス / 徳島の盆踊り / おヨネとコハル / モラエス研究 / ロマン主義 / 庭 / 博覧会
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 109549
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050282812441669248
(徳島大学機関リポジトリ: 109549, CiNii: 1050282812441669248) 宮崎 隆義, 石川 榮作, 佐藤 征弥, 境 泉洋 :
モラエスの庭, --- (4)生へのまなざし,死へのまなざし ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.4, No.0, 53-63, 2014年.- (要約)
- This paper is an essay on Moraes's O Bon-odori em Tokushima and Ó-Yoné e Ko-haru, part of the outcomes of the Project Studies by the activities in 2013 of Moraes's Studies Group launched in July 31, 2010. The members of Moraes's Studies Group, T. Miyazaki (English Literature, Comparative Literature), E. Ishikawa (German Literature, Comparative Literature), M. Satoh (Plant Physiology), M. Sakai (Clinical Psychology), all at the Institute of Socio-Arts and Sciences, The University of Tokushima, have been continuing to try to analyze Moraes's works and to approach new facets of Moraes's biographical aspects. Moraes was fascinated by the far-east Japan, and fell in love with Ó-Yoné, who died soon after the marriage. After her death Moraes decided to live in Tokushima, which was Ó-Yoné's hometown. He lived with Ko-Haru, Ó-Yoné's niece, for a while until she died from tuberculosis at the age of 21. His life until his death in Tokushima was a kind of hermit, disregard of his fame as Consul General and Navy high-rank Officer of Portugal, and other financial merits entailed with them. Moraes published O Bon-odori em Tokushima in 1916 after Ó-Yoné died, and Ó-Yoné e Ko-haru afterwards. This work might be regarded as based on the forms of diary and essay, seemingly as reports from Tokushima to Bento Carqueja, editor of Comércio do Porto (Porto Commercial Newspaper) in Portugal. He consistently wrote these installment reports from Tokushima in the eyes of a stranger, putting some distance between him and the people in there. Everything seen in the eyes of Moraes wore some beautiful visional aspect because of his memory of Ó-Yoné. He expressed his thoughts on life and death throughout O Bon-odori em Tokushima and Ó-Yoné e Ko-haru with fragmentary memories of his own as objective correlatives for the readers of his writings. This paper is based on the presentation in the Symposium at the 49th Annual Conference of Japan Comparative Literature Association Kansai Branch held at the Faculty of Integrated Arts and Sciences, here in Tokushima.
- (キーワード)
- モラエス / 日記文学 / 随筆文学 / モラエス研究 / 徳島 (Tokushima) / 生へのまなざし / 死へのまなざし
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 106426
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050845762395064832
(徳島大学機関リポジトリ: 106426, CiNii: 1050845762395064832) 佐藤 征弥, 岡村 多希子, 境 泉洋, 石川 榮作, 宮崎 隆義 :
ポルトガルの大衆紙"CIVILIZAÇÃO''が1930年1月号で伝えたモラエスの墓, 告別式,彼の部屋に関する記事について,
徳島大学地域科学研究, Vol.4, 68-79, 2014年.- (要約)
- 1929年7月1にヴェンセスラウ・デ・モラエスが亡くなってからおよそ半年後,ポルトガルの月刊大衆誌``CIVILIZAÇÃO'' が彼の墓,葬儀,部屋の様子を紹介する記事を1930年1月号に掲載した.この記事は,日本ではこれまで紹介されたことはない.短い記事ではあるが,ポルトガルの大衆雑誌が彼の死をどのように伝えているか分かる興味深い資料である.さらに,この記事に掲載されている7枚の写真は,日本の資料では見ることのなかったものや,より鮮明に映っているものが含まれており,モラエスの生活を窺い知ることのできる貴重な資料である.本論文は,記事の文章や写真から読み取れる情報を整理し,モラエスに関する新たな知見を紹介した.また,今後明らかにすべき点についても述べた.
- (キーワード)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス / CIVILIZAÇÃO
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 106428
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050001337464933632
(徳島大学機関リポジトリ: 106428, CiNii: 1050001337464933632) 宮崎 隆義, 佐藤 征弥, 境 泉洋 :
モラエスの庭, --- (3)異邦人のまなざし ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.3, No.0, 143-150, 2013年.- (要約)
- This paper is an essay on Moraes's O Bon-odori em Tokushima, part of the outcomes of the Project Studies by the activities in 2012 of Moraes's Studies Group launched in July 31, 2010. The members of Moraes's Studies Group, T. Miyazaki (English Literature), M. Satoh (Plant Physiology), M. Sakai (Clinical Psychology), all at the Institute of Socio-Arts and Sciences, The University of Tokushima, have been continuing to try to analyze Moraes's works and to approach a new facet of Moraes's biographical aspects. Moraes was fascinated by the far-east Japan, and fell in love with Ó-Yoné, who died soon after the marriage. After her death Moraes decided to live in Tokushima, which was Ó-Yoné's hometown. He lived with Ko-Haru, Ó-Yoné's niece, for a while until she died from tuberculosis at the age of 23. His life until his death in Tokushima was a kind of hermit, disregard of his fame as Consul General and Navy high-rank Officer of Portugal, and other financial merits entailed with them. Moraes published O Bon-odori em Tokushima in 1916 after O-Yoné died. This work might be regarded as based on the forms of diary and essay, seemingly as reports from Tokushima to Bento Carqueja, editor of Comércio do Porto (Porto Commercial Newspaper) in Portugal. He consistently wrote these installment reports from Tokushima in the eyes of a stranger, putting some distance between him and the people in there. Everything seen in the eyes of Moraes wore some beautiful visional aspect because of his memory of Ó-Yoné. He expressed his distress at the attitudes of Tokushima people at some sections in this book; that is, he was seen as a`ke-tojin,'an alien. This discrepancy and distancing from the people among whom he lived as a hermit, he seemed to see the deep gap between him and the people he loved, leading to the pathetic outcry at the final part of his letters to Bento Carqueja, the editor. This tentative paper intends to open a new perspective in a rather fixed image of Moraes and studies about him.
- (キーワード)
- モラエス / 日記文学 / 随筆文学 / モラエス研究 / 徳島 (Tokushima)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 106422
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050282812441642624
(徳島大学機関リポジトリ: 106422, CiNii: 1050282812441642624) 佐藤 征弥, 高木 佳美, 石川 榮作, 境 泉洋, 宮崎 隆義 :
モラエスの三つの絵葉書書簡集 — 絵葉書書簡からみえるモラエスの生活圏,旅行,信仰について —,
徳島大学地域科学研究, Vol.3, 128-139, 2013年.- (要約)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス(Wenceslau de Moraes)は,親族や友人に頻繁に絵葉書や書簡を送った.これらのうち,ポルトガルから徳島市に寄贈されたモラエス館所蔵の609通は,1994年(平成6)には『モラエスの絵葉書書簡』として,2004年(平成16)には『モラエス絵葉書集I』~『〃 IV』として刊行された.また,ポルトガルのコレクターが集め,2004年に``Permanências e Errâncias no Japão''として刊行された420通の絵葉書集もある.本研究は,これらの中から風景絵葉書や各地の風物の絵葉書に注目し,モラエスの生活圏や旅行に関するデータをまとめ,神戸時代と徳島時代で比較した.その結果,モラエスは,神戸での外交官時代,休日に頻繁に各地に旅行に出かけていたが,徳島に移り住んでからは滅多に遠出をせず,墓参を日課とする隠遁生活を送ったことが確認できた.また,彼は頻繁に寺社に参詣に出かけており,絵葉書の文面から見て取れる日本の宗教に対する彼の本音を探ったところ,著作では触れられることのなかった神道への愛着を認めることができた. また,数少ないモラエスの写真の中に,神戸時代に撮影された彼が滝を背景にして写っている写真があり,従来それは「布引の滝」とされていた.しかし,絵葉書データを詳細に分析した結果,これは有馬の「皷ヶ瀧」(現 鼓ヶ滝)であることが判明した.
- (キーワード)
- モラエス絵葉書集 / モラエスの絵葉書書簡 / モラエス研究会 / Permanências e Errâncias no Japão / ヴェンセスラウ・デ・モラエス
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 106420
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050001337464931072
(徳島大学機関リポジトリ: 106420, CiNii: 1050001337464931072) 宮崎 隆義, 佐藤 征弥, 境 泉洋 :
モラエスの庭, --- (2)「随筆」の変質 ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.2, No.0, 84-90, 2012年.- (要約)
- This paper is an essay on Moraes's Tokushima no Bon-odori, part of the outcomes of the Project Studies by the activities in 2011 of Moraes's Studies Group launched in July 31, 2010. The members of Moraes's Studies Group, T. Miyazaki (English Literature), M. Satoh (Plant Physiology), M. Sakai (Clinical Psychology), all at the Institute of Socio-Arts and Sciences, The University of Tokushima, have been continuing to try to analyze Moraes's works and to approach a new facet of Moraes's biographical aspects. Moraes was fascinated by the far-east Japan, and fell in love with Oyoné, who died soon after the marriage. After her death Moraes decided to live in Tokushima, which was Oyoné's hometown. He lived with Koharu, Oyoné's niece, for a while until she died from tuberculosis at the age of 23. His life until his death in Tokushima was a kind of hermit, disregard of his fame as Consul General and Navy high-rank Officer of Portugal, and other financial merits entailed with them. Moraes published Tokushima no Bon-odori in 1913 after Oyoné died. This work might be regarded as based on the forms of diary and essay, seemingly as reports from Tokushima to Bento Carqueja, editor of Porto Commercial Newspaper in Portugal. His interest in Kino Tsurayuki's Tosa-Nikki (Tosa Diary), which was written in the persona of a woman, seems to be the key to understand the modification in the quality of Tokushima no Bon-odori. Though this work was written as a diary and an essay in the persona of alien people to Tokushima, the tone of this work was quite changed at the final part of his letters to Bento Carqueja, the editor. This tentative paper intends to open a new perspective in a rather fixed image of Moraes and studies about him.
- (キーワード)
- モラエス / 日記文学 / 随筆文学 / モラエス研究 / 徳島 (Tokushima)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 105945
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050282812441565696
(徳島大学機関リポジトリ: 105945, CiNii: 1050282812441565696) 佐藤 征弥, 境 泉洋, 宮崎 隆義 :
モラエスが見た蛍,
徳島大学地域科学研究, Vol.2, 55-60, 2012年.- (要約)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエスが大正7年(1918)6月に書いた短編 ``Será Ó-Yoné... Será Ko-Haru?...'' (邦題「おヨネだろうか⋯⋯コハルだろうか⋯⋯」)は,徳島での自らの生活を描くとともに,亡くなった二人の女性おヨネとコハルを懐かしむ内容の随想である.この作品の中で,蛍狩りからの帰りと思われる子供たちが歌う「蛍こい」の歌詞が "Hotaru-ko, tané-mushi koi!"(ホタル コ タネムシ コイ!)と記されている.「タネムシ」の用例について徳島に伝わるわらべ歌や民謡を調べたところ,「タネムシ」は見つからず,「タノムシ(田の虫)」であることが分かった.さらに京都でも「田の虫」と歌われるものがあった.「タネムシ」はモラエスの聴き間違いであると考えられる.「田の虫」は最近は,使われなくなったがホタルの別称であり,ホタルの中でも止水を好み,水田,池,湿原に生息する田の代表的な昆虫の一つヘイケボタルを指す. 本作では,子供たちが歌う蛍の歌を聞いた後で,モラエスは自分の家の戸口で一頭のホタルに遭遇する.徳島市の眉山周辺には,ゲンジボタル,ヘイケボタル,オバボタル,オオマドボタルの4種が生息する.これらの習性や文献調査および古老の話を総合すると,モラエスが見た蛍はゲンジボタルであった可能性が高い.
- (キーワード)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス / おヨネだろうか⋯⋯コハルだろうか⋯⋯ / ホタル / わらべ歌 / 田の虫 / 眉山
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 104324
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050001337464839808
(徳島大学機関リポジトリ: 104324, CiNii: 1050001337464839808) 宮崎 隆義, 佐藤 征弥, 境 泉洋 :
モラエスの庭, --- (1)日記文学・随筆文学ということ ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.1, No.0, 47-56, 2012年.- (キーワード)
- モラエス / 日記文学 / 随筆文学 / モラエス研究 / 徳島 (Tokushima)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 105903
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050845762394982400
(徳島大学機関リポジトリ: 105903, CiNii: 1050845762394982400) 大橋 眞, 山城 孝, 中鉢 龍一郎, 佐藤 征弥, 佐藤 高則 :
体験型ゼミ『徳島の文化遺産「吉野川第十堰」から学ぶ自然と人間の共生』の実施と共生環境教育としての意義, --- 現代GP「豊饒な吉野川を持続可能とする共生環境教育」の一環として ---,
大学教育研究ジャーナル, Vol.5, 128-132, 2008年.- (要約)
- 徳島大学総合科学部では,昨年度の試行ゼミに引き続き,今年度より現代的教育ニーズ取組支援プログラムの一環として,環境教育のための体験型ゼミ「豊饒な吉野川を持続可能とする共生環境教育」の授業を開始した.現在,持続可能な社会システムの構築は,地球レベルの課題となってきている.環境問題は,国家レベルの政策と共に,地域社会の果たす役割が大きく,今後はさらに特色ある地域の取り組みが求められることが予測されている.この体験ゼミでは,環境問題が時代を超えた総合的な問題であることを体得するために,徳島の文化遺産である吉野川第十堰,地域の天然記念物である巨樹イチョウの調査,さらに伝統文化としての藍染めや食文化体験を吉野川周辺の動植物生態調査と組み合わせた総合体験学習型とした.総合科学の必要性を体験的に学ぶためにも,このように,地域に根ざした総合体験型学習を取り入れた環境教育プログラムは,総合科学教育の主要な柱の一つとして体系化してゆく必要性があると考えられる.
- (キーワード)
- 環境教育 / 体験型授業 / 地域 (region)
ライバルイチョウ ∼「矢神のイチョウ」と「天神のイチョウ」の歴史∼,
徳島大学総合科学部人間社会文化研究, Vol.14, No.0, 105-131, 2007年.- (要約)
- 徳島県石井町には,約900 m離れて幹の周囲が10 mを超えるイチョウの樹が2本あり,ともに県の天然記念物に指定されている.また,これら2本の樹はそれぞれ那須与一,菅原道真にゆかりの伝説を有している.これらのイチョウに関する資料を収集・整理し,樹の歴史や古写真による樹の姿の変遷,伝説の形成課程について調べた.その結果,大正期に撮影された天神のイチョウの写真は現在の姿とよく似ているが,「乳」と呼ばれる気根の多くは大正期以降に切断された形跡があること,イチョウと那須与一や菅原道真を結びつけた伝説の形成には,2つの神社の間の対抗意識が働いたように思われること,などが明らかになった.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 54337
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050001337463684992
(徳島大学機関リポジトリ: 54337, CiNii: 1050001337463684992) 佐藤 征弥 :
矢上の大クスの歴史,
徳島大学総合科学部人間社会文化研究, Vol.13, 31-60, 2006年.- (要約)
- 徳島県藍住町春日神社の「矢上の大クス」と呼ばれる幹の周囲が約13 mのクスノキの巨樹の歴史について調べた.この樹は江戸時代の文化8年(1811)の『阿波名所図会』に描かれている有名な樹であるが,樹に関する資料は,単発的な調査によるものばかりであり,過去からの記録を整理しまとめてたものがこれまでなかった.そこで,史料を蒐集し読解したところ,大変貴重で面白い史料であってもこれまで引用されることなく埋もれてしまっているものがいくつも見つかったり,あるいは誤った内容が今日まで伝えられていることを見いだした.本樹については,上に挙げた江戸時代の絵図の他,大正時代にそれと同じ角度から撮影された写真が存在し,それらと現在の姿と比較することにより,一世紀毎,およそ200年間の樹の姿の変化が明らかになった.
- (キーワード)
- クスノキ
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 49976
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050001337463680512
(徳島大学機関リポジトリ: 49976, CiNii: 1050001337463680512) 山中 瑞江, 脇加 奈子, 尾崎 絵里香, 金井 拓, 金井 悠一郎, 中辻 嵩, 谷川 和代, 橋本 美城子, 森 由美子, 倉林 陽子, 岸本 慎哉, 水本 浩太, 渡部 稔, 佐藤 征弥, 真壁 W. 和裕, 大橋 眞, 後藤 壽夫 :
中国産アオゴカイPerinereis aibuhitensisと徳島産イトメTylonrrhynchus heterochaetusの血液に浮遊する巨大ヘモグロビンのグロビン鎖の一次構造比較,
徳島大学総合科学部自然科学研究, Vol.19, 63-92, 2005年.- (キーワード)
- giant hemoglobin / annelid / polychaete / phylogenetic tree / supramolecule
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 117481
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050012081168309632
(徳島大学機関リポジトリ: 117481, CiNii: 1050012081168309632) Masaya Satoh, Yoko Tanaka and Yasuo Oyama :
Nonprotein thiol levels and susceptibility to HgCl2 of harmful phytoplankton Heterocapsa circularisquama (Dinophyceae),
Natural Science Research, Faculty of Integrated Arts and Sciences, The University of Tokushima, Vol.17, 53-61, 2003.- (要約)
- 二枚貝に対して毒性をもつ植物プランクトン Heterocapsa circularisquama について細胞内のシステインおよびグルタチオンを定量し,さらにFDA染色法により水銀感受性を測定した.その結果, H. circularisquama のシステインおよびグルタチオンの細胞内レベルは他のの植物プランクトンに比べて低く,酸化度は高かった.また,水銀に対して高い感受性を示した.よって先に報告したnonprotein thiol濃度の低い種ほど酸化度が高く,水銀に弱いという傾向がより強化された.
Improved dehydroascobate assay using ascorbate oxidase,
Natural Science Research, Faculty of Integrated Arts and Sciences, The University of Tokushima, Vol.16, No.0, 43-51, 2003.- (要約)
- アスコルビン酸の定量法の1つとして,アスコルビン酸オキシダーゼを用いる方法がある.アスコルビン酸の酸化物であるデヒドロアスコルビン酸を測定する場合は,DTTによる還元反応と組み合わせる方法がとられるが,従来用いられている方法では,DTTとアスコルビン酸オキシダーゼが混在することにより,デヒドロアスコルビン酸を正確に測定できないことを見いだした.そこで,この方法の改良を試みた.そして,DTTの還元反応を行った後,水銀処理により未反応のDTTを不活性化することにより,この問題を解決し,デヒドロアスコルビン酸の正確な定量が可能となった.
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1520572358627944064
(CiNii: 1520572358627944064) Yoshihiko Okada, Yasuo Oyama, Toshiko Ueha-Ishibashi, Kaori Kanemaru, Norihiko Akaike, Norikazu Miyoshi and Masaya Satoh :
Cytotoxic action of tri-n-butyltin hydride, a nucleaphilic triorganotin, on rat thymocytes: a flow cytometric study,
Natural Science Research, Vol.14, 21-34, 2001.- (キーワード)
- tri-n-butyltin
Protective action of tri-n-butyltin on the cells suffering from oxidative strss: Its implication in bioaccumulation,
Natural Science Research, Vol.14, 9-20, 2001.- (キーワード)
- tri-n-butyltin
鳴門市竜宮の磯における生物相の変化と海水温度変化について,
徳島大学総合科学部自然科学研究, Vol.14, 1-8, 2001年.- (要約)
- 徳島県鳴門市竜宮の磯において個体数や出現時期が過去5年間に大きく変化した生物種を記載した.さらに海水温度との関係を調べた結果,緑藻類3種(ヒロハノヒトエグサ,ウスバアオノリ,アナアオサ)では高海水温度が成長を抑制し,軟体動物アメフラシでは,アメフラシでは逆に高海水温度が成長を促進する傾向がみられた.
Effects of organic and inorganic mercuries on growth and viability of K562 human leukemia cells,
Natural Science Research, Vol.12, 15-26, 1999.- (キーワード)
- heavy metal
鳴門市竜宮の磯における大型藻類の種類と季節変化,
徳島大学総合科学部自然科学研究, Vol.11, 21-32, 1998年.- (要約)
- 鳴門市にある竜宮の磯における大型藻類の種類と季節変化について調べた.その結果,緑藻類は4目5科6属8種を,褐藻類は7目10科15属20種を,紅藻類は6目20科30属47種を確認した.淡路島や県南部地域,室戸岬の予備的な調査との比較では,各地域毎に種類の違いが見られ,また同じ種においても季節変化に若干の違いが見られた.
Effects of N,N-dimethyldodecylamine-N-oxide on some cellular parameters of rat thymocytes,
Natural Science Research, Vol.29, No.1, 1-4, 2015.- (要約)
- N,N-Dimethyldodecylamine-N-oxide (DDAO) is an amphoteric surfactant used in many detergents for kitchens. In this study, the effects of DDAO (10–100 μM) on cell lethality, intracellular Ca2+ level, intracellular Zn2+ level, and cellular content of nonprotein thiol were examined in mammalian cells (rat thymocytes) to further characterize its cytotoxicity. DDAO at the concentration of 100 μM (22.9 mg/L) slightly, but significantly, increased the parameters described above, and it showed no significant effect at the concentrations of 30 μM (6.87 mg/L) or less. Therefore, it is unlikely that DDAO at environmentally-relevant concentrations (< 10–70 ng/L) exerts toxic actions on wild mammals and humans.
- (キーワード)
- amphoteric surfactant / amine oxide
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 111004
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050001337466245888
(徳島大学機関リポジトリ: 111004, CiNii: 1050001337466245888) Shoehei Saitoh, Eri Fukunaga, Sari Honda, Kaori Kanemaru, Masaya Satoh and Yasuo Oyama :
Nonivamide, a natural analog of capsaicin, affects intracellular Ca2+ level in rat thymic lymphocytes,
Natural Science Research, Vol.28, No.3, 15-19, 2014.- (要約)
- Effect of nonivamide, a natural analog of capsaicin, on intracellular Ca2+ level of rat thymocytes was examined using a flow-cytometric technique with appropriate fluorescent probes in order to further characterize the cytotoxicity because nonivamide can be used as an active intergradient of antifouling paints. Nonivamide at concentrations ranging from 30 µM to 300 µM significantly increased the intensity of Fluo-3 fluorescence. The potency of 100 µM nonivamide to increase the fluorescence was similar to that of 100 µM capsaicin. The increase in Fluo-3 fluorescence by 100 µM nonivamide was attenuated under an external Ca2+-free condition. Nonivamide at 100 µM also increased the intensity of Fluo-3 fluorescence in the continued presence of 100 µM capsaicin. It is suggested that nonivamide at high micromolar concentrations increases intracellular Ca2+ level via the activation of vanilloid receptors. Nonivamide concentrations (30 µM or more) that increase intracellular Ca2+ level in rat thymocytes are comparable to those in algal cells. However, it is something hard to argue the implications in environmental science because nonivamide doesn't seem to be released into environment in such a high concentration, and because bioaccumulation of nonivamide has not been reported.
- (キーワード)
- Capsaicin / Nonivamide
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 106432
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050564287418356224
(徳島大学機関リポジトリ: 106432, CiNii: 1050564287418356224)
- 総説・解説
- 佐藤 征弥 :
樹にまつわる伝説・伝承, --- 日本と朝鮮半島の比較および樹種による違いについて ---,
ツリードクター, Vol.30, 36-41, 2023年3月.- (要約)
- 『大日本老樹名木誌』と『朝鮮巨樹老樹名木誌』から日本と朝鮮半島における人と樹との関係性を比較した.朝鮮半島では「樹」は地域共同体や氏族を繋ぎ止める神聖な存在であって,祭りや祈祷を通じてその絆の維持に働いてきた.日本では神社や寺院が所有する樹が多く,神社も寺院も地域共同体のための宗教施設として機能していることが多く,境内の巨樹や老木を神木として尊崇するという点では同じである.しかし,神社や寺院の信仰が向かう対象は,建物の中に祀られている御神体や御本尊がその主体であるのに対し,朝鮮半島では樹そのものにその役割が集約されている点で大きく異なっている.日本でも神木の下で催される祭事はあるが,朝鮮半島に比べるとはるかに少ない.また,樹に願いごとをする場合でも,朝鮮半島のように地域や一族の安寧を祈るというような共同体を背景にするものではなく,個人的なご利益であることが多い.日本と朝鮮半島では,巨樹や石など自然物を畏敬するアニミズムを有する点で共通してはいても,朝鮮半島ではアニミズムが地縁性・血縁性と結びついて色濃く残ってきたのに対して,日本では神道や仏教に取り込まれたと考えられる.
- (キーワード)
- 巨樹 / 大日本老樹名木誌 / 朝鮮巨樹老樹名木誌 / 伝説 (legend)
DNAから探る 北辺のイチョウ,
生命の科学 遺伝, Vol.74, No.5, 528-532, 2020年9月.- (要約)
- イチョウは人が植栽・管理することによって生きてきた樹種であり,人の手によって分布が拡大し てきた.イチョウは 13~14 世紀に中国大陸から日本に伝来し,全国に広がっていったと考えられ るが,その詳細は不明な点が多い.しかし,DNA 分析からイチョウの移動の歴史をある程度浮か び上がらせることができる.東北地方は日本の中で特に巨樹イチョウが多く,それらは同一の DNA タイプである.一方,北海道は巨樹イチョウに乏しく,DNA は多様性に高く,それらは開拓 者の出身地域と対応する.
- (キーワード)
- イチョウ / DNA (DNA)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 117493
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050575108419694592
(徳島大学機関リポジトリ: 117493, CiNii: 1050575108419694592) 佐藤 征弥 :
本多静六博士との様々な接点,
本多静六通信, No.26, 1-5, 2018年3月.- (要約)
- 「日本公園の父」と呼ばれる林学者本多静六は多くの分野で多大な業績を残している.本稿では彼の業績に基づいて筆者が行った研究結果を紹介した.具体的には彼が日比谷公園に移植した「首かけイチョウ」のDNAタイプを分析したこと,彼が編んだ「大日本老樹名木誌」の伝説を詳細に分析したこと,彼が設計した「徳島中央公園」について設計理念や公園の変遷について調査したことなどを紹介した.
- (キーワード)
- 本多静六 / 首かけイチョウ / 大日本老樹名木誌 / 徳島公園 / 徳島中央公園
おヨネの実像,
徳島ペンクラブ選集, Vol.33, 8-11, 2015年12月.- (要約)
- モラエス最愛の伴侶であるおヨネは,彼女に関する情報が乏しく謎につつまれた女性である.小説や評伝に描かれたおヨネの人柄は,「つつましい」「従順」であり,モラエス自身が記した「素朴」「無邪気」「愛くるしい」といった性質とは,逆のイメージの方がついてしまっている.本稿ではこれまで触れられることのなかった2つの資料からおヨネの新たな人物像を浮き彫りにした.1つはモラエスの親友ディアス・ブランコが彼女を「おきゃん」と記していること,もう1つはおヨネが自分の肖像写真に,当時流行した「子」を名前につけて「福本ヨネ子」と署名していることである.これらから見えてくるおヨネは,古風な女性というよりも,明るく大からかで,流行に敏感な女性であったと考えられる.
- (キーワード)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス / モラエス / おヨネ
海軍軍人から外交官への転身,
第2670地区ガバナー月信, 16, 2011年12月.- (要約)
- 1897年,兵器買い付けのために日本に滞在していたモラエスは,リスボンから伝えられたマカオ港務司令官の人事異動の決定に強い衝撃を受けた.当時,彼は海軍中佐としてマカオ港務副司令の職にあったが,上司である司令官がそろそろ交代し,その後任には自分が就任するものと思っていた.ところがリスボンの決定は,自分のポストはそのままで,司令官には海軍少佐アントニオ・タロネ・ダ・コスタ・イ・シルヴァが就くというものだった.自分より階級が下の者が上司になってしまう.この決定に対してモラエスは,強い憤りをおぼえると同時に,このような状況でマカオに戻って副司令の職を務めることはできない,と知人に宛てた手紙に書き残している.すぐに彼は,日本に留まることができるようしかるべき処遇を求め,知人を通じてリスボンに懸命に働きかけた.彼は1893年以来,ほぼ毎年のように日本を訪れていて,日本に親しみを抱いていたし,清との戦争で勝利し国際社会での立場を強めた日本との関係を,ポルトガルはもっと強化するべきだとも感じていたからである. 彼の処遇に関するゴタゴタはすぐには解決しなかったが,知人たちはモラエスのために神戸に領事館と領事の職を新たに設けて彼がそこに就けるよう懸命に働きかけ,最終的にはその通りになった.1898年6月8日,マカオ港務副司令の職を解かれたが,同年11月22日に日本に移り住み,神戸大阪駐在副領事の職を得た.日本に移住した時,モラエスは44才であった.まもなく兵庫大阪ポルトガル領事館の発足が認められ,その初代領事に就任した.1899年9月29日のことである. マカオから神戸に移住してからの15年間,外交官としての人生を送った.最後の年の1913年には総領事に昇進している. 軍人から外交官への転身は計画的ではなく,やむを得ずそうなったのだが,モラエスはその仕事を精力的にこなした.日本に関する種々の調査や分析,報告書の作製などの作業は,彼にうってつけだった.また,式典や会合にも積極的に参加した.彼自身は,決して社交的な性格ではなかったが,海軍中佐の肩書きがあり,ポルトガル文壇でも名を知られていた彼は,いつも上席に迎えられ,神戸に駐在する領事で構成される領事団で最年長となってからはその主席も務めた.教養が高く,フランス語や英語が巧みであった彼は,挨拶を求められた時にはフランス語でスピーチをしたという. 領事時代の大きな仕事の一つに1903年3月1日,大阪で開催された第五回産業博覧会がある.モラエスは貿易振興のためポルトガルの各方面に熱心に参加を呼びかけた.ポルトガルから葡萄酒,オリーブオイル,コルク栓およびその原板,缶詰類が手配され,会場に設けられたポルトガルの物産コーナーに展示された.この日のために奔走してきたモラエスは,並べられた展示品に満足し,そのコーナーの写真を絵葉書にして知人達に送った. 博覧会開催中に,神戸港で日本艦隊の観艦式があり,モラエスも招かれた.観艦式の後,艦上で催された明治天皇と陪食の席にも加わった.その時に賜った恩寵煙草は,変質しないようにガラス管に入れ,亡くなるまで大切に保管していた. モラエスはポルトガルの領事として,ポルトガルの利益のことばかりを考えていた訳ではなかった.日本と外国の関係について真摯に考えていた.それを物語るエピソードがある.彼は,神戸の外人墓地によくでかけていたが,それは堺事件で殺されたフランス水兵の墓を詣でるためであった.また,日本にきたロシアの皇太子を巡査が襲った「大津事件」の後で,被害者のロシア皇太子に謝罪の遺書を残して自殺した女性畠山勇子の墓へ参詣するために京都市の末慶寺にも通っていた.日本と外国で起きた紛争に巻き込まれて犠牲となった者たちに対して,国籍や身分に関係なく哀悼していたのである.
- (キーワード)
- モラエス / モラエス研究会
DNAからみたイチョウの日本への伝来・伝播,
ツリー・ドクター, Vol.16, 14-23, 2009年3月.- (要約)
- 日本各地の巨樹イチョウのDNA分析により,イチョウの伝来・伝播について考察した.またDNA分析による「同木伝説」の検証についてや,樹齢について解説した.
- 講演・発表
- Masaya Satoh :
The big and old trees of Japan and Korean Peninsula,
2nd International On-Board Symposium: Human Health, Energy and Environment, Komatsushima, May 2010.- (要約)
- 日本と朝鮮半島は植物の生育環境に恵まれ,森林が発達し,樹種も共通するものが多い.巨樹を崇拝する点でも共通しており,例えば日本では神木の幹に注連縄を張り巡らせる風習があるが,朝鮮半島においても同様に祭事において神木に禁縄を張り巡らせる風習がみられる.一方で,当然ながら異なる点も多い.樹種でいえば,スギとクスノキは日本では巨樹となる代表種であるが,朝鮮半島には自生していない.またケヤキやエンジュは,朝鮮半島では日本よりも重要性が高い. 日本の巨樹研究において1913年に刊行された『大日本老樹名木誌』は極めて重要な資料である.巨樹の1本1本について所在地,地上五尺の周囲,樹高,樹齢,伝説が記されており,写真が掲載されている樹もある.その6年後の1919年には同類の資料として『朝鮮巨樹老樹名木誌』が刊行されている. この2つの資料を比較し,樹種や伝説の相違点を見いだして,そこから見える日本と朝鮮半島の巨樹やその背景となる精神性の違いを明らかにした.
DNA polymorphism in old trees of Ginkgo biloba in Eastern Asia,
Asian Plant Diversity and Systematics, Sakura City, Jul. 2004.- (要約)
- Ginkgo biloba is a very popular tree in Eastern Asia. The old records on G. biloba of the Chinese historical literature were written in the 11th century. G. biloba is considered to be introduced to Japan from China (via Korea?) at the period between the late 13th and the early 14th centuries, according to the Japanese literatures and illustrations. However, the details of the incidents have not been traced yet in any field of sciences. In order to know details of transplantation and propagation of G. biloba we analyzed DNA polymorphism of giant trees (>2 m in trunk diameter at breast height, which are believed to be several hundred years old) in Japan, using their leaves, and compared with some results of the preliminary research made in Korea and China. Polymorphism is detected when the intron of the mitochondrial nad2 gene is analyzed. Up to the present 18 DNA types have been identified in the three countries, Japan (14), Korea (4) and China (11). All the four DNA types got in Korea and seven in China are common to the ones of Japanese, respectively. Judging from geological distribution of the DNA polymorphism in Japan, it is suggested that G. biloba was independently brought into Japan from different regions in Eastern Asia.
- (キーワード)
- Ginkgo biloba / mitochondrial DNA / Plymorphism / diversity
Nonprotein thiols and ascorbate in phytoplankton: Relationship between their cellular concentrations and tolerance against oxidative stress and heavy metals,
The 5gh Asia-Pacific Conference on Algal Biotechnology, Qingdao, Oct. 2003.- (要約)
- 多くの生物種の主要な解毒物質であるグルタチオン,システイン,アスコルビン酸について,各種海洋性植物プランクトンにおける含有量や細胞内濃度を調べ,さらにそれらの酸化度や重金属耐性との相関関係について調べた知見について報告した.
Antioxidant molecules of phytoplankton: quantification and physiological aspects of glutathione, cysteine and ascorbic acid,
Algae2002, Tsukuba, Jul. 2002.- (要約)
- 各種海洋性植物プランクトンにおいて,解毒物質であるグルタチオン,システイン,アスコルビン酸の定量を行い,細胞あたりの含量や細胞内濃度を算出した.さらに,これらの種におけるHg耐性を測定し,解毒物質とHg耐性の関係について調べた結果を報告した.
Nonprotein thiols in microalgae: their quantity and roles,
Phycology Toward The 21st Century, Yamagata, Jun. 2001.- (要約)
- 海洋性植物プランクトンTetraselmis tetratheleについて,重金属の解毒物質であるnonprotein thiolと水銀との相互作用を調べた結果を報告した.さらにその他の植物プランクトンのnonprotein thiol含有量や,Tetraselmisで見つかった新規の重金属結合物質について報告した.
モラエスが暮らした街, --- 街の様子と人々との交流について ---,
モラエス来住111年記念講演会, 2024年7月.- (要約)
- ポルトガルの文豪モラエスが徳島市の伊賀町に来住111周年を記念し,彼が記した伊賀町の様子や近所の人たちの交流をどう作品に描いたかを,彼と交流のあった人の証言とともに紹介した.
- (キーワード)
- モラエス / Wenceslau de Moraes / 伊賀町
衰弱した国指定天然記念物「赤羽根大師のエノキ」の再生に向けて,
徳島生物学会第147回総会, 2024年1月.- (要約)
- 赤羽根大師のエノキの衰弱と枯死対策 徳島県つるぎ町一宇(旧一宇村)は,巨樹が多数存在することから巨樹王国を標榜している.その代表的な巨樹「赤羽根大師のエノキ」は,幹周り8.7 m,樹高18 mと国内で最も大きいことから平成11年(1999)に県の天然記念物に,平成16年(2004)に国の天然記念物に指定された.しかし,それ以降樹勢が衰え始め,2010年代に入ると衰弱の進行が加速した. そこで,令和3年(2021)に保護検討委員会が設置された.すでに6本の大枝のうち,葉を付けていたのは1本のみであり,主幹には亀裂が入り倒壊の危険性があったため,倒壊防止の緊締を行い,樹勢回復のために灌水や土壌改良を行った.しかし,樹勢の悪化は止まらず,翌令和4年(2022)の春には,展開した葉が立ち枯れ,地上部全体が枯れたと判断された.そこで,落枝による被害を防ぐために,根元部分の主幹だけを残して伐採することに決めた.しかし,伐採作業当日の7月12日,樹体の半分以上が倒壊した状態で発見された. 倒壊して露わになった部分は,生きた根が付いていたことから埋め戻した.さらに,倒壊したことによって,樹上に葉の着いた小枝が発見されたり,腐朽した樹体の内部に伸びていた不定根が発見されるなど,生きた部分が確認できたことから,引き続き再生に取り組むことに決め,土壌改良やシカの食害対策を行った. 現状について 令和5年(2023)における状況は以下のとおりである. ・前年の幹の倒壊により樹の大きさは幹周り6.0 m 樹高4.6 mとなった. ・樹上の小枝の成長:前年は20-30 cm位の長さだった枝が1 mを超えるまで成長した.ただし,本体から発生したものではなく,幹の窪みに落ちた種子が発芽成長した可能性がある. ・萌芽:樹の周りの石垣や地面から多くの新しい株が発生していた.これらの中には,落ちた種子が発芽したケースと,本体の根から発生した根萌芽の両方があると考えられた.また,不定根からの萌芽も確認された. 今後について 「赤羽根大師のエノキ」は,一時は枯死を覚悟したが,上記のように再生の兆候を見せている.地元の希望により天然記念物指定の解除は行わず,今後も萌芽した部分の保護や定期的な監視を行い,樹勢の回復を目指していく.
- (キーワード)
- 赤羽根大師のエノキ / 巨樹 / 天然記念物 / 重森三玲 / つるぎ町
旧徳島城表御殿庭園の石組と景観について,
徳島生物学会第147回総会, 2024年1月.- (要約)
- 研究背景 旧徳島城表御殿庭園(千秋閣庭園)は枯山水と池泉庭園を組み合わせた汐入式の回遊式庭園であり,慶長5年(1600)頃に上田宗箇により作庭された.豪華で荒々しい石組を特徴とし,桃山時代を代表する大名庭園として名高く,昭和16年(1941)に国の文化財に指定された.しかし,これまで本庭園の歴史についてしっかりとした研究が行われていない.そこで,われわれは庭園の歴史や石組や植栽の変遷について文献資料,絵図面,古写真などの史料から明らかにすることを試みている. 本庭園は,作庭以来何度か改修が行われてきた.江戸期に描かれた「徳島城御殿絵図」と昭和13年(1938)に重森三玲により作製された「千秋閣庭園平面図」では石組や植栽が異なっているし,さらに,その後空襲や震災で被災したため,昭和32年(1957)に大規模な修復が行われ,石組が修復・改変された.しかし,その際に庭園の図面は作られることなく,現在も昭和13年(1938)の図面がパンフレット等に用いられている.本研究は,庭園の現状を記録として残すべく,庭園内の全ての石の大きさと配置の調査を行ない精密な庭園図を作成中である. 庭園の石組の変遷 庭園全体で大小およそ2400個の石が使われている.現在の庭園は,江戸や昭和初期とは大きく次のような相違がみられる. ・石組は全体的に土砂の流出を防ぐように組み替えられ,また飛び石は回遊性をより意識した配置に組み替えられている. ・池の護岸として小さめの石を敷き詰めた洲浜が昭和初期にはなくなった. ・屋敷や博物館の建て替えにより,建物と庭園の間の敷石は大きく変化した. ・北東の蓬莱山の滝から池に至るまでを水道を利用した流水にしたことに伴って,周辺の石組や園路が変更された. ・庭園中央にはかつて梅ノ御茶屋や御祀堂が建てられていたが,明治にはなくなり,土台の石が撤去され,敷石も置き換えられた. 庭園の景観について 本庭園は回遊式であり,庭園を一巡する間に次々と移り変わる景観を楽しめるようになっている.調査を進めていくなかで,それらの景観を特によく眺めることができるスポットが所々に設けられていることが分かってきた.しかし,庭園の変遷の中で次第に忘れられ,現在適切な維持管理がなされないところがある.例えば,庭園中央部にあった梅ノ御茶屋や御祀堂からは,池,枯山水,渓谷,蓬莱山,紅葉山などを眺め,楽しむことができたが,現在ではただの芝生の広場であり,かつて植えられていた梅や桜もなく,風情の感じられない空間になっている.今後,本庭園を文化財としてまた観光資源として活用していくために,庭園の意匠を理解した整備が望まれる.
- (キーワード)
- 旧徳島城表御殿庭園 / 千秋閣庭園 / 上田宗箇 / 重森三玲
ファイトプラズマに感染した城山のホルトノキの保全, --- 2023年度の治療結果について ---,
徳島生物学会第147回総会, 2024年1月.- (要約)
- ホルトノキ成木の治療 ホルトノキは城山に優占しているため1984年に徳島市の「市の木」に制定され,2009年には「とくしま市民遺産」に選ばれた.しかし,近年,植物病原細菌ファイトプラズマ感染によるホルトノキ萎黄病の蔓延によりほとんどが枯死し,現在は十数本が生存するのみである.当研究室では徳島市の委嘱を受け,2015年から抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)の樹幹注入による治療を行なっている.2023年も生存する木について葉中のファイトプラズマ量をリアルタイムPCRで分析し,最もファイトプラズマの多い木を対象にOTCの樹幹注入を実施した. OTC量の算出 OTCは注入量が多いと副作用によりホルトノキ自体に悪影響を及ぼすため,適切な量を用いる必要がある.治療効果は同じ量を注入しても治療効果は木の大きさによって異なってくるため,2015-2019年度は「幹周り」を参考にOTC量を決め,2020-2022年度は,「樹冠面積×樹高」を指標としてOTC量を決定した.今回,これまでの治療結果を再検討し,樹の大きさの指標(幹周り,樹高,幹の体積,樹冠面積,樹冠面積×樹高)と治療効果との相関を調べた.その結果,「樹高」が最も相関が高く(図1),樹高に基づいてOTC量を算出することとした. 治療結果 城山に生育する成木16本について葉中のファイトプラズマ量を調べ,その中から最もファイトプラズマの多かった1本を選び,ファイトプラズマが1%に減少すると予想される量のOTCを樹幹注入した.その後,定期的に葉を採取し,葉中のファイトプラズマ量をリアルタイムPCRによりモニタリングした.その結果,ファイトプラズマは治療翌日に37%に,2週間後に9.2%に,2ヶ月後に0.6%に減少し,顕著な治療効果がみとめられた(図2).治療効果は治療前に想定した1%と近い値であった. 種子中のファイトプラズマ量の分析 城山のホルトノキの保全には,治療だけでなく次世代の木を育てていくことも課題である.先行研究においてファイトプラズマに感染した成木は,種子にもファイトプラズマが移行するが,発芽し成長する間にファイトプラズマが消失する可能性が示されていた.それを検証するため,治療を行なったホルトノキと行っていない木から種子を使用し,種子や発芽個体のファイトプラズマの推移を調べることにした.種子から子葉と胚乳を取り出して分析した結果,治療の有無にかかわらず,ファイトプラズマは検出されたが,葉に比べてその量は顕著に少なかった.今後,発芽させ,引き続きファイトプラズマの量の推移をモニタリングしていく予定である.
- (キーワード)
- ホルトノキ / Elaeocarpus Yellows / ファイトプラズマ
徳島の樹の文化,
とくしま木づかい県民会議講演会, 2023年8月.- (要約)
- 日本人の樹にみる日本人の自然観を解説した後で,徳島における樹の文化の例として千年前から魚つき林があったこと,吉野川が氾濫の際に巨樹を境界・目印の木としてきたこと,巨樹イチョウが多いこと,つるぎ町の「赤羽根大師のエノキ」の保護対策などを紹介した.
イチョウの話, --- 特徴,伝説,DNA分析からみた伝来・伝播 ---,
みどり学II講座, 2023年7月.- (要約)
- イチョウについて,その生物学的特徴,イチョウにまつわる文化,伝説・伝説,DNA分析からみた伝来・伝播ルートについて解説した
- (キーワード)
- イチョウ / Ginkgo
知られざる宝,徳島中央公園と旧徳島城表御殿庭園, --- 日本で2番目の西洋風近代公園と桃山時代を代表する日本庭園 ---,
歴史文化倶楽部記念講演, 2023年6月.- (要約)
- 日本で2番目に造られた西洋風近代公園である徳島中央公園について,設立の経緯と歴史について解説した.また,同公園の中にある日本庭園は1600年に上田宗箇により作庭されたとされる桃山時代を代表する名庭園であり,その歴史と意匠について解説した.
- (キーワード)
- 徳島公園 / 徳島中央公園 / 西洋風近代公園 / 旧徳島城表御殿庭園 / 千秋閣庭園 / 上田宗箇 / 重森三玲 / 椎原兵市 / 日本庭園
最後の藩主の華麗なる転身, --- 近代日本の礎を築いた蜂須賀茂韶のバランス感覚 ---,
「まなびの森」講演会, 2023年4月.- (要約)
- 蜂須賀茂韶は藩政期の終わりに徳島藩の最後の藩主となり,明治維新後すぐにイギリスに留学し,帰国後は外交官,実業家,政治家として活躍した多彩な顔を持つ人物です.パリでの公使在任中にはジュネーブ条約,日仏間郵便為替条約,メートル条約に署名し,日本文化をパリの人々に紹介しました.実業家としては,日本の経済界を牽引した渋沢栄一や益田孝や大倉喜八郎らと共同で会社を運営し,政治家としては東京府知事,貴族院議長,文部大臣を歴任しました.これらの輝かしい功績を紹介しつつ,彼がどうやって激動の時代をくぐり抜けて成功を収めることができたのか,その理由について考えてみたいと思います.
- (キーワード)
- 蜂須賀茂韶
ファイトプラズマに感染した城山のホルトノキ群落の再生, --- 抗生物質による成木の治療および2006年に植樹した苗木の追跡調査 ---,
徳島生物学会第146回総会, 2023年1月.- (要約)
- ホルトノキ成木の治療 ホルトノキは城山に優占しているため1984年に徳島市の「市の木」に制定され,2009年には「とくしま市民遺産」に選ばれた.しかし,近年,植物病原細菌ファイトプラズマ感染によるホルトノキ萎黄病の蔓延によりほとんどが枯死し,現在は十数本が生存するのみである.当研究室では徳島市の委嘱を受け,2015年から抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)の樹幹注入による治療を行なっている.2022年も生存する木について葉中のファイトプラズマ量をリアルタイムPCRで分析し,最もファイトプラズマの多い木を対象にOTCの樹幹注入を実施した.樹幹注入後,定期的に葉中のファイトプラズマ量をリアルタイムPCRによりモニタリングした.その結果,ファイトプラズマは治療翌日に57%に,3週間後に3%に減少し,治療効果がみとめられた.(図1) 2006年に植樹した苗木の現状と今後の保全 城山のホルトノキの絶滅を防ぐため,2006年にNPO「徳島城址を愛する会」の主唱により300本のホルトノキの苗木が城山の山麓に植樹された.植樹後2年までは徳島市が追跡調査を行い,10年後から当研究室が調査を継続して行なっている.2022年の調査の結果,生存していたのは29本であった.また,植樹エリアには植えた記録のない稚樹が2本見つかり,これらは周囲の成木の種子が発芽した実生苗の可能性が高い.図2は生存木の樹高を植樹エリア別に示したグラフである.生存木は城山の南側エリアに多く,西側エリアでは生存個体がなかった.樹高は最高が5.2 m,最低が82 cmで,個体差が大きい.平均は194 cmであった.植樹から15年が経過したにもかかわらず,樹高が1 mに満たない個体が4本あった.また,ファイトプラズマの感染を調べた結果,9本の感染が確認された. このような結果から,これ以上の消失を防ぎ,健全な成長を促すための対策が必要であると考えた.成長が悪い個体は条件の良い環境下に移植すべきである.また,苗木は1 m程度の間隔で植えられたため,生存個体の多いエリアでは過密となっているため,間引いて移植することを検討する必要がある.
- (キーワード)
- ホルトノキ / Elaeocarpus Yellows / ファイトプラズマ
旧徳島城表御殿庭園の調査, --- 現存する樹木の状態と庭園の景観の変遷 ---,
徳島生物学会第146回総会, 2023年1月.- (要約)
- 研究背景 旧徳島城表御殿庭園(千秋閣庭園)は,枯山水と池泉庭園を組み合わせた汐入式の回遊式庭園であり,慶長五年(1605)頃に上田宗固により作庭されたと言われている.桃山様式の作庭手法を顕著に示した城郭庭園であり,昭和16年(1941)に国の名勝に指定された.昭和20年(1945)の徳島大空襲で被害を受けたが,昭和32年(1957)に大規模な修復が行なわれて現在に至っている.桃山時代を代表すると言われる価値の高い庭園であるが,これまで本庭園についてきちんと取り組んだ研究は行われていない.そこでわれわれは文献資料,絵図面,古写真などの史料から,庭園の歴史および石組と植栽の変遷について明らかにすることを試みている.本研究では,樹木と景観の変遷について報告する. 現存する樹木の状態 現在の庭園の樹木全てについて樹種と大きさの調査を実施した.これらを江戸時代に作成された『徳島城御殿絵図』に描かれた庭園樹木と照合した結果,江戸時代から残る樹木が17本存在すると推定された.これらのうちヒイラギ,ビャクシン,クロガネモチなどは衰弱が進んでおり,樹勢回復の処置が必要である. 庭園の歴史と景観の変遷 江戸時代の絵図面では,庭園中央には梅見茶屋があり,周囲にサクラやウメが植えられていた.また池の北側の築山にはカエデ類が植栽されており,四季折々の風情を感じることのできる庭園であったことがみてとれる.明治維新により管理がおろそかになったが,明治40(1907)年には皇太子の宿泊所として庭園の隣に千秋閣が建設され,庭園も整備された.昭和13(1938)年に庭園研究家重森三玲が調査に訪れた時にも,サクラ,ウメ,カエデは残っていたが,昭和20(1945)年の徳島大空襲により,これらはその他の樹木ともに焼失した.また,翌昭21(1946)年の南海大地震でも被害を受け,地盤沈下によって石組が乱れたが,昭和32(1957)年に復元が行われた. このような盛衰を経た現在,豪華な石組は健在であるが,植栽については花木が乏しく四季の風情があまり感じられない庭園となっている. 今後の庭園管理について 今回の調査により,江戸期から残る樹木の状態や庭園が辿ってきた歴史を明らかにした.これらは庭園の整備の必要性を示す根拠に繋がるとともに,本庭園の歴史における知見を広げたことから,地域観光資源としての価値の向上に繋がると考える. 江戸時代から残る樹木の多くは衰弱がみられるため,早急に樹勢回復を行う必要がある.さらに,本庭園を1年中楽しむために季節を感じる花木の植樹を行うなど,本庭園の価値を高められる維持管理を望みたい.
- (キーワード)
- 旧徳島城表御殿庭園 / 日本庭園 / 上田宗箇 / 重森三玲 / 千秋閣庭園
巨樹と人とのつながり,
国指定天然記念物「赤羽根大師のエノキ」状況説明会, 2022年10月.- (要約)
- 倒壊した国指定天然記念物「赤羽根大師のエノキ」の今後の再生や管理に向けて,古来より日本人が巨樹をどのように捉えてきたか,現代における保護の考え方,赤羽根大師のエノキの再生の可能性,後代の植え継ぎ,巨樹王国一宇としての役割などについて,地域住民に解説した.
- (キーワード)
- 赤羽根大師のエノキ / 巨樹 / 天然記念物 / 樹木医 / 自然保護
城山のホルトノキ群落の再生に向けて, --- ホルトノキ萎黄病の治療と植樹した苗木の追跡調査 ---,
徳島生物学会第145回総会, 2022年1月.- (要約)
- ホルトノキ治療 ホルトノキは城山に優占しているため1984年に徳島市の「市の木」に制定され,2009年には「とくしま市民遺産」に選ばれた.しかし,近年,植物病原細菌ファイトプラズマ感染によるホルトノキ萎黄病の蔓延によりほとんどが枯死し,現在は十数本が生存するのみである.当研究室では徳島市の委嘱を受け,2015年から抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)の樹幹注入による治療を行なっている.2021年も生存する木について葉中のファイトプラズマ量をリアルタイムPCRで分析し,最もファイトプラズマの多い木を対象にOTCの樹幹注入を実施した.その結果,ファイトプラズマは治療翌日に58%,一ヶ月後には0.2%にまで減少し,顕著な治療効果がみとめられた.(図) 植樹した苗木の調査 城山のホルトノキの絶滅を防ぐため,2006年にNPO「徳島城址を愛する会」により300本のホルトノキの苗木が城山の山麓に植樹された.植樹後2年までは徳島市が追跡調査を行い,10年後から当研究室が調査を継続して行なっている.当初植えられた300本のうち10年後の2016年には40本(13.3%)に減少し,15年後の2021年には27本(9.0%)に減少した.成長をみると南側に植えた苗木の樹高が高く,日照条件が成長に大きく関係することが判明した.また,今回の調査で,公園整備で行われている下草苅りの際に伐られてしまうことが苗木の消失の一因となっていることが判明した.そこで,その防止のために公園緑地課に依頼して苗木にプレートを付ける措置を講じた.(写真)
- (キーワード)
- ホルトノキ / Elaeocarpus Yellows / ファイトプラズマ
旧徳島城表御殿庭園の調査, --- 江戸期と現在の石組みと植栽の比較 ---,
徳島生物学会第145回総会, 2022年1月.- (要約)
- 研究背景 旧徳島城表御殿庭園(千秋閣庭園)は,枯山水と池泉庭園を組み合わせた汐入式の回遊式庭園であり,慶長五年(1605)頃に上田宗固により作庭されたと言われている.桃山様式の作庭手法を顕著に示した城郭庭園であり,昭和16年(1941)に国の名勝に指定された.昭和20年(1945)の徳島大空襲で被害を受けたが,昭和32年(1957)に大規模な修復が行なわれて現在に至っている.桃山時代を代表すると言われる価値の高い庭園であるが,これまで本庭園の歴史についてきちんと取り組んだ研究は行われていない.そこで,本研究は本庭園の石組みと植栽の変遷を絵図面等の史料から明らかにすることを試みた. 史料とした絵図面について 安永九年(1780)以前に作製されたと考えられる『徳島城御殿絵図』は,石の形が一つ一つ丁寧に描かれ,植物もある程度種を推定することができる.また,日本庭園研究家の重森三玲が昭和13年(1938)に実測した『千秋閣庭園平面図』は石の大きさや形が克明に描かれ,植物の名称と樹木の幹の太さや樹幹の大きさを表す数値が記されている.これらの2つの絵図面を主要な資料として現在に至る石組みと植栽の変遷について調査を行った. 江戸期からの変化 江戸時代と現在を比較すると,観音堂や御祠堂が無いこと,池の護岸の形状,建物周辺の石畳に大きな変化があった.その一方で,陰石,屏風岩,紫雲石,船石など現在の本庭を特徴付ける石は江戸時代の図面にも描かれている. 植栽は,江戸,昭和初期,現在とで大きく変化した.特にサクラやウメなどの花木や紅葉を楽しむことができる樹木は現在ほとんどない.しかし,現在本庭に植栽されているヒイラギ,マツ,ビャクシン,クロガネモチは,江戸の図面にも描かれていることが判明した. 今後の庭園管理について 今回の研究により,江戸期から残る石組みや植物を明らかにすることができた.本庭園の歴史における知見に加えて,新たな見どころの発見という意味で,地域観光資源としての価値の向上に繋がったと考える. しかし江戸時代から残る樹木の多くは衰弱がみられるため,早急に樹勢回復を行う必要がある.さらに,本庭園を1年中楽しむために季節を感じる花木の植樹を行うなど,本庭園の価値を高められる維持管理を望みたい.
- (キーワード)
- 旧徳島城表御殿庭園 / 日本庭園 / 上田宗箇 / 重森三玲 / 千秋閣庭園
2002年に日本各地に植樹された198本のヨーロッパナラ(イングリッシュオーク)Quercus robur L.の現状,
2021 年度 中国四国地区生物系三学会合同大会香川大会, 2021年6月.- (要約)
- ヨーロッパナラ(通称イングリッシュオーク)Quercus robur L.はヨーロッパを中心に分布するブナ属コナラ科の広葉樹で,代表的な「オーク」として知られる.日本での植栽例は多くはないが,2002年に日英同盟の締結100周年を記念して,在日英国大使館によって英国産の苗木が沖縄県を除く46都道府県197箇所(198本)に植樹された.本調査は,これらの記念樹の今後の保護管理の参考にすることを目的として,各地の現状について聞き取り調査を行った. 全ての植樹先に連絡をとり,111箇所で生存を確認した.生存している木は,北海道から九州南部まで万遍なく分布した.しかし,積雪が多い地域や海岸に近い地域において,枯死したり成長の悪い木が目立った.顕著な病害の発生はみられなかった.害虫に関しては,ボクトウガの一種やカミキリムシ類などの穿孔性昆虫やコガネムシ類による根の食害により枯れたものがみられた.カシノナガキクイムシの被害は確認されなかったが,過去に導入されたヨーロッパナラがカシノナガキクイムシにより枯死した事例があり,ナラ枯れと同じく大径木に被害が生じる可能性がある.
- (キーワード)
- イングリッシュオーク / ヨーロッパナラ / Quercus robur / 日英同盟 / 日英グリーン同盟
ファイトプラズマに感染した城山のホルトノキの治療実績の検証, --- 過去5年間の抗生物質による治療効果の数値化,およびそれに基づく2020年の治療の結果 ---,
徳島生物学会第144回総会, 2021年2月.- (要約)
- 研究背景 ホルトノキは城山に優占していることから1984年に徳島市の「市の木」に制定され,2009年には「とくしま市民遺産」に選ばれた.しかし,1975年の調査では胸高直径が15㎝以上の木は224本存在していたホルトノキは,ホルトノキ萎黄病の蔓延により現在では成木が20本以下にまで減少している.ホルトノキ萎黄病は,植物病原細菌ファイトプラズマの感染により引き起こされる病気であり,病徴は葉の黄化,葉数の減少,枯枝の増加と推移し,最終的に枯死に至る.徳島市のシンボル的存在である城山のホルトノキを消滅から守るため,当研究室では徳島市の委嘱をうけて2015年より抗生物質であるオキシテトラサイクリン(OTC)の樹幹注入による治療を実施してきた.今回,過去5年間の治療実績を検討し,適切なOTC量を算定し,それに基づいて本年度の治療を実施した. 治療効果の検証 薬剤の効果は同じ量を注入しても治療効果は木の大きさによって異なってくる.これまでは用いるOTC量は,治療対象木の幹周囲を参考に決定していたが,期待した効果が出なかった例もあった.そこで,これまでの5年間で実施した7本について,幹周囲に加えて他の指標(樹高,幹の体積,樹冠面積,樹冠面積x樹高)と治療効果との相関を調べた.その結果,樹冠面積x樹高が最も相関が高かった(図1). 2020年度の治療 城山のホルトノキの成木16本のファイトプラズマ量を調べ,最も多かった木を2020年の治療対象とした.OTC量は,上記の相関関係からファイトプラズマが1%にまでに減少すると期待される7 gを樹幹注入した.その後,定期的に葉を採取し,リアルタイムPCRによりファイトプラズマ量の変化をモニタリングした.その結果,図2に示すように,OTC注入1日後にファイトプラズマは59.1%に減少し,1週間後は17.8%,1ヶ月後には0.15%にまで減少した.一方,治療を行なわない対照木では,ファイトプラズマ量に大きな変化は見られなかった. この結果を加えて,再度治療効果と木の大きさに関する各種指標との相関を分析したところ,やはり樹冠面積x樹高が最も相関が高かった.この指標は,今回の指標の中では木全体の大きさを最もよく表している考えられることから,納得できる結果であると言える.この指標を用いて今後のホルトノキの治療を継続していく予定である.
- (キーワード)
- ホルトノキ / Elaeocarpus Yellows / ファイトプラズマ
日本に植樹されたイングリッシュオーク(ヨーロッパナラ)の現状, --- 2002年に全国に植樹された197本の追跡調査 ---,
徳島生物学会第144回総会, 2021年2月.- (要約)
- 背景 イングリッシュオーク(和名:ヨーロッパナラ,学名:Quercus robur L.)はヨーロッパを中心に分布するブナ属コナラ科の広葉樹で,代表的な「オーク」として知られる.日本ではあまり植えられていなかったが,日英同盟の締結100周年を記念して2002年に,在日英国大使館の春海氏によって同年に英国産のイングリッシュオークの苗木が沖縄県を除く46都道府県の196箇所に1本ずつ植えられた.そのうちの1本は徳島大学総合科学部1号館前に植樹されたが,2019年にボクトウガの被害を受けて地上部が枯れ,現在養生中である.本研究は,イングリッシュオークの今後の保護管理のあり方を検討することを目的として,当時植樹された他の木の現状の聞き取り調査を行った.本報告では植樹場所とその気候や環境などから生存率,枯死の原因について分析した結果を紹介する. 徳島大学の木 2019年の10月に,幹の地上部近くに多数の穿孔性昆虫による孔を発見した.開口部に抜け殻が複数残っており,状況からボクトウガであると判断した.2020年春はまったく芽吹かず,地上部の枯死を確認した.根は生きていることから,延命を図ることとし,今年の6月業者の手によって,地上部1 mほどを残して伐採し,殺菌剤を切り口に塗布し,養生した. 全国の調査結果 全ての植樹先196箇所に連絡をとり,170箇所から回答を得た.イングリッシュオークが現在も残っているのは111箇所(112本)であった.北海道や長野など積雪が多い地域や比較的海岸に近い地域において枯死が確認されたが,北海道から九州南部まで万遍なく生育が確認されたことから,日本の気候に幅広く適応していると考えられた.成長の早い個体(樹高7 m以上)は植物園や学校に多くみられ,気候条件よりも定期的な管理が成長に寄与していると考えられた. 病害に関しては,特定の病気が顕著に発生していることはみられなかった.害虫に関しては,葉の食害や穿孔性昆虫による被害が確認されたものは多くはなかったが,穿孔性昆虫の駆除を行った後,成長が回復したという例もあった.害虫発生は,瀬戸内や太平洋側で比較的多く見受けられた.一方,北海道や東北地方では害虫の報告がなく,害虫の分布が異なっている可能性が考えられる. 徳島県の木 徳島県には2002年に徳島大学と四国大学,阿南西部公園の3箇所に植えられた.四国大学の木は,なくなっていることが確認された.阿南西部公園の木は現在樹高8 mに成長しているが,近年カミキリムシの被害が激しい.また,植樹された当時に設置されたプレートが撤去されていたため,阿南市役所に依頼して新たに詳しい案内文を付して設置し直してもらうことにした.
- (キーワード)
- ヨーロッパナラ / イングリッシュオーク / Quercus robur / 日英グリーン同盟 / 植樹
城山のホルトノキ萎黄病の現状, --- ファイトプラズマに感染した成木の5年間の治療の結果と2006年に植林した苗木について ---,
徳島生物学会第143回総会, 2020年1月.- (要約)
- ホルトノキは関東以西の本州の太平洋沿岸, 四国および九州の沿岸地域の主要な森林構成樹種である.近年,植物病原細菌ファイトプラズマの感染によるホルトノキ萎黄病がまん延し,各地でホルトノキの枯死が報告されている.ホルトノキは徳島市の城山に優占していたことから,1984年に徳島市の「市の木」に制定され,2009年には「とくしま市民遺産」に選ばれた.しかし,1975年の調査では胸高直径が15㎝以上の木は224本存在していたホルトノキは徐々に衰退し(森本・西浦1987),現在では20本以下に減少している.われわれは,2014年に城山のホルトノキの枯死の原因は,他所と同様にホルトノキ萎黄病であること,そして生存する成木もすべてファイトプラズマに感染していることを確認し(佐藤ら2014),翌年から保全に取り組んでいる.本報告では,これまでの経緯と現状について紹介する. 抗生物質による治療 ホルトノキ萎黄病には,抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)を樹幹注入することが有効であるという先行研究があり(河辺ら2006),2015年からわれわれも実施している.毎年,城山のホルトノキの成木のファイトプラズマ量をリアルタイムPCRにより定量し,ファイトプラズマ量が顕著に多い木に対してOTCを樹幹注入し,治療後のファイトプラズマの減少を継続的にチェックし,効果を確認している.しかし残念ながらOTC投与量を増やすとホルトノキ本体にも薬害が発生するため,ファイトプラズマを完全に消滅させることはできないと考えられており,われわれの結果でも消滅まで至っていない.いかに効率的な治療を行うか模索している. 植林した苗木の現状 城山のホルトノキの絶滅を防ぐため,2006年にNPOによりホルトノキの苗木300本が城山山麓に植樹された.苗木は,本会の森本康滋氏が城山から採取した種子と園芸業者が県内の森林で採取した種子から育てたもので,50 cmくらいに育った苗木がNPO「徳島城址を愛する会」および一般参加者の手で植えられた.10年経った2016年に追跡調査を行った結果,300本のうち40本が残っており,生存率は13%であった(佐藤ら2016).2019年4月の調査ではさらに減少し,35本となっている. 森本康滋・西浦宏明.「城山のホルトノキ群落 — ホルトノキの枯死の現状」. 徳島県高等学校理科学会誌 28:30-34(1987) 河辺ら.「ホルトノキ萎黄病の抗生物質薬剤樹幹注入による治療試験」. 第117回日本森林学会大会. (2006) 佐藤ら.「徳島市城山のホルトノキの衰弱・枯死の原因について ― ホルトノキ萎黄病を引き起こすファイトプラズマの深刻な感染状況 ―」. 徳島大学自然科学研究. 28:25–29(2014) 佐藤ら.「2006年に徳島市城山に植樹されたホルトノキの苗木の現状 — 生育状況とホルトノキ萎黄病感染状況について —」.徳島大学地域科学研究. 6:11–17(2016)
- (キーワード)
- ホルトノキ / ホルトノキ萎黄病 / ファイトプラズマ
Protection of Elaeocarpus zollingeri tree in Mt. Shiroyama in Tokushima City from Elaeocarpus yellows,
Sustainable Seminar in Tokushima 2019 (SST2019) - Biodiversity, Society, and Agriculture in Future -, Sep. 2019.- (要約)
- 徳島市の城山はかつてホルトノキが優占し,「市の木」や「市民遺産」に指定されている.しかし,ホルトノキ萎黄病により消滅の危機に瀕しており,現在,20本未満の成木が生き残っているのみであり,すべてフィトプラズマに感染している. 私の研究室では,2015年以降,抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)による治療を施している.また,2006年にNPOにより城山に植樹された300本の苗木についても,生存数と成長度を調査している.これらの結果について発表した.
- (キーワード)
- ホルトノキ萎黄病 / ホルトノキ / ファイトプラズマ
モラエスの前半生の軌跡, --- 生い立ちから日本移住まで ---,
モラエス顕彰による「ふるさと創生」プロジェクト, 2019年9月.- (要約)
- 晩年を徳島で過ごしたポルトガル人作家モラエスの前半生を紹介するとともに,ポルトガルの歴史,当時のポルトガルと日本の状況,ポルトガル文壇における彼の評価などについても解説した.
- (キーワード)
- モラエス / ヴェンセスラウ・デ・モラエス / ポルトガル
ドイツ俘虜により大麻比古神社の杜の中に作られた公園, --- 公園・ドイツ橋・めがね橋が作られた経緯と意義について ---,
ドイツ橋・ドイツ兵の慰霊碑建設100周年記念講演会, 2019年7月.- (要約)
- 板東俘虜収容所にいたドイツ兵たちが大麻比古神社に築いたドイツ橋とめがね橋は,作られてからちょうど100年経つのを記念し,彼らが橋や公園を作った目的と意義について講演し,その後で現地で実物を見ながら解説を加えた.
- (キーワード)
- 板東俘虜収容所 / ドイツ橋 / めがね橋 / 大麻比古神社 / 鳴門市ドイツ館
おヨネ,コハル,千代子に授けられた戒名に対するモラエスの解釈, --- 魂の救済と死後に生きる存在として ---,
モラエス翁91回忌, 2019年7月.- (要約)
- モラエスが日本の戒名に関心が高く,三人の日本人女性の戒名を独自に解釈したことについて解説した.彼にとって,戒名は魂の救済の証として機能するだけはなく,新しい存在へと移行した死者の個性を定義して,自分にとって理想の存在として祀りあげるための手段とした.
- (キーワード)
- モラエス / 戒名
ドイツ橋近辺散策解説会,
ドイツ橋架橋100年記念イベント, 2019年6月.- (要約)
- 大麻比古神社にて開催された「ドイツ橋架橋100年記念イベント」において散策解説会を実施し,板東俘虜収容所にいたドイツ俘虜が築いたドイツ橋,めがね橋や公園について解説した.
- (キーワード)
- ドイツ橋 / めがね橋 / 板東俘虜収容所 / 大麻比古神社
ホルトノキにおけるファイトプラズマの垂直感染について,
2019年度中国四国地区生物系三学会合同大会広島大会, 2019年5月.- (要約)
- ホルトノキは関東以西の本州の太平洋沿岸, 四国および九州の沿岸地域の主要な森林構成樹種である.近年, 植物病原細菌ファイトプラズマの感染によるホルトノキ萎黄病がまん延し, 各地でホルトノキの枯死が報告されている.徳島市の城山では,かつてホルトノキが優占し,「市の木」や「市民遺産」に指定されているが,現在では20本以下に減少している.ホルトノキ群落を再生させるには,植林あるいは天然更新が必要である.本研究は,ファイトプラズマの垂直感染の様相について明らかにし,天然更新の促進の可能性を探ることを目的とし,野生の稚樹の探索,成木の結実数の調査,種子中のファイトプラズマの分析を行なった. その結果,天然更新で生じたと考えられる稚樹を2本発見した.傍には親木と考えられる木があり,これらの葉からDNAを抽出して分析した結果,いずれもファイトプラズマに感染していた.よって,世代交代は行われるものの,ファイトプラズマは種子感染により次世代に伝わると考えられた.また,城山に残存する成木15本の結実を調べた結果,結実が確認できたのは7本であり,採取できた数はそれぞれ1∼5個であった.これは近隣に人為的に植栽されたホルトノキと比べて極めて少ない.果実から種子を取り出し,胚のDNAを分析した結果,全ての種子からファイトプラズマが検出された.しかし,葉と比べると細胞あたりのファイトプラズマ存在量は少なく,葉の3万分の1になっているものもあった.これらの結果から,城山のホルトノキの天然更新が稀であるのは,結実数の減少が大きな要因となっていると考えられた.
- (キーワード)
- ホルトノキ / ホルトノキ萎黄病 / ファイトプラズマ / 垂直感染
喜賓会設立における蜂須賀茂韶の存在と旅行案内所に描かれた四国,
徳島大学総合科学部公開セミナー「人文知・社会知への誘い」, Vol.21, 2019年4月.- (要約)
- 日本で最初に作られた外国人観光客の誘致のための組織は明治26年(1893)に設立され喜賓会(The Welcome Society)であり,会長に就いたのは徳島藩最後の藩主で,明治維新後は外交官,政治家,実業家として活躍した蜂須賀茂韶である.近年,観光産業に関する研究が盛んになるとともに喜賓会に言及する研究が増えてきたが,蜂須賀茂韶については深く取り上げられることがなかった他,本研究は蜂須賀茂韶が会長となった経緯を調べた.蜂須賀茂韶は,外交において,交通インフラのビジネスにおいて,そして政治家として,喜賓会の創立メンバーの多くと幅広く太い人脈を有していた.喜賓会の創立時には,貴族院議長という要職にあり,また侯爵というメンバーの中で最も高い爵位を有していることが会長に選ばれた大きな理由であることに間違いないだろうが,肩書きだけの問題ではなく,名実ともに会長にうってつけの人物であったと言える. 次に喜賓会が発行した外国人向けのガイドブックに四国がどのように扱われているか調べた.ガイドブックに示された推奨プランのうち,四国で入っているのは道後温泉のみで,それも3週間よりも長い旅行期間が取れる場合である.遍路や四国霊場はほとんど紹介されていない.四国は観光地としての価値が極めて低いと言わざるを得ないが,その大きな要因となっているのは交通の不便さにあったと考えられる.
- (キーワード)
- 蜂須賀茂韶 / 喜賓会 / インバウンド / 四国 (Shikoku)
徳島の巨樹, --- その歴史・伝承・保護について ---,
オンリーワンとくしま学講座, 2018年6月.- (要約)
- 自然豊かな徳島には,誇るべき巨樹もまた多く存在し,訪れる人に感動を与えます.この講座では徳島の巨樹の歴史や伝承について紹介するとともに,その価値や保護について考える.
- (キーワード)
- 巨樹 / オンリーワンとくしま学講座 / 天然記念物
徳島中央公園の設計理念と変遷徳島中央公園の設計理念と変遷, --- 日本で二番目の西洋風近代公園としての意味と今に息づく自然保護思想について ---,
「まなびの森」講演会, 2018年5月.- (要約)
- 徳島中央公園(旧徳島公園)は,明治39(1906)年に旧徳島藩主の居城跡に開設された日本で二番目の西洋風近代公園であり,徳島市の中心部に位置する総合公園として親しまれてきた.この公園を設計した本多静六は,「徳島公園は公園としての資質を備ふる点に於て蓋し日本の各公園中第一位」と讃えたが,その大きな理由は公園内の城山の存在であった.彼は公園造りにおいて城山の貴重な天然林にできるだけ手をつけず,以降,現在まで城山は豊かな自然が保たれている.本講演では,徳島中央公園の設計理念や変遷について,さらにドイツの伯爵の城がモデルとなっていること,城山に息づく自然保護思想などについて紹介した.
- (キーワード)
- 徳島中央公園 / 徳島公園 / 造園設計 / 本多静六 / ザイファースドルフ城
ファイトプラズマに感染した徳島市城山に生育するホルトノキの治療,
2018年度生物系三学会中国四国支部大会山口大会, 2018年5月.- (要約)
- ホルトノキは関東以西の本州の太平洋沿岸, 四国および九州の沿岸地域の主要な森林構成樹種である.近年, 植物病原菌ファイトプラズマの感染によるホルトノキ萎黄病がまん延し, 各地でホルトノキの枯死が報告されている.徳島市の城山においても1975年の調査では胸高直径が15㎝以上の木が224本存在していたが,現在では15本にまで減少している.演者らは「市の木」や「市民遺産」に指定されている城山のホルトノキを守ることを目的として, 2015年から治療を実施しており, その実績について報告する.治療は抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)の樹幹注入により行い, リアルタイムPCRにより葉中のファイトプラズマ量の変動をモニタリングして効果を確認した.治療効果は木のサイズにより大きく異なり,小さい方がより効果が高かった.最も効果が高かったものは,ファイトプラズマが治療前の1/300に減少した.この木は2015年秋に治療を実施し,2017年春の調査では葉中のファイトプラズマが最も多い木と比較しておよそ10万分の1となっており,治療効果が継続していることが確認された.OTCの投与量を増やすと薬害が発生することが知られているため,ファイトプラズマを消滅させることが可能か不明だが,薬害を出さずに最大限の治療効果を引き出すことができる条件を見極めていくことが課題である.
- (キーワード)
- ホルトノキ / ホルトノキ萎黄病 / ファイトプラズマ / オキシテトラサイクリン
国指定天然記念物「野神の大センダン」の樹勢回復にむけて,
徳島生物学会第139回総会, 2018年1月.- (要約)
- センダン(Melia azedarach)は伊豆半島以西の海岸近くに生える落葉高木である.センダンは,飛鳥時代から庭園に植栽されていた樹種であり,平安時代後期の鳥羽離宮跡ではマツやサクラとともに庭園の主要な構成樹木であった.しかし,処刑者の首をセンダンの木に晒す「獄門の木」として用いられるようになったことから,平安時代末期以降,植栽を忌む地域もあった.そのような風習も過去のものとなり,現在では学校や公園に植えられることも多い. 阿波市阿波町野神にある「野神の大センダン」は,幹周りが日本で最も大きく,昭和28(1953)年に徳島県の天然記念物に,昭和32(1957)年に国の天然記念物に指定された.しかし,指定時には「樹勢さかん」であったが,次第に衰弱していき,昭和53(1978)年には「早急に対策が必要」な状態となった.その後,倒木防止対策などがとられ,平成24(2012)年に徳島県樹木医会により大掛かりな外科的治療が施された.それにより,樹勢の衰弱は治まったように見えるが,樹勢の回復が認められるまでには至っていない. この樹は,4.5 m x 8.8 mの長方形の柵で囲まれており,柵の内側は土が入っているが,柵の外側はコンクリートやアスファルトで覆われている.そのため,根の活力低下が樹の衰弱の原因である可能性が考えられ,根張り範囲調査が平成26(2014)∼平成28(2016)年にかけて実施された.その結果,根系が極めて貧弱であることが判明し,樹勢の回復には根系の活性化が必須であることが明らかになった. このような結果に基づき,平成29(2017)年に木下氏を委員長とした整備計画策定委員会が組織され,同委員会と阿波市の関係部局が中心となって,文化庁の天然記念物部門調査官や徳島県教育委員会の助言を得ながら整備計画が策定された.整備計画では,樹の周りに樹根育成ゾーンを設けて,新たな根の成長促進を図ることや,さらにその周りを見学学習ゾーンとして整備し,天然記念物に親しんだり学習の場とすることが定まった.すでに工事は着工しており,今年度中に整備が完了する予定である. 整備計画策定に伴い,「野神の大センダン」に関する歴史調査も行われた.昭和53(1978)年発行の『徳島県の文化財』には,江戸時代の地図に「株せんだん」として記録されているとある.しかし,調査した限りでは,そのような地図を見つけることはできなかった.この樹に関する最も古い資料は,昭和27(1952)年の『久勝町史』であり,それ以前の資料は見つからなかった.同書によると,この樹は大正の頃までは荒れ地にあったが,讃岐方面から高越権現に参詣する者の道しるべとなっていた.また,「屋敷の西北隅には椋または榎,栴檀等の結実する落葉樹がよい.」「辰巳に栴檀の木があるのは良いが,鬼門に桃の木のあるを忌む.」と記されている.センダンを縁起が悪い木として屋敷に植えることを嫌う地域もあるが,当地ではむしろ積極的に植栽していたことが分かった.
- (キーワード)
- 野神の大センダン / 国指定天然記念物
文理融合の問題解決型授業「総合科学実践プロジェクト」の5年間の取り組みの成果,
大学教育カンファレンスin徳島, 2018年1月.- (要約)
- 2013年から2017年まで5年間にわたって総合科学部3年生に対して問題解決型授業「総合科学実践プロジェクト」を担当した.2年目に手がけた城山のホルトノキ萎黄病の調査は,社会的な反響も大きく,以降続けて実施した.野外調査や研究室での生物実験を行ったが,通常の90分の授業内で終えるよう工夫した.また,授業を通して自然保護に対する意識を高め,公園の管理の在り方について考えさせるよう努めたが.これらについて受講生の反応とともに報告する.
- (キーワード)
- 問題解決型授業 / フィールドワーク (fieldwork)
ホルトノキ萎黄病を引き起こすファイトプラズマの同定,
樹木医学会第22回大会, 2017年11月.- (要約)
- 1.はじめに ファイトプラズマはMollicutes綱に属する植物病原細菌であり,世界各地で甚大な被害を与えている.ファイトプラズマは16S rRNA遺伝子の塩基配列によって分類され,世界中で約40種が報告されており,日本で発生するファイトプラズマとしては,Candidatus Phytoplasma asteris やCa. P. japonicumなど 7種が知られている. 近年,日本各地のホルトノキ (Elaeocarpus zollingeri (synonym: E. decipiens, E. sylvestris var. ellipticus)) において,葉の黄化や樹冠透過の症状が見られ,急激に衰弱,枯死する病害が発生している.ホルトノキは街路樹として用いられる常緑樹であると同時に,天然記念物や文化財に指定されている個体も多いが,本病発病により文化財等の指定が解除されるという問題も生じている.1999年にファイトプラズマによる病害であることが報告されたが,未だ種は特定されていなかった.本研究ではホルトノキ萎黄病について,病原ファイトプラズマの種を同定するとともに,本病防除に役立てるため,感染地域を明らかにすることを目的とした. 2.材料と方法 本研究では,東京都文京区の街路樹,港区の公園3箇所および徳島県,沖縄県各地のサンプルを使用した.これらホルトノキ罹病樹からファイトプラズマDNAを含む植物DNAを抽出した.抽出DNAを鋳型とし,16S rRNA遺伝子領域およびsecA遺伝子領域を標的としたファイトプラズマ特異的プライマーを用いて,PCRないしNested PCRを行った.これらのDNA増幅産物をシーケンスし,配列比較,解析を行った.また,MEGA7を用いて最尤法により系統樹を作成した. 3.結果と考察 ファイトプラズマの分類では,①1.2 kbp以上の16S rRNA遺伝子配列を用いて解析を行い,②相同性が97.5%以上の場合に同種とされる.16S rRNA遺伝子領域を増幅するPCRによってファイトプラズマ感染の有無を検出した結果,採取した全地域のサンプルから,DNA増幅が確認された.増幅産物の塩基配列を解析した結果,16S rRNA遺伝子の配列はCa. P. malaysianumタイプ系統 (MaPV) の配列と99.3%の相同性を示したことから,ホルトノキ萎黄病の病原ファイトプラズマは同暫定種に分類されることが示された.本種はマレーシアで発見され,2013年に新種として報告されたファイトプラズマであり,日本での発生が確認されたのは本研究が初めてである.日本各地のホルトノキ萎黄病ファイトプラズマは,16S rRNA遺伝子の系統樹においてMaPVなど既報のマレーシア系統とは独立した1つのクラスターを形成したことから,MaPVと同種ではあるが異なる新系統であると示唆された.また西表島のサンプルから増幅されたsecAの配列は他の国内サンプルと7塩基異なり,系統樹上でも分離するなど,国内サンプル間でも遺伝的多様性が認められた.
- (キーワード)
- ファイトプラズマ / ホルトノキ萎黄病 / ホルトノキ
Protection of trees, --- as the symbol of humans-nature coexistence ---,
2017 International Seminar on Sustainable Global Society, Oct. 2017.- (要約)
- 巨大な木は特別な存在であり,日本だけでなく多くの国で尊敬されている. 巨木は自然の偉大さを感じさせ,長い歴史を想像させる. したがって,私たちは将来それらを引き継がなければならない. 日本人にとって森林や樹木は非常に宗教的で神聖な存在であった. 巨大な木々に対する神秘的な感情は,人々の中にまだある程度残っているが,現在は天然記念物として法律により保護されている.このような歴史を紹介するとともに,私が徳島で行っている天然記念物の保護活動について紹介する.
- (キーワード)
- 巨樹 / 天然記念物 / 国指定天然記念物
ホルトノキ萎黄病ファイトプラズマの 種の同定,
平成29年度日本植物病理学会大会, 2017年4月.- (要約)
- 日本各地のホルトノキ(Elaeocarpus sylvestris var. ellipticus)においてファイトプラズマによる萎黄病が発生し問題となっているが,これまで病原体の種は不明であった.そこで,沖縄県,徳島県および東京都の罹病樹からDNAを抽出し,16S rRNAおよびsecA遺伝子領域の増幅・系統解析を行った.その結果,16S rRNA 遺伝子の配列はマレーシアで報告されたCandidatus Phytoplasma malaysianum タイプ系統(MaPV)の配列と99%相同であり,ホルトノキ萎黄病の病原ファイトプラズマは同暫定種に分類されることが示された.Ca. P. malaysianumの日本での発生が確認されたのは本研究が初めてである.日本各地のホルトノキ萎黄病ファイトプラズマは,16S rRNA遺伝子の系統樹においてMaPVなど既報のマレーシア系統とは独立した1つのクラスターを形成したことから,MaPVなどと同種ではあるが異なる系統であると示唆された.また西表島のサンプルから増幅されたsecAの配列は他の国内サンプルと7塩基異なるなど,国内サンプル間でも遺伝的多様性が認められた.
- (キーワード)
- ファイトプラズマ / ホルトノキ萎黄病 / ホルトノキ
城山におけるホルトノキ萎黄病の状況, --- 試験治療の結果と10年前に植林した苗木の現状について ---,
徳島生物学会第137回総会, 2017年1月.- (要約)
- 徳島市の城山は,かつてホルトノキ群落が発達し,「市の木」に制定されたが,近年枯死が進み(森本・西浦1987),現在は植林した苗木を除くと14本を残すのみである.最近になって,枯死の原因がファイトプラズマの感染によるホルトノキ萎黄病であると断定された(佐藤ら2014).そして2015年にわれわれは,城山のホルトノキを守ることを目的として,本病に効果があると報告されている抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)を用いた方法(河辺ら2006)による2回の試験治療を実施したので,その結果について報告する.1回目は抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)を主成分とした農薬マイコシールドを木全体に散布し,2回目は0.34%OTCを100 mL樹幹注入した.そして,葉からDNAを抽出し,リアルタイムPCRによりファイトプラズマの変動を調べた.その結果,マイコシールド散布では小径木でファイトプラズマの減少が確認されたが,大径木では確認されなかった.OTCの樹幹注入では小径木でも大径木でもファイトプラズマの減少が確認された.OTC投与量を増やすと薬害が発生するため,ファイトプラズマを完全に消滅させることは難しいが,定期的にモニタリングし,症状が悪化する兆候が表れた際に樹幹注入を行うことにより延命が可能であると考えられる. また,ホルトノキを絶やさないために2006年にNPOによりホルトノキの苗木300本が城山山麓に植樹された.苗木は,本会の森本康滋氏が城山から採取した種子と園芸業者が県内の森林で採取した種子から育てた苗を150本ずつ植えた.植樹は,NPO「徳島城址を愛する会」主催で一般参加者も交えて行われ,城山山麓を取り囲むように設けられた19区画にそれぞれ15本または16本ずつ植えられた.10年経った今年,それらの苗木の生育状況を調べた(佐藤ら2016).調査の結果,300本のうち40本が生存していた.さらにファイトプラズマの感染についても調べた結果,3本が感染しており,他の苗木への感染拡大を防ぐために徳島市公園緑地課に許可を得てこれら3本については除去した. 森本康滋・西浦宏明.「城山のホルトノキ群落 — ホルトノキの枯死の現状」. 徳島県高等学校理科学会誌 28:30-34(1987) 河辺ら.「ホルトノキ萎黄病の抗生物質薬剤樹幹注入による治療試験」. 第117回日本森林学会大会. (2006) 佐藤ら.「徳島市城山のホルトノキの衰 弱・枯死の原因について ― ホルトノキ萎黄病を引き起こすファイトプラズマの深刻な感染状況 ―」. 徳島大学自然科学研究. 28:25–29(2014) 佐藤ら.「2006年に徳島市城山に植樹されたホルトノキの苗木の現状 — 生育状況とホルトノキ萎黄病感染状況について —」.徳島大学地域科学研究. 6:11–17(2016)
- (キーワード)
- ホルトノキ / ホルトノキ萎黄病 / ファイトプラズマ / 徳島市 (Tokushima city) / 城山
城山のホルトノキの現状, --- 病気の状況と2006年に植えた苗木のその後について ---,
徳島城を知るセミナー, 2016年12月.- (要約)
- 消滅寸前となった徳島市城山の野生のホルトノキの状況と,その治療の取り組みについて,また,2006年に「徳島城址を愛する会」主催で植樹したホルトノキの苗木300本の現状について調査した結果について紹介する講演を行った.
- (キーワード)
- ホルトノキ / ホルトノキ萎黄病 / 徳島市 (Tokushima city) / 徳島城址を愛する会 / 城山
ドイツ橋とめがね橋はなぜ作られたのか?, --- ドイツ兵による公園作りの全貌 ---,
エンゲル・松江記念市民音楽祭, 2016年11月.- (要約)
- 板東俘虜収容所にいたドイツ兵たちが,大麻比古神社の境内に作った公園の全貌について紹介し,ドイツ兵の生活の中に散歩や音楽が欠かせないものであったことを論じた.
- (キーワード)
- 板東俘虜収容所 / 大麻比古神社 / 公園 / ドイツ橋 / エンゲル・松江記念市民音楽祭
徳島市城山におけるホルトノキ萎黄病の被害と対策について,
日本植物学会第80回大会, 2016年9月.- (要約)
- 徳島市の城山は,かつて「市の木」に制定されるほどホルトノキ群落が発達していたが,近年枯死が進み,現在は植林した苗木を除くと14本を残すだけである.演者らは2014年にその枯死の原因が,日本各地で発生しているホルトノキの枯死と同じくファイトプラズマの感染によるホルトノキ萎黄病であることをつきとめ,2015年に城山のホルトノキを守ることを目的として2回の試験治療を実施した.1回目は抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)を主成分とした農薬マイコシールドを木全体に散布し,2回目は0.34%OTCを100 mL樹幹注入した.そして,葉からDNAを抽出し,リアルタイムPCRによりファイトプラズマの変動を調べた.その結果,マイコシールド散布では小径木でファイトプラズマの減少が確認されたが,大径木では確認されなかった.OTCの樹幹注入では小径木でも大径木でもファイトプラズマの減少が確認された.OTC投与量を増やすと薬害が発生するため,ファイトプラズマを完全に消滅させることは難しいが,定期的にモニタリングし,症状が悪化する兆候が表れた際に樹幹注入を行うことにより延命が可能であると考えられる.また,2006年にNPOにより城山山麓に植樹されたホルトノキの苗木300本について残存状況と感染状況を調査した.その結果,残っているのは1割程度であり,うち3本がファイトプラズマに感染していた.
- (キーワード)
- ホルトノキ / ホルトノキ萎黄病 / ファイトプラズマ / 植林
ホルトノキ萎黄病に感染した徳島市城山のホルトノキの試験治療について,
2016年度生物系三学会中国四国支部大会鳥取大会, 2016年5月.- (要約)
- 徳島市の城山にはかつてホルトノキ群落が発達しており,ホルトノキは「市の木」に制定されるなど市民に親しまれている.しかし,近年枯死が進み,現在は植林した苗木を除くと14本を残すのみとなっている.演者らは2014年にその枯死の原因が,日本各地で発生しているホルトノキの枯死と同じくファイトプラズマの感染によるホルトノキ萎黄病であることをつきとめ,2015年に城山のホルトノキを守ることを目的として試験治療を2回実施した.1回目は抗生物質オキシテトラサイクリン(OTC)を主成分とした農薬マイコシールドを木全体に散布し,2回目は0.34%OTCを100 mL樹幹注入した.そして,治療前後のホルトノキの葉からDNAを抽出し,リアルタイムPCRによりファイトプラズマ量の変動を調べた.その結果,OTCの樹幹注入の方がマイコシールド散布よりもファイトプラズマの減少の程度が大きかった.また,サイズの小さな木の方が効果が強く表れた.OTC投与量を増やすと薬害が発生するため,ファイトプラズマを完全に消滅させることは難しいとされている.しかし,定期的にファイトプラズマ量をモニタリングし,症状が悪化する兆候が表れた場合に樹幹注入を実施するという方針により延命できるものと考えられる.
- (キーワード)
- ホルトノキ / ホルトノキ萎黄病 / オキシテトラサイクリン / ファイトプラズマ
ドイツ兵が造った大麻比古神社境内林の公園,
徳島生物学会第135回総会, 2015年12月.- (要約)
- 鳴門市大麻町板東に鎮座する大麻比古神社の境内には,本殿裏の林内に「ドイツ橋(独逸橋)」,「めがね橋」と呼ばれる2つの石橋がある.これらは板東俘虜収容所に収容されていたドイツ兵が1917年から1919年にかけて造ったものであり,歴史を偲ばせる名所として多くの人が訪れている.これら2つの石橋は,ドイツ兵たちが神社境内の林地に公園を作る一環として築いたものである.ドイツ兵が記した記録から,6つの木橋と4つの石橋, 総延長1,130 mの道,石の堤防,傾斜路,2つの石段を造ったことが分かっている.しかし,上記の2つの石橋以外は,侵食や樹木の成長により流されたり壊れたりし,境内の整備によっても失われた他,昭和40年前後に行なわれた大規模な整備により,現存するものがドイツ兵が造ったものなのか,新たに設置されたものか分からなくなっていた. 本研究はドイツ兵が造った公園がどのようなものだったのか明らかにすることを目的として,大麻比古神社,徳島県立農林水産総合技術支援センター,鳴門市ドイツ館との共同で調査を行なった.ドイツ兵が残した記録や写真,地元の古老への聞きとり,そして今回の調査の課程で発見された大麻比古神社の古境内図等に基づき,ドイツ兵が何をどこに作ったのかある程度推定することができた.現在,彼らが造ったものの多くは失われてしまったが,上記の石橋以外に,林地内の散歩道の一部や石段が残っていると考えられる. さらに,この橋造り・公園造りは,アドルフ・ドイッチュマン(Adolf Deutschmann)築城少尉が設計し作業を指揮したことが知られていたが,今回あらたにマックス・ブンゲ(Max Bunge)曹長が作業に携わっていたことが判明した.彼がM.B.というペンネームで作業の様子を記した「大麻神社境内の秋の気分」からは,ここの自然と人々の信仰心への深い共感が読み取れる.彼は,3つの勇敢な行動により青島ドイツ人社会において英雄と称えられた人物であり,収容所内でも尊敬を集めていた.解放された後は,ドイツに帰国して故郷の町ハイリゲンハーフェン(Heiligenhafen)の町長を1933年から1945年まで務め,住民から「MB父さん」と慕われた.彼については,今日まで板東俘虜収容所を題材にした一連の調査や作品群において注目されることがなかったが,このように傑出した人物であった. 本報告では,公園の詳細について紹介するとともに,ドイツ兵たちはなぜこの地に公園を造ったのか,その理由をドイツにおけるParkの意味と神社の大麻比古境内林の特徴から考察した結果について述べる.
- (キーワード)
- 大麻比古神社 / 板東俘虜収容所 / ドイツ橋 / めがね橋 / アドルフ・ドイッチュマン / マックス・ブンゲ
モラエスとともに暮らす,
記念講演会「西富田とモラエス」, 2015年11月.- (要約)
- 伊賀町の「モラエス通り」命名40周年記念にあたり,当時の資料を紹介した.さらに,モラエスが暮らした時代の徳島市の様子や彼の日常生活について資料や作品を通して紹介するとともに,現在,モラエスがどう息づいているかを紹介した.最後に,松江市と熊本市におけるハーンの顕彰を紹介し,徳島市における今後のモラエス顕彰の在り方について考えた.
- (キーワード)
- モラエス / モラエス通り
北海道のイチョウの分布とDNAタイプについて,
日本植物学会第79回大会, 2015年9月.- (要約)
- 北海道は,本州・四国・九州と比べて巨樹イチョウが極めて少ない.北海道で最も太いイチョウは渡島半島にある幹の胸高周囲が6.5 mの樹であるが,日本で最大のイチョウである胸高周囲が20 mを超える青森県の樹をはじめとして,地理的には遠くない東北地方の北部(青森・岩手・秋田)に胸高幹周囲が10 mを超える樹が26本存在することと比べると対照的である.その理由として,気候的要因と歴史的要因が考えられ,本研究はそれぞれの要因について検証した.<br> 歴史的要因について確かめるために,DNAタイプを調べた.イチョウ葉からDNAを抽出し,ミトコンドリアDNAの<i>nad2</i>イントロンの塩基配列を解析した.北海道のイチョウ29本の分析の結果,13のDNAタイプに分けられ,非常に多様性に富んでいることが分かった.最も本数が多かったのは(6本),西日本に多く分布するタイプであり,東北地方に圧倒的に多いタイプは2本しか見られなかった.また,2番目に多かったのは新潟や福島に多く分布するタイプであった.この結果は,北海道開拓初期の移住者の出身地と対応しており,北海道の開拓とともにイチョウの植栽が進んでいったことが示唆された.また,気候的要因については,道北や道東において幹の凍裂や新梢の枯死といった凍害が見られ,寒冷な気候もまた北海道のイチョウの分布や樹の大きさと関係していると考えられた.
東北・北海道におけるイチョウDNAの分布と特徴について,
シンポジウム「青森県津軽のイチョウ巨樹と郷土の文化について」, 2015年6月.- (要約)
- シンポジウムの最初のパネリストである五十嵐和雄氏が,深浦町の北金ヶ沢のイチョウについて祖母の代からの関わりについてお話をしていただいた.それを受けて私の発表は,目下のところ北金ヶ沢のイチョウに関する最も古い記録である江戸時代末期に津軽藩の役人岡本三弥が安政五年(1858)に記したとされる『海岸長延略図』を紹介することから始めた. 続いて,北海道と東北のイチョウのDNAタイプと地域の歴史についてスライドで紹介した.その概略は以下の通りである. <スライド1,2> 巨樹イチョウが少ない北海道 巨樹イチョウの数が日本で最も多いのは青森県であり,胸高周囲が20 mを超える北金ケ沢のイチョウをはじめとして日本有数の大きさのイチョウがいくつも存在する.一方,北海道で最も太いイチョウは渡島半島にある幹の胸高周囲が6.5 mの樹であり,巨樹イチョウの数は少ない.地理的には近いにも関わらず,このような違いが生じている原因として,気候的要因と歴史的要因が考えられるが,本研究により実際にその両方が関係していることが分った. <スライド3,4> イチョウの分布と凍害による成長阻害 イチョウは,最北端(北方領土を除く)に位置する稚内市にも生育している.しかし,道北や道東では,幹の凍裂や新梢の枯死といった凍害が確認され,これらの地域ではイチョウの生育の阻害要因となっていると考えられる. <スライド5> 北海道のイチョウのDNAタイプ これまで北海道のイチョウ29本の分析を行ったが,13のDNAタイプに分けられ,非常に多様性に富んでいることが分かった.西日本に多く分布する西日本タイプ1が北海道において6本と最も本数が多く,東北地方に圧倒的に多い東日本タイプ1は2本しか見られなかった.また,2番目に多かったのは関東・九州x若桜タイプであった. <スライド6∼8> 北海道の開拓の歴史との関連性 北海道開拓者は,青森県出身者が最も多いが,初期の移住者をみると石川県,富山県,新潟県が多くなっている(永井1966). 北海道で最も多かった西日本タイプ1は,石川県,富山県にも分布しており,実際に士別市の開拓公園のイチョウは,移住者が郷里である石川・福井から取り寄せたイチョウを植えたと伝えられる.さらに,松前町の宇松城と岩内町の知恵光寺において5本ずつ分析を行なったが,両者で3つのDNAタイプが一致した.この二つの地域は,明治初期に石川県から移住してきた者が多く,よって交流も盛んであり,知恵光寺の2代目僧侶は松前町から明治38年に移ってきた.DNAタイプの類似性は,この歴史を反映している可能性が高い. また,北海道で2番目に多い関東・九州x若桜タイプは,北海道以外では新潟や福島に多く分布することが先行研究で分かっているが,新潟もまた初期の開拓者の多い地域である. これらの結果から,北海道の開拓とともにイチョウの植栽が進んでいったことが示唆された. <スライド9∼14> 青森県のイチョウDNAタイプの特徴 青森県の巨樹イチョウのDNAタイプは,ほとんどが東日本1タイプであり,その名のように東日本一帯に広く分布している.それ以外のDNAタイプは,これまでのところ5本見つかっている. 東日本タイプ1以外のイチョウについて,その特徴を述べる.まず東日本2x西日本1タイプは,青森県では2箇所見つかっており,北海道でも1箇所見つかっている.このDNAタイプは,数は多くはないものの全国に万遍なく散らばっており,すべて海の近く特に港の近くに分布するという特徴があり,船で全国に広がったと考えられる.関東・九州タイプは,青森県に1箇所と北海道で2箇所見つかっている.つがる市の西日本タイプ2のイチョウは,津軽四代藩主信政が貞享元年(1684)に御仮屋改築の祭に自ら植えたと伝えられ,どこからこのタイプのイチョウを持ってきたのか興味が持たれる.また,弘前公園(弘前城址)の銀杏は西日本タイプ1x西日本タイプ2である.先に挙げた東日本2x西日本1タイプのうち1本は,黒石城の侍屋敷があった地に植えられており,東日本1タイプ以外のDNAタイプについては,江戸時代に植えられたものが多い.一方,圧倒的多数を占める東日本タイプ1のイチョウは,数のみならず幹周囲も大き,従って江戸時代以前からこの青森県に多数存在したと考えられる.これは次に述べる秋田県についても同様のことが言える. <スライド15∼17> 秋田県のイチョウDNAタイプの特徴 秋田県のイチョウについては,幹周囲も比較的小さい樹(胸高周囲が6 m未満)についてもDNA分析を実施した.青森県と同様に,幹周囲の大きなものは東日本タイプ1が多いが,幹周囲の小さいものでは異なるDNAタイプのものが多数存在していた.特に,米代川の支流である阿仁川や小阿仁川の流域は,DNAタイプの多様性が高い.江戸前期に鉱山が開坑して以降,他地域との人的移動が高まったことがその理由の一つとして考えられる.また,県の南部では関東・九州タイプのイチョウが多く見られるが,北部ではまったくみられないことも秋田県の特徴の一つである.このタイプはかつて最上領であった地域に特に多くみられ,今後山形県での調査を実施して藩領との関係について検証していきたい.
- (キーワード)
- イチョウ
北海道のイチョウの遺伝的特性について,
中国四国地区生物系三学会合同大会(愛媛大会), 2015年5月.- (要約)
- イチョウは南北朝時代前後に日本に伝わったとされるが,その伝来と伝播の詳細は不明な点が多い.演者らはその道筋を明らかにするために幹周囲6 m以上の全国の巨樹イチョウのDNA解析を進め,ミトコンドリアDNAのnad2イントロンの塩基配列の変異から20以上のDNAタイプが存在し,それらが特徴的な地理的分布を示すことを明らかにしてきた.本研究は,イチョウのDNAタイプと地域の歴史との関係を浮き彫りにするため,先行研究よりも幹周囲の小さな樹についても調査対象とし,今回は北海道のイチョウについて調査を行なった. 北海道で最も太いイチョウは渡島半島にある幹の胸高周囲が6.5 mの樹である.日本で最大のイチョウである青森県の樹が20 mを超えるのをはじめ,地理的には遠くない東北地方の北部(青森・岩手・秋田)に胸高幹周囲が10 mを超える樹が26本存在することと比べると,北海道には大きなイチョウがないと言える.これは北海道ではイチョウの植栽の歴史が浅いことを示唆している.また,これまでにDNA分析を行なった北海道のイチョウ28本は13のDNAタイプに分けられ,非常に多様性に富んでいることが分かった.そのうち,東北地方で圧倒的に多い東日本1タイプは2本しか存在せず,むしろ西日本に多く分布する西日本1タイプが6本と最も多く,この点からも東北地方のイチョウとは大きく異なっていた.
徳島市城山に発生したホルトノキ萎黄病について,
第133回徳島生物学会, 2014年12月.- (要約)
- 【はじめに】 徳島市「城山原生林」のホルトノキは,本県で唯一のホルトノキ群落であることから1984年に徳島市の「市の木」に制定され,2009年には「とくしま市民遺産」にも入れられた.しかし,城山のホルトノキの個体数は急激に減少している.1975年の調査では,城山はホルトノキ群落が優占しており,胸高直径が15 cm以上のホルトノキが224本存在していたが(森本ら1977),1987年までに多数が枯れ(森本と西浦1987),現在はその大きさのものは11本しか残っていない(佐藤ら2014).久戸瀬(2008)は毎木調査の結果を基にしたシミュレーションを行い,十数年後には城山のホルトノキは完全に消失すると予測している. 近年,日本各地でホルトノキの衰弱・枯死が起きており,その原因がファイトプラズマの感染によるホルトノキ萎黄病であることが分かってきた(河辺ら1999).そこで,本研究は,城山に残存するホルトノキと,城山を擁する徳島中央公園に植栽されているホルトノキについて,本病の原因である植物病原細菌ファイトプラズマに感染しているかどうかを調べた. 【材料と方法】 城山と徳島中央公園のホルトノキの調査や葉の採取を行なった.採取した葉からDNAを抽出し,Gundersen and Lee (1996)に示されたnested PCRによりファイトプラズマの16S rDNA領域を増幅させ,感染しているかどうかを調べた.さらに増幅産物のRFLPによりファイトプラズマのタイプを調べた. 【結果】 城山のホルトノキでは分析した14本全ての樹において,1.3 kb付近にファイトプラズマDNAの増幅産物が検出された.また,徳島中央公園に植栽されたホルトノキについては,分析した14本中11本でファイトプラズマDNAの増幅産物が検出された.このことから城山および徳島中央公園のファイトプラズマの感染状況は非常に深刻であることが明らかになった.また,増幅産物のRFLPを調べた結果,全てのサンプルが日本ですでに報告されている2つのタイプのうちの1つと一致した(佐藤ら2014). 【病気への対処】 以上の結果を携え,市民団体「徳島城址を愛する会」とともに9月24日に徳島市に城山のホルトノキの治療・対策を求める要望書を提出した.その後,徳島市から治療を実施する旨の回答があり,公園緑地課とその計画について協議を重ね,来春から開始することになった.その治療法についても報告したい. 【引用文献】 Gundersen and Lee. 1996. Phytopath. medit. 35: 144-151. 河辺ら.1999.日本植物病理学会報 65:654. 久戸瀬.2008.徳島大学大学院・先端技術科学教育部.修士論文. 森本ら.1977.徳島県自然保護協会調査報告 2:27-47. 森本・西浦.1987.徳島県高等学校理科学会誌 28:30-34. 佐藤ら.2014.自然科学研究 28:21-25.
- (キーワード)
- ホルトノキ萎黄病 / ファイトプラズマ / ホルトノキ / 城山
「神戸と徳島のモラエス」シンポジウム ー モラエスの実像に迫る ー,
平成26年度徳島大学パイロット事業支援プログラム「神戸と徳島のモラエス」シンポジウム, 2014年11月.- (要約)
- モラエスが神戸から徳島に移り住んだ理由や徳島での近隣の人々の交流の様子について解説した.
- (キーワード)
- モラエス / 徳島 (Tokushima)
「神戸と徳島のモラエス」シンポジウム ー モラエスの実像に迫る ー,
平成26年度徳島大学パイロット事業支援プログラム「神戸と徳島のモラエス」シンポジウム, 2014年11月.- (キーワード)
- モラエス / 徳島 (Tokushima)
北奥羽地方のイチョウ古木の遺伝的特性の解析,
第29回日本植生史学会大会, 2014年11月.- (要約)
- はじめに イチョウは南北朝時代前後に日本に伝わったとされるが,その伝来と伝播の詳細は不明な点が多い.演者らはその道筋を明らかにするために全国のイチョウ古木のDNA解析を進め,ミトコンドリアDNAのnad2イントロンの塩基配列の変異から20以上のDNAタイプが存在し,それらが特徴的な地理的分布を示すことを明らかにしてきた.北奥羽地方(青森,秋田,岩手)のイチョウは,他の地方に比べて東日本1タイプの占める割合が高いという特徴があり,胸高幹周囲が9 m以上の樹では30数本全てがこのタイプである.演者らは,イチョウのDNAタイプと地域の歴史との関係を浮き彫りにするため,先行研究よりも幹周囲の小さな樹についても調査対象として北奥羽地方のイチョウ古木の遺伝解析と史料調査を行っており,これまでの調査結果について報告する. 試料と方法 胸高幹周囲6 m以上(秋田県については3∼6 mも含む)の古木イチョウの葉からDNAを抽出し,nad2イントロンの塩基配列を分析しDNAタイプを特定した.また,地域史やイチョウにまつわる伝承を調査し,イチョウDNAタイプの分布との関連性について検討した. 結果と考察 これまでに分析した北奥羽地方の胸高幹周囲6 m以上のイチョウ65本のうち,54本が東日本1タイプと呼んでいるDNAタイプであった(内訳は青森県が36本中31本,岩手県が13本中12本,秋田県が16本中11本).このDNAタイプのイチョウは,胸高幹周囲が10 mを超すものが26本あるのに対して,それ以外のDNAタイプの樹では最大でも8 m台前半であった.幹周囲と樹齢の関係は,生育環境や根元の形状にも依存するため「太い=古い」ではないが,このような傾向からすると,北奥羽地方では東日本1タイプが広まってからかなりの期間が経った後,他のDNAタイプのイチョウが入ってきたと考えられる.東日本1タイプ以外の古イチョウで植樹時期の手がかりがあるのは,弘前城の樹(胸高幹周囲6.2 m),1684年に第四代津軽藩主が自ら植えたと伝えられる樹(7.2 m),黒石城の侍屋敷のあった場所の樹(7.4 m)など,江戸時代以降に植えられたと考えられるものであり,東日本1タイプの古樹の植樹時期はそれよりかなり遡ると考えられる. 秋田県のイチョウについては,幹周囲が3∼6 mの樹についても分析を進めた結果,DNAタイプの分布に次のような特徴が見られた.関東・九州タイプは東由利周辺の地域では多く出現したが,他の地域では見られなかった.江戸時代ここは秋田領ではなく,最上領であったことがその理由として考えられる.また,阿仁川流域では多くのDNAタイプが見られた.鉱山開発による水運や街道の発達により様々な場所と交流があったことがその理由として考えられる.
- (キーワード)
- イチョウ / DNA (DNA)
Cycleave PCR 法を用いたウリ科野菜 果実汚斑細菌病菌とイネ科作物褐条病 菌の識別法の開発,
平成26年度日本植物病理学会大会, 2014年6月. 佐藤 征弥, 野澤 真伊, 栄花 茂, 高田 克彦 :
秋田県のイチョウ古木の遺伝的特性の解析及び伝播経路について,
中国四国地区生物系三学会合同大会(岡山大会), 2014年5月.- (要約)
- イチョウは南北朝時代前後に日本に伝わったとされるが,その伝来と伝播の詳細は不明な点が多い.演者らはその道筋を明らかにするために幹周囲6 m以上の全国の巨樹イチョウのDNA解析を進め,ミトコンドリアDNAのnad2イントロンの塩基配列の変異から20以上のDNAタイプが存在し,それらが特徴的な地理的分布を示すことを明らかにしてきた.本研究は,イチョウのDNAタイプと地域の歴史との関係を浮き彫りにするため,先行研究よりも幹周囲の小さな樹についても調査対象とし,秋田県のイチョウ古木の遺伝解析と史料調査を行った.調査の結果,DNAタイプの分布には次のような特徴が見られた.(1)東日本1タイプ以外の樹は小さいものが多く,東日本1タイプが広まった後に持ち込まれたと考えられる.(2)関東・九州タイプは東由利周辺の地域では多く出現したが,他の地域では見られなかった.江戸時代ここは秋田領ではなく,最上領であったことがその理由として考えられる.(3)阿仁川流域では多くのDNAタイプが見られた.鉱山開発による水運や街道の発達により様々な場所と交流があったことがその理由として考えられる.
モラエスと徳島,
シンポジウム:「ポルトガルの文豪モラエス」~「美しい日本」をこよなく愛した異邦人~, 2014年3月. 佐藤 征弥, 西山 賢一, 蒋 景彩, 大戸井 義美, 石田 啓祐 :
国指定天然記念物「阿波の土柱」の保全に向けて ー 土柱の歴史・変遷,植生管理について ー,
第130回徳島生物学会, 2013年12月.- (要約)
- 「阿波の土柱」は,阿波市の阿讃山脈南麓の丘陵斜面の崩壊地が,雨水による侵食により搭状やひだ状となった侵食地形である.明治期後半に新聞紙上で紹介されて以来,名勝として知られるようになり,昭和9年(1934)に国の天然記念物に指定された.しかし,年月が経つ間に侵食による土柱の衰微や植生の繁茂といった景観の悪化が顕著になり,平成16年(2004)には台風で柱の一部が大きく崩落するなど景観維持のための対策が必要になってきた.また,観光においても大正期には一日に二千人を数えた来訪者は大きく減っている.このような状況から,阿波市は平成23年(2011)に「阿波の土柱」の価値を保全するための保存管理計画を策定することを目的として,文化庁や徳島県の協力の下,学識経験者らを委員とする『国指定天然記念物「阿波の土柱」緊急調査指導委員会』を組織した.委員会で2年にわたり調査や検討が重ねられ,今年3月に調査報告書がまとめられた.演者は委員の一人として関わったので,その内容について紹介する. 【土柱の発見と形成時期】 「阿波の土柱」は平安時代に阿波守であった菅原清公が歌に詠んだとする説があるが,これは様々な理由から明確に否定される.遡れる最も古い記録は,明治35年(1902)12月27日の徳島毎日新聞に掲載された西林村五明の尋常小学校長柏木直平が寄稿した記事である.大正9年(1920)に徳島師範学校の教諭尾崎一雄が『地学雑誌』に「阿波の土柱」として紹介し,全国に知られるようになった. 観察される侵食のスピードと発見時期とを併せて考えると,「阿波の土柱」を形成した斜面崩壊の発生時期は,江戸後期から明治前半のことと考えられる. 【植生管理】 植被は雨水による土柱の侵食を抑える作用を持つ一方で,樹木の根はクラックの形成を助長する.また,岩肌に生えるマツは,景観に良いアクセントを与える一方で,高い樹木やツタ類の繁茂は,土柱を覆い隠したり,根の周囲にフミン酸が蓄積して土壌を黒化させたりと景観に悪影響を与える.よって景観や侵食に悪影響を与えないもの除いて植物は除去することが望ましい. 【今後の土柱】 「阿波の土柱」である波濤ヶ嶽は,侵食過程からみれば既に壮年期に入った土柱である.近隣には橘嶽,筵嶽,不老嶽,燈籠嶽と呼ばれる侵食がそれほど進んでいない土柱があり,これらを併せて土柱の侵食過程の理解を深めることができるような活用を図っていく必要がある. 阿波市教育委員会編「国指定天然記念物「阿波の土柱」緊急調査報告書—国庫補助金事業による天然記念物緊急調査—」阿波市・阿波市教育委員会(2013)
モラエスと徳島,
「ポルトガルの文豪モラエス」シンポジウム, 2013年12月. 佐藤 征弥 :
モラエスの憐れみのまなざし ー ロチ,ハーンを先達として,
日本比較文学会 第49回関西大会, 2013年11月.- (要約)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエスの代表作の一つ『おヨネとコハル』の献辞文は,「未来の文学は憐れみの文学である」というピエール・ロチの『北京最後の日』の引用から始まる.ロチはまた『死と憐れみの書』を著したが,モラエスの『おヨネとコハル』は,若くして亡くなった彼の二人の愛人を悼む彼にとっての「死と憐れみの書」である.しかしモラエスは,ロチの作品をあまり高く評価していない.彼がロチを引用しているのは敬愛するラフカディオ・ハーンによるロチ評によるものと思われる.ハーンは「憐れみの文学」について,「成熟した年齢に達した者に到達することが望まれる感情である「無私の共感」を人々に呼び起こす」ものと捉えている.モラエスがこの解釈に大きな影響を受けたであろうことは,彼の文章からうかがうことができる.本講演では,三人の作家の「憐れみ」のまなざしについて紹介したい.
2013年度文学書道館文学講座「芸術・文化を語る」, 2013年11月. 佐藤 征弥 :
徳島中央公園の設計について,
平成24年度「徳島城址を愛する会」徳島城を知るセミナー, 2012年12月.- (キーワード)
- 徳島中央公園 / 徳島公園 / 本多静六 / 日比谷公園 / Seifersdorf城
徳島公園(徳島中央公園)の設計理念にみられる城山の自然保護について,
第129回徳島生物学会, 2012年12月.- (要約)
- 徳島中央公園は明治39年(1906)に旧徳島藩主の居城跡に「徳島公園」として開設された我が国で二番目の西洋風近代公園であり,市の中心部に位置する総合公園として多くの人々に利用され親しまれてきた.徳島公園について設計の詳細に踏込んだ研究はこれまで行われてこなかったが,それは設立前後の公園の設計図や図面が残っていないことによる.演者らは明治38年(1905)の新聞紙上に徳島公園の設計図やその解説が掲載されていることを見いだし,それに基づいて徳島公園設計の意図や理念を探った. 徳島公園の設計を担当したのは,我が国初の西洋風近代公園として作られた日比谷公園の設計を担当した本多静六と弟子の本郷高徳である.日比谷公園には,ドイツの公園の設計図集である``Gärtnerisches Planzeichnen''から3枚の図が取り入れられてるが,徳島公園においても同書のザイファースドルフ城との共通点が見つかった. また,林学者であった本多は,城山について「天然林として甚貴重すべきもの」とその価値を認め,「林木の伐採は道路の開鑿及び眺望を得るための他は之を避け」と述べているように,本丸跡の招魂碑と東二の丸跡の喫茶店の他に建築物は設けなかった.さらに彼は「徳島公園は公園としての資質を備ふる点に於て蓋し日本の各公園中第一位」と述べ,その理由を三つ挙げているが,いずれも城山に関係している.第一点は,市の中心に位置していながら,独立山丘を持つことであり,多くの公園が山を得るために場所が市街地から離れざるを得ないが,徳島公園は市の中心部に城山があり,それを含めて公園とする充分な敷地があったことである.第二点は,城山の天然林を有することで,この林相は10年や20年では形成されないものであり,各地の公園が園内に森林を造ろうと汲々としているが,人の力ではどうにもならないことである.第三点は,山水の勝に恵まれていることであり,園内に山とその森林を有している上に,助任川,寺島川の水脈に囲まれ,かつ海を臨んでいることである. 公園が開設されて100年以上経ち,このような本多の考えは忘れられて久しいが,幸いなことに城山の貴重な自然を保護する取り組みは受け継がれてきた.設計者の理念を理解することにより,その価値を再確認する助けとなれば幸いである.
DNAからみた秋田の巨樹イチョウ,
能代二ツ井の古樹と地域文化, 2012年10月.- (要約)
- イチョウが日本の文献に最初に登場するのは永徳元年(1381)であり,古くから日本に存在していた樹ではない可能性が高い.そこで日本におけるイチョウの伝来と伝播を解明する目的で,幹周囲6 m以上の巨樹イチョウのDNA分析を行なった.秋田県については12本を分析した. 能代市二ツ井町銀杏山神社の3本の巨樹イチョウは,いずれも東日本に広く分布しているDNAタイプであった.藤里町の権現の大イチョウ,大館市信正寺のイチョウなど県内の10本はこのタイプであった.しかし,横手市大森町のイチョウは九州北部を中心として西日本に多く分布するタイプであり,東北地方ではここだけにみられた.また,上小阿仁村のイチョウは,全国に分布するタイプではあるが,東北地方には少ないもので,この樹と地理的にもっとも近いものは岩手県八幡平市に存在する.イチョウは自然繁殖では分布が広がにくく,このようなイチョウの分布は人の植栽の結果により生じたと考えられる.
古木における植樹の伝承について,
「緑と水の森林ファンド」助成事業研究発表会, 2012年10月.- (要約)
- 人に親しまれてきた古木や巨樹には,伝説・伝承を伴うものが多い.その中で,植樹に関する伝承は,その地に樹が植えられた由来をひもとく上で大きな手がかりとなる.それが史実でない場合も多いが,そうであても何らかの真実が含まれる可能性がある. 秋田の巨樹イチョウには,植樹の伝承のパターンとして全国各地にみられる「墓標」,「高僧による杖立て」およびそのバリエーションの一つ「武将の使った馬の鞭が根付いたもの」が見られる.これらの伝承の登場人物は,空海や地元にゆかりのある歴史上の人物下村氏などのである.
『阿波名所図会』以降の史料に基づく徳島のシンボル眉山の植生景観史,
地域科学研究フォーラム, 2012年6月. 佐藤 征弥 :
大学院カリキュラムにおける地域科学の実践と紀要の刊行,
地域科学研究フォーラム, 2012年6月. 佐藤 征弥, 坂本 昌彦, 姜 憲, 瀬田 勝哉 :
日本と朝鮮半島の植樹に関する伝承の比較,
平成24年度中国四国地区生物系三学会合同大会, 2012年5月.- (要約)
- 大正時代に刊行された『大日本老樹名木誌』と『朝鮮巨樹老樹名木誌』は,日本および半島の著名な樹木の所在地,地上五尺の幹周囲,樹高,樹齢,伝承を記したデータ集である.本研究はこれら2冊の資料をもとに日本と朝鮮半島における樹木に対する歴史,宗教,文化の違いが植樹に対してどのように反映されているかを明らかにすることを目的として,資料に記載されている植樹にまつわる伝承を整理し比較した. 植樹者については,日本では各地に赴いた僧や武将などがその土地に植えた例が多いのに対し,朝鮮半島では役人・学者であった者などが一族の繁栄を願って植えた例が多い.これは,朝鮮半島では歴史的に氏族関係の強い社会が続いてきたことや,科挙制度(958-1894)の合格者が社会を支配し,一族の繁栄に直結していた歴史が表れていると考えられる.植樹の目的については,日本では墓標として植えたとされるものが51本,杖立て(地面に挿した杖が,根を張り,生長したとされるもの)が35本みられたのに対して,朝鮮半島には墓標は全く無く,杖立てについても2本だけであった.逆に,風水思想に基づいて植えたとされるものは,日本ではみられず朝鮮半島で2本みられた.
リアルタイムPCR の農作物栽培土壌試料への応用, --- イチゴ萎黄病菌に対する土壌消毒効果の検証 ---,
第127回徳島生物学会, 2011年12月.- (要約)
- [目的] 農作物の病気の感染経路の一つとして土壌中の病原菌からの感染が挙げられる.よって,土壌に潜む病原菌の存在量が分かれば,病気の予測・予防に繋がると期待される.しかし,土壌から分離・培養する従来の方法は,作業の煩雑さや結果が分かるまでに時間がかかることから簡便な手法の開発が望まれる.そこで本研究は土壌中の糸状菌をリアルタイムPCRで測定する実験手法を開発し,その有効性を検証するため土壌消毒処理の前後で菌量の変化を分析した. [方法] リアルタイムPCR:広く用いられているインターカレーター方式では,プライマーダイマーが生成し,目的のDNAを正確に測定することが困難だったため,TaqMan プローブ方式を採用した.プローブは核の5.8S rDNA上に設計した.萎黄病菌の培養菌株から抽出したDNAを用いて萎黄病菌特異的プライマーによるリアルタイプPCRを行なった結果,目的の増幅産物を正確に測定できることを確認した. 土壌試料:土壌消毒試験は,農業試験場のビニールハウス内で高設栽培したイチゴ萎黄病菌汚染土壌に対して行ない,2%,5% エタノールによる湛水処理,既存の農薬(クロロピクリン)によるくん蒸処理をそれぞれ施した.エタノールによる湛水消毒は農薬を使わない方法として注目される防除法である.DNAは市販の土壌DNA抽出キットを用いて精製した. [結果および考察] 消毒処理の前後で土壌中の萎黄病菌のDNA 量を測定した結果,すべての処理区において消毒後のDNA 量が無処理区よりも顕著に減少していた.また,同じ試料を糸状菌のユニバーサルプライマーでPCR を行なったところ,複数の糸状菌が存在していることが分かった.これら複数の菌全体のDNA量は消毒処理により減少したが,エタノール処理とクロロピクリン処理では効果が減少する種類が異なることが分かった.萎黄病菌はエタノール処理においてクロロピクリン処理より顕著に減少していた.これらの結果から低濃度エタノールを用いた土壌消毒法は,従来の薬剤防除と同等以上の防除効果があることが示された. このように本研究で用いたリアルタイムPCRによる分析法により消毒処理を施した土壌試料において萎黄病菌の減少を確認することができた.この方法は,これまでの土壌分析に比べて迅速・簡便に菌量を測定できるため,今後の普及が期待できる.
『阿波名所図会』及びそれ以降の史料からわかる眉山の景観の変遷,
第127回徳島生物学会, 2011年12月.- (要約)
- 『阿波名所図会』は,江戸時代後期に庶民の間で旅行ブームが興った時期に作られた阿波の名所を紹介したガイドブックである.同書巻頭の附言に「文化辛未之歳中冬」とあることから,文化8年(1811)に作成されたことが分かり,今年はちょうど200年目にあたる.本研究は『阿波名所図会』において眉山の景観や自然がどのように描かれているか分析するとともに,それ以降現在までの変化についても他の資料を基に調査した. 『阿波名所図会』において眉山が描かれた挿絵には,山中の樹木が4種類に描き分けられている.最も目立つのは,山中に生い茂っている松である.次に,松とは異なる針葉樹が多数描かれているが,これと同じ樹は同書にしばしば登場し,挿絵「舎心山太龍寺」では山中にこの樹が優占している.太龍寺の境内は現在,杉や檜の古木で覆われており,『阿波名所図会』においても杉または檜を描いていると考えられる.江戸時代に作成された別の史料『四国偏礼霊場記』や『四国遍札名所図会』との比較からも杉・檜であることが支持される.他の2種類の樹木は広葉樹であり,形態的特徴から樹種を特定することは難しいが,他の挿絵や別の史料との比較からそのうちの一つは桜であると考えられる. このような眉山の植生景観は明治期に一変する.大正5年(1916)版の『阿波名勝案内』には,明治維新後に眉山の樹木が伐採されて禿げ山となったことが記されている.その後,大正期から太平洋戦争前の間に作られた古絵葉書「徳島・新町橋」を見ると,再び眉山は木々で覆われている.樹種は判然としないが,広葉樹が主であり,松や杉・檜は目立たたない.また,同時期の別の古絵葉書「新町橋と眉山」では,山腹に白く桜並木が,筋状に延びているのが分かる. 平成16年の『徳島県環境基本計画(資料編)』には現在の眉山は,山地のアカマツ林はほとんど枯れてコナラ林に変わったと記されている.明治維新後の伐採で大きく数を減らした眉山の松は,マツ枯れによりさらにその数を減らしたのである.同資料は眉山の自然植生を,ヤブツバキ域にまとめられる照葉樹林「シイ - タブ林」に含まれる「ミミズバイ - スダジイ群集」に分類している.かつて眉山に広がっていた松林は,人間の影響下で自然植生の代償植生として成立していたものである. このように眉山の植生は,人為的影響やマツ枯れにより時代によって大きく変化してきた.現在は保安林,風致地区,鳥獣保護区に指定され,将来に残すべく保護対策がとられている.
『大日本老樹名木誌』と『朝鮮巨樹老樹名木誌』に基づく日本と朝鮮半島の植樹の伝説の比較,
日本植生史学会第26回大会, 2011年11月.- (要約)
- 大正2年(1913)に刊行された『大日本老樹名木誌』は,明治時代末の天然記念物保護の機運の高まり受け,各地の著名な樹1500本について,所在地,地上五尺の幹周囲,樹高,樹齢,伝説を調査したデータ集であり,日本の巨樹研究において極めて重要な資料である.また,その6年後の大正8年(1919)には朝鮮総督府から『朝鮮巨樹老樹名木誌』が刊行され,そこには朝鮮半島のおよそ3200本の樹について同様のデータが収められている.そのうち植樹に関わる伝説が記されているのは『大日本老樹名木誌』では380本,『朝鮮巨樹老樹名木誌』では243本ある.本研究は,それらを整理し日本と朝鮮半島の比較を行なった. 日本と朝鮮半島の違いで顕著なのは,「墓標」としての樹である.日本では墓標として植えたとされるものが49本みられたが,朝鮮半島では1本もなかった.また,著名人が携えていた杖,箸,鞭が根付いて成長したという「杖立て」伝説を有する樹が日本では33本みられたのに対して,朝鮮半島では2本であったことも大きな違いとして挙げられる. 植樹者についてみると,植樹した人物が分かるものは『大日本老樹名木誌』では257本,『朝鮮巨樹老樹名木誌』では148本であった.朝鮮半島では所有者の「祖先」が植えたとされる樹,「役人,学者」が植えたとされる樹が多い(それらが重複している場合も多い)(表1).これは,958年から1894年まで続いた科挙制度が身分を決定し,科挙合格者を出すことが一族の繁栄に直結していたためと考えられる. 表2に複数の地で植樹伝説を有する者を挙げた.日本では漂泊の宗教者や戦で各地に赴いた武将がそのような植樹者となっている例が多かった.それに対して朝鮮半島では複数の地の植樹した者が少なく,最も多く植えた者でも3ヶ所であった.また,いずれもケースも距離的に遠く離れた土地ではなかった.これらのことから,朝鮮半島では日本と比べて,樹が血縁や地縁と強く結びついていることが伺われる.
イチゴ萎黄病に対する低濃度エタノール土壌消毒の効果の検証, --- PCRによる苗及び土壌中の菌量の分析 ---,
平成23年度秋季大会, 2011年9月. 佐藤 征弥 :
DNAからみたイチョウの日本への伝来・伝承,
第3回日本北方圏域文化研究会総会, 2011年9月. 佐藤 征弥, 阿部 梨沙, 乃村 亜由美, 姜 憲, 瀬田 勝哉 :
大正期の樹木調査から分かる日本と朝鮮半島の巨樹の文化の違い,
徳島生物学会第125回総会, 2010年12月.- (要約)
- 明治時代末の天然記念物保護の機運の高まり受け,大正2年(1913)に刊行された『大日本老樹名木誌』は,各地の著名な樹1500本について,所在地,地上五尺の幹周囲,樹高,樹齢,伝説が記されており,日本の巨樹研究において極めて重要な資料である.また,その6年後の大正8年(1919)には朝鮮総督府から『朝鮮巨樹老樹名木誌』が刊行され,朝鮮半島のおよそ3200本の樹について同様のデータが記されている.本研究は,この2つの資料を基に,記載されている樹種や樹の所有者,伝説を整理し比較した. 掲載本数の多い樹種は,『大日本老樹名木誌』ではマツ,スギ,クスノキ,ケヤキ,サクラ,イチョウと続き,『朝鮮巨樹老樹名木誌』ではケヤキ,エノキ・ムクエノキ,イチョウ,チョウセンアカマツ(アカマツのこと),ヤチダモ,エンジュと続く. 樹の所有は日本では,神社や寺院に植えられている割合が高い.一方,朝鮮半島では公有地,地域共同体である「里」や「洞」が圧倒的に多い.これは,地域で樹を祀る習慣があるためである. 樹にまつわる伝説をその内容に基づいて分類したところ,樹種による違いが明確に表れた.樹種の有する特長に起因すると考えられるものの他に,歴史的に有名な故事が派生したものもある. また,日本と朝鮮半島の伝説を比較すると,共通点よりも,むしろ異なる部分が目立ち,歴史,宗教,文化の違いが反映されていると言える.
- (キーワード)
- 大日本老樹名木誌 / 朝鮮巨樹老樹名木誌 / 巨樹 / 伝説 (legend)
『大日本老樹名木誌』と『朝鮮巨樹老樹名木誌』に基づく日本と朝鮮半島の巨樹の比較,
日本植生史学会第25回大会, 2010年11月.- (要約)
- 明治時代末の天然記念物保護の機運の高まり受け,大正2年(1913)に刊行された『大日本老樹名木誌』は,各地の著名な樹1500本について,所在地,地上五尺の幹周囲,樹高,樹齢,伝説が記されており,日本の巨樹研究において極めて重要な資料である.また,その6年後の大正8年(1919)には朝鮮総督府から『朝鮮巨樹老樹名木誌』が刊行され,朝鮮半島のおよそ3200本の樹について同様のデータが記されている.本研究は,この2つの資料を基に,記載されている樹種や樹の所有者,伝説を整理し比較した. 樹種でいえば,掲載本数の多い順に『大日本老樹名木誌』ではマツ,スギ,クスノキ,ケヤキ,サクラ,イチョウと続き,『朝鮮巨樹老樹名木誌』ではケヤキ,エノキ・ムクエノキ,イチョウ,チョウセンアカマツ(アカマツのこと),ヤチダモ,エンジュと続く. 樹の所有は日本では,神社や寺院に植えられている割合が高い.一方,朝鮮半島では公有地,地域共同体である「里」や「洞」が圧倒的に多い.これは,地域で樹を祀る習慣があるためである. 樹にまつわる伝説をその内容に基づいて分類した結果,樹種による違いが明確に表れた.それぞれの樹種が有する形態的,生理的特徴に起因すると考えられるものも多い.また,日本と朝鮮半島を比較すると,共通点もみられるが,むしろ異なる部分が目立ち,歴史,宗教,文化の違い反映されている.
- (キーワード)
- 大日本老樹名木誌 / 朝鮮巨樹老樹名木誌 / 伝説 (legend) / 巨樹
日本と朝鮮半島の巨樹の比較 – 樹種,習俗・伝承について –,
平成22年度生物系三学会中国四国支部合同大会, 2010年5月.- (要約)
- 日本と朝鮮半島は植物の生育環境に恵まれ,森林が発達し,樹種も共通するものが多い.巨樹を崇拝する点でも共通しており,例えば日本では神木の幹に注連縄を張り巡らせる風習があるが,朝鮮半島においても同様に祭事において神木に禁縄を張り巡らせる風習がみられる.一方で,当然ながら異なる点も多い.樹種でいえば,スギとクスノキは日本では巨樹となる代表種であるが,朝鮮半島には自生していない.またケヤキやエンジュは,朝鮮半島では日本よりも重要性が高い. 日本の巨樹研究において1913年に刊行された『大日本老樹名木誌』は極めて重要な資料である.巨樹の1本1本について所在地,地上五尺の周囲,樹高,樹齢,伝説が記されており,写真が掲載されている樹もある.その3年後の1916年には同類の資料として『朝鮮巨樹老樹名木誌』が刊行されている.今回,この2つの資料を比較し,樹種や伝説の相違点を見いだして,そこから見える日本と朝鮮半島の巨樹やその背景となる精神性の違いを明らかにすることを試みた.さらに,これらが刊行されて100年近く経った現在,当時の資料に記載された巨樹がどの位残っているかや巨樹をとりまく社会情勢の変化についても言及する.
糸状菌感染に起因するイチゴ重要病害のマルチプライマーPCRによる診断,
平成22年度生物系三学会中国四国支部合同大会, 2010年5月.- (要約)
- イチゴの栽培において収穫に最も被害をもたらす要因は,病原菌の感染による病害である.イチゴの栽培は母体となる親株から出てくるランナー(匍匐茎)上にできる子苗を繁殖させて畑に植え付けるため,親株が病原菌に感染していると子苗に拡大すること,また苗を高密度で畑に植えるため,ひとたび病害が発生すると速やかに感染が拡大しやすいことから,病気の早期診断がイチゴ栽培において極めて重要である. 我々は,糸状菌によるイチゴ重要病害のうち感染初期に病徴による区別が難しい炭疽病,萎黄病,疫病について,病原菌DNAのITS領域の特異的塩基配列を認識するプライマーによるマルチプライマーPCR法を用いて感染を診断する方法を開発した(特開2010-46038).この方法は,3つの病気(病原菌としては5種)を1つの反応チューブによるPCRで診断できるため,効率的であり診断に要する時間も短縮されている(特開2010-46038).今回,その方法について紹介するとともに,従来法との比較,イチゴ栽培現場での実施例,土壌からの検出例,そして実用化を目指したコストダウンや検出感度の向上への取り組みなどについて紹介する.
PCR法によるイチゴ病害診断の実用化に向けた取り組み,
徳島生物学会第123回総会, 2009年11月.- (要約)
- イチゴの栽培において収穫に最も被害をもたらす要因は,病原菌の感染による病害である.例えば,炭疽病によるイチゴの被害額は35億円,防除に要する薬剤費は5億円とされている(奈良農総研の試算).また徳島県では2005年には炭疽病による被害が大きく,その損害はおよそ5億円と見積もられている.イチゴの生育の異常の初期段階では,それが病原菌による感染が原因か,肥料や水の過多などが原因かの区別が難しく,判断を誤るとさらに病害を広めてしまう危険性がある.また,イチゴは本圃定植前に親苗から子苗を増やすため,親株が病害菌に感染していた場合は特に被害が大きくなる.感染した苗をいち早く診断し,適切な対策をとることが極めて重要である. 我々は,イチゴに対する糸状菌による3つの重要病害,炭疽病,萎黄病,疫病についてこれらの病原菌のDNAの特異的塩基配列を認識するプライマーによるマルチプライマーPCR法を用いて感染を診断する方法を開発した.この方法は,3つの病気(病原菌としては5種)を1つの反応チューブによるPCRで診断できるため,効率的であり診断に要する時間も短縮された(特許出願番号2008-214831).現在,この技術を利用したイチゴ生産者向けの診断サービスの確立を目指しており,今回実用化に向けた技術的な改良について報告する. ◆ 診断の感度の向上 PCR法により病気の症状が表れている苗からはもちろん,外見に病徴が表れていない苗からも病原菌の検出が可能であったが,従来の培養法で炭疽病菌が検出される試料がこの方法では検出されず,従来法に比べて感度が低かった.実用化にあたっては従来法と同レベルにまで検出感度を向上させる必要があると考え,PCR法の改良を試みた. 最初に特異性は低いが増幅能の高いプライマーを用い,次に特異性の高いプライマーを用いてPCRを行なうnested PCRやsemi-nested PCRを検討した結果,検出感度が著しく向上した. ◆ 診断のコストダウン,簡便化 大量の苗を迅速に診断するために,診断にかかる費用を抑えるとともに分析に要する手順をできるだけ簡素化する必要がある.これまではイチゴの組織をすりつぶし,DNA抽出キットを用いてDNAを精製していたが,この過程を見直すことにした. その結果,イチゴ葉をTris buffer(1M Tris-HCl, 1M KCl, 10 mM EDTA, pH9.5)中で加熱処理した溶液を直接PCRしても病原菌のDNAを検出することができた.これにより,葉の破砕処理やDNAの精製という過程を経ずに診断が可能であることが示され,診断に要する手間やコストを大幅に減らせる目処がついた.
江戸時代の絵図からわかる眉山,
徳島生物学会第123回総会, 2009年11月.- (要約)
- 眉山は徳島市のシンボル的存在として市民に親しまれている山である.山頂には剣山神社をはじめ様々な施設が建てられ,麓から山頂へ至るロープウェイや車道が整備されている.また健康のために登山道を歩く人も多い. しかし,江戸時代においてはまったく様子が違っていた.江戸初期から明治に至る間に徳島を描いた絵図を見ると,眉山の麓には寺社が数多く描かれているが,山頂あたりには1つもない.寺社に限らず建造物や道についてもまったく描かれていない.そのようなものは存在しなかったのである.これは町中にある山としては異様に思われる.徳島藩の初代藩主蜂須賀家政が天正13年(1585)に阿波国に入部し,徳島に城下町を建設した後,藩は眉山の山麓に次々と寺社を配置し,境内を殺生禁断,草木の伐採禁止,土石の採掘禁止などの措置を講じて,庶民が山へ入ることを抑えていた.眉山は登ってはならない山であった.その理由として,防衛のため,山に登り徳島城を見下ろすのは不遜と考えられたため,山火事を防ぐためなどの理由が挙げられている. このように江戸時代において人々の暮らしとは隔絶した存在であったように思われる眉山であるが,江戸初期から明治期に作成された絵図に表れる眉山を注意深く見ると,眉山が当時の人々にとってどのような存在であったか伺い知ることができる. 徳島藩が最初に作成した絵図は寛永年間(1624∼1643)の『御山下画図』であり,瑞巌寺の延長線上にそびえたつように明確な頂を抱く眉山が,丁寧に描かれている.眉山が城下のシンボルとして畏敬されていることがはっきり分かるものとなっている.しかし,時代が下るにつれ山頂は不明確になり眉山全体の描き方も簡略化していく. また絵図に記される山名に関しては,眉山は最初から眉山と呼ばれていたわけではなかった.最初に山名が表れるのは正保3年(1646)『阿波国徳島城之図』であるが,そこには山頂に「佐古山」と記されている.「眉山」という名称が使われるようになったのは享和3年(1803)の『御国画図』からである.また山名が記される位置も当初は眉山の東側であったものがやがて南側に記されるようになった. 講演では絵図において眉山の描き方がどう変わっていったかを解説し,そのような変遷が生じた政治的・社会的背景について考察する.
パキスタンの汚染地域から分離されたラン藻類Synechocystisのクロミウム耐性について,
日本植物学会第73回大会, 2009年9月.- (要約)
- クロミウムは体内に過剰に存在すると細胞毒性,遺伝子毒性などを発揮し生命を脅かすことが知られており,発展途上国ではクロミウムなどが適切に処理されずに放出されており深刻な問題となっている.パキスタンの汚染地域から分離されたラン藻類{i}Synechocystis{/i} の2系統についてクロミウム耐性を調べた結果,PCC6803株よりかなり高いことが分かった.また,重金属に対する解毒物質であるチオール(グルタチオン及びシステイン)の量の変化を調べたところ,チオール量の初期値と合成能力の高さがクロミウム耐性の強さと一致していることを見出した.そこでさらに,グルタチオンの合成や還元に関わる遺伝子の発現変化をリアルタイムPCRにより調べた.その結果, glutathione reductase に関しては,mRNA量とクロミウム耐性は無関係であることが示唆された.一方,グルタチオンの合成に関わるγ-glutamylcysteine synthetaseやglutathione synthetaseは,mRNA量と実際の酵素量がよく対応していた.よって,パキスタン株のクロミウム耐性が高い理由は,クロミウムを解毒するグルタチオン合成酵素の遺伝子発現がもともと高いのに加えて,クロミウム処理によりその発現が誘導されるためであることが強く示唆された.
- (キーワード)
- クロミウム / Synechocystis / グルタチオン / グルタチオン還元酵素 / γ-glutamylcysteine synthetase / グルタチオン合成酵素
イチゴ重要病害診断のための病原菌検出用PCRプライマー,
新技術説明会, 2009年4月.- (要約)
- イチゴの重要病害のうち初期症状が似ていて早期診断の難しい3つの病気(5種の病原菌)を本プライマーセットを用いたマルチプライマーPCRにより迅速かつ正確に診断でき,病気の被害拡大の防止につながる.
マルチプライマーPCR法によるイチゴの病原菌の早期同定法,
徳島生物学会第121回総会, 2008年11月.- (要約)
- イチゴの重要病害のうちイチゴ炭疽病,イチゴ疫病,イチゴ萎黄病は初期症状がよく似ており,病気の診断が難しい.一般にイチゴの病原菌の同定は,感染株から菌を分離,培養し,その菌核やコロニーの形態から診断するので,手間と熟練が必要である.もしDNA分析を用いることができれば,イチゴの病原菌の同定を簡単にし,被害拡大の防除に役立つはずである. 昨年の本学会において,イチゴ重要病害である炭疽病菌Glomerella cingulata,Colletotrichum acutatum,疫病菌Phytophthora nicotianae,Phytophthora cactorum,萎黄病菌Fusarium oxysporumの5種について病原菌特異的プライマーを作成し,感染イチゴ植物組織からこれらの病原菌を検出する方法の開発について報告した.その後,プライマーを改良してマルチプライマーPCRによりこれら5種の病原菌を1度に識別できるようになったので報告する.農林水産総合技術支援センターでは,イチゴ栽培農家から持ち込まれる病気が疑われる苗の診断を実施しているが,現在はこの方法を用いて分析しており,迅速に結果が分かるので好評をいただいている. また,イチゴの生産性の向上という観点からは,感染が疑われる苗の迅速な分析も重要であるが,病気の予防対策も望まれる.そこで,土壌中の病原菌の有無が分かれば,病気の予測や予防に繋がる可能性があると考え,土壌試料に上記の検出法を応用することを現在試みている.これまでのところ,土壌に病原菌を散布して人為的にイチゴに感染させた土壌試料や栽培農家の圃場の土壌試料から萎黄病菌F. oxysporumを検出することに成功している.しかし,萎黄病に感染したイチゴの土壌からF. oxysporumが検出されないケースもみられ,これは感染ルートが必ずしも土壌経由であるとは限らないことを示していると考えられる.また,逆に土壌にF. oxysporumが検出されてもそこに植えられているイチゴの組織からは菌が検出されないケースもあった.このように,土壌分析から即病気のができる訳ではないが,病気予測の1つの指標になりうると考え,検討を進めている.
四国霊場と自然, --- 大麻比古神社及び一番から五番札所の神木,自然景観について ---,
徳島生物学会第121回総会, 2008年11月.- (要約)
- 四国遍路は現在においても根強い人気があり,多くのお遍路さんや観光客が霊場を訪れている.「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録されたことにより,四国霊場においても世界遺産登録に向けた動きもでてきており,境内や遍路道の整備とともに歴史の調査や景観の保護も望まれている.そこで今回,阿讃山地沿いに分布する一番札所霊山寺(隣接する大麻比古神社も調査対象とした)から五番札所地蔵寺について,江戸時代以降の史料をもとに神木の歴史,そして境内やその周辺の自然環境の変遷について調べたので報告する. <神木の歴史> これらの寺社のうち,大麻比古神社の大クス,二番札所極楽寺の長命杉,五番札所のたらちね銀杏は,神木として尊崇されている. 大麻比古神社は徳島県の一宮とされ,一番札所霊山寺に隣接しており,明治になるまで別当として霊山寺を管轄していた.この神社には立派な御神木のクスノキがある.目通りの幹周囲8.3 m,高さ22 mで,樹齢1000年余と伝えられ,平成7年(1995)に鳴門市指定天然記念物に指定されている.この樹に関する史料は,大正3年(1914)の『徳島県老樹名木誌』と「徳島県老樹名木番附」が初出である. 二番札所極楽寺極楽寺には長命杉という弘法大師が植えたといういわれを持つスギの巨樹がある.目通り周囲は485 cm,高さは20 mであり,昭和42年(1967)に鳴門市指定天然記念物に指定されている.この樹は,意外なことに昭和になるまで史料に登場しない. 五番札所地蔵寺のイチョウは,別名たらちね銀杏と呼ばれる目通り幹周囲540 cm,樹高は30 mの雌のイチョウがある.このあたりの地域は日本でも他に類をみない巨樹イチョウが密集した地域であり,地蔵寺のイチョウはその中では決して大きくはないが,境内の中央にそびえる姿は参拝者の目を引きつけている.史料では,寛政12年(1800)写の『四国遍礼名所図会』の境内図にこれと思われる樹が描かれている. <自然景観の変化> 江戸時代に描かれた絵図では霊場周辺の山は松林として描かれ,門前にも松並木が見られる.ところが,現在は山から松がすっかり消え,門前の松並木もなくなっている.資料によると昭和50年代まで,この地域の山地はアカマツが優先していたことが示されており,アカマツが少なくなったのは,徳島を含め全国的に流行した松枯れによるものであろう. また,江戸時代後期の史料によると,この地域の遍路道の周りは三盆糖に関わるサトウキビや藍の畑が広がっていたことが伺われる.しかし,明治期に作成された地形図によると,遍路道の両脇は,北側(阿讃山地の南麓)には畑が残っているが,道の南側は水田となっていて,この時期にサトウキビや藍の生産から米作に切り替わっていく様子が読み取れる.現在では,遍路道の南側は水田の他にレンコン畑が広がり,遍路道の北側の今回歩いた場所では果樹園が目立つようになっている.
日本と韓国の巨樹イチョウにおけるDNAタイプ及び文化的背景の比較,
日本植物学会第72回大会, 2008年9月.- (要約)
- イチョウは非常に馴染み深い樹の一つである.しかしイチョウがいつ,どこに,どのような方法で日本に伝わったかについては,全く不明である.それを明らかにすることを目的として,当研究室では全国の巨樹イチョウのDNA 解析を進めており,ミトコンドリアDNAのnad2イントロンの塩基配列の変異から,20以上のDNAタイプが存在し,それらが特徴的な地理的分布を示すことを明らかにしてきた.今回,韓国に焦点を当て,史料調査やDNAタイプの解析を行い日本のイチョウと比較した. 史料として大正時代に刊行された日韓の巨樹の調査データをまとめた『大日本老樹名木誌』と『朝鮮巨樹老樹名木誌』を用いて巨樹イチョウのデータを比較した.所在地に関しては,日本では神社や寺が多いのに対して,朝鮮半島では寺のイチョウは少なく,儒教の学校に多い.また,伝説に関しては,日本の乳信仰や杖立て伝説にあたるものが朝鮮半島ではみられないこと,また朝鮮半島の方が祟りや祈祷の対象となっているものが多いことなどの違いがみられた. また,DNAタイプの分析の結果,韓国でのみ見られるタイプが忠清南道や慶尚北道を中心とした中央部に多く見られるのに対し,日本と共通のDNAタイプはソウルや木浦周辺などの韓国西部の港に近い場所で多く見られた.従ってソウルや木浦を介して韓国と日本,双方の間でイチョウの行き来があった可能性が考えられる.
遠賀川流域の巨樹イチョウについて,
徳島生物学会第119回総会, 2007年12月.- (要約)
- 遠賀川は福岡県を南北に縦断する川であり,石炭産業が盛んであった頃は,石炭を運搬する重要な交通路となっていたことで有名であるが,石炭の採掘が盛んになる以前からその水運は盛んであった.遠賀川沿いには,水巻町立屋敷の八剣神社にヤマトタケルが植えたという伝説をもつ幹周囲10.3 mの巨樹イチョウがある.また,直方市植木花の木堰にも幹周囲が13.6 mの巨樹イチョウがある.他にも遠賀川の土手に沿って目立つイチョウが散在しており,昔は川を往来する船乗りの目印になっていたと言われている.これらのイチョウはいつごろ,どのような目的で植えられたのであろうか.遠賀川流域の歴史をひも解いていくとこれらのイチョウとの繋がりが見えてくる. 【猿田彦信仰との関係】 遠賀川流域のイチョウのうち4本は,樹の傍らに「猿田彦大神」と刻まれた石碑が立っている.また,巨樹イチョウのある興玉神社は猿田彦を主祭神として祀っていおり,この地域において猿田彦信仰とイチョウが強く結びついている.この神社の社殿の額には,「猿田彦之尊(國津神)は天孫降臨の際天之八街まで出迎へられ道案内をされた神である 地祭り方除けに霊験あり 悪疫災難を防ぎ給ひ道中の安全を守護し給ふ」と書かれている.道案内の神であり,道中の安全を守護する猿田彦と,道中の目印となり,旅人に木陰を与え憩いの場となるイチョウが結びついたものであろう. 【水運,街道との関係】 遠賀川の水運の歴史を調べてみると,巨樹イチョウのある地は,かつての渡し場,船着き場,堰,河野合流地といった交通の要所にあたっている.昔,船頭がイチョウを目印にしていたと伝えられるが,十分にうなずける. また,江戸時代に描かれた国絵図を見ると,遠賀川は長崎街道,赤間街道,唐津街道,底井野往還といった江戸時代の街道が交叉しており,巨樹イチョウは1箇所を除いて全てこれらの街道沿いに存在している.特に長崎街道には巨樹イチョウが多く,その中には宿場や茶屋であった場所も含まれている.これらの街道の整備が行われ,宿場町が作られたのは江戸時代初期であり,他の証拠からも街道沿いのイチョウの多くはその後に植えられたものと考えられる.一方,街道から外れている水巻町八剣神社のイチョウや,中世から栄えた町である直方市植木の花の木堰のイチョウは江戸時代以前から存在していた可能性が高い.
PCRを利用したイチゴの病原菌の早期同定法の開発,
徳島生物学会第119回総会, 2007年12月.- (要約)
- イチゴの重要病害のうちイチゴ炭疽病,イチゴ疫病,イチゴ萎黄病はどれも糸状菌によって引き起こされる病害であるが,その初期症状はよく似ており病気の診断が難しい.また,一般的にイチゴの病原菌の同定は,感染した苗から病原菌を分離,培養し,その菌核やコロニーの形態から診断するが,これは手間と熟練が必要である.そこで,DNA分析により病原菌の特定ができれば,病徴の似ているイチゴの病気の診断がより簡単となり,被害拡大を防ぐのに役立つはずである. そこで,本研究はPCR法を用いたイチゴの病原菌の同定法の開発を行った.対象とした糸状菌は,イチゴ炭疽病菌Glomerella cingulata,Colletotrichum acutatum,イチゴ疫病菌Phytophthora nicotianae,Phytophthora cactorum,イチゴ萎黄病菌Fusarium oxysporumである. 変異の激しいrRNA遺伝子上のITS領域で各病原菌の特異的なDNA配列を探し出し,特定の病原菌のみを検出できるようにプライマーを作成した.そして寒天培地で培養した病原菌株から抽出したDNAでPCRを行ってプライマーの有効性を確認した. 次に実験的にこれら糸状菌に感染させた病気イチゴ苗を用いて菌の検出を試みた.その結果,Phytophthora cactorumについては未検定であるが,他の4種においては,感染イチゴ苗から接種した菌のPCR産物が検出された.次に実際の現場での有効性を確認するため,農家から持ち込まれた病気のイチゴ苗で実験を行った.そしてこれらの病気イチゴ苗からFusarium oxysporumやGlomerella cingulataを検出することができた.また,イチゴではないが,疫病と思われるタラノキからもPhytophthora cactorumが検出され,設計したプライマーの有効性が確認された.しかし,1つの病気苗から2種類の菌がPCR法で検出されるケースがあったが,この方法では,どちらが病気の主体かを判断できないため,今後その対策が必要であることもわかった.
- (キーワード)
- イチゴ / マルチプライマーPCR / 炭疽病 / 萎黄病
遠賀川沿いの銀杏の調査について,
いちょうの樹シンポジウム, 2007年11月.- (要約)
- 遠賀川沿いには巨樹イチョウが多数存在する.これらのイチョウの歴史について,水運や長崎街道や宗教との関連という視点から調査を行なった.
DNA分析によるイチョウの同木伝説の検証,
日本植物学会第71回大会, 2007年9月.- (要約)
- 巨樹に関する伝説のうち,異所にあるが元々は同じ樹であると伝えるものは同木伝説と呼ばれ,そのような伝説は各地に残っている.演者らはこれまでイチョウの伝来・伝播の歴史をDNA分析を通じて明らかにすることを試みてきており,ミトコンドリアDNAのnad2イントロンの解析から,これまでに日本に20のDNAタイプを見いだしている.今回,その過程で法然や親鸞にまつわる同木伝説をもつ巨樹イチョウのDNA分析を行なったので,その結果について報告する. 岡山県には法然にまつわる伝説を持つイチョウが3本ある.幼い法然が奈義町阿弥陀堂のイチョウの枝を折って杖としたものを奈義町菩提寺の境内に挿したところ,それが成長した.そしてその樹が大きくなった後,枝を折り杖としたものを久米南町の誕生寺の境内に挿し,やはりそれが成長したというものである.従って,この3箇所のイチョウはもともと同木ということになる.DNA分析の結果,阿弥陀堂と菩提寺のタイプは一致したが,誕生寺のDNAタイプは異なり,この樹は同木ではないことが明らかとなった. 東京都港区の善福寺のイチョウは親鸞が植えたとされる.そして後年に弟子の了海がその樹の枝を折り,挿して成長したのが品川区の光福寺のイチョウとされる.従って伝説では両者は同木ということになるが,DNA分析の結果,両者は異なるタイプであり,同木ではないことが明らかとなった.
いちょうの木についての学術的研究,
いちょうの樹学術シンポジウム, 2007年3月. 佐藤 征弥 :
石井町の県天然記念物の巨樹「矢神のイチョウ」と「天神のイチョウ」について,
徳島生物学会第118回総会, 2006年11月.- (要約)
- 徳島県石井町には県の天然記念物に指定されているイチョウが2本あり,ともに幹の周囲が10 mを超える目を瞠る巨樹である(幹周囲10 m以上のイチョウは全国でおよそ80本しかない).この2本の樹のある新宮本宮両神社と天満神社は,直線距離にしておよそ900 mしか離れておらず,まるでライバルのように偉容を競いあっている.また,これら2本の樹はそれぞれ興味深い伝説を有している.新宮本宮両神社のイチョウは,源平の合戦において壇ノ浦で扇の的を射抜いた那須与一が,戦功により当地を所領として拝した際に,山上から彼が放った矢がこの樹に当たったという伝説があり,「矢神のイチョウ」と呼ばれている.一方,天満神社のイチョウは,菅原道真にゆかりの者が当地に辿り着いて祠を建てた際に傍らに植えられたという伝説があり,「天神のイチョウ」と呼ばれている.しかし,イチョウは外来種であり,日本に伝来したのは13世紀後半から14世紀前半に大陸から持ち込まれたと考えられており,那須与一や菅原道真の時代にはイチョウが存在していなかったはずである.よって,伝説の伝える内容が史実はないと考えられるのだが,ではこのような伝説が生じた背景には何があるのだろうか. 演者は,これらのイチョウに関する資料を収集・整理し,樹の歴史や古写真による樹の姿の変遷,伝説の形成課程について調べ,その結果,特に下記のことが分かったので報告する. ・江戸期の史料にこれらのイチョウの記録は見られなかった.樹の記録は大正期から残っている. ・大正期に撮影された天神のイチョウの写真は現在の姿とよく似ている.しかし,「乳」と呼ばれる気根の多くは大正期以降に切断された形跡がある. ・イチョウと那須与一や菅原道真を結びつけた伝説の形成には,2つの神社の間の対抗意識が働いたように思われる.
矢上の大クスの歴史,
徳島生物学会第116回総会, 2005年12月. 森本 貴也, 佐藤 征弥, 堀 輝三 :
DNA分析によるイチョウの伝来と伝播について,
徳島生物学会第116回総会, 2005年12月. 佐藤 征弥, 森本 貴也, 姜 憲, 堀 輝三 :
DNA多型からみえてくる日本,韓国,中国におけるイチョウの伝播について,
日本植物学会第69回大会, 2005年9月. 山崎 識知, 佐藤 征弥, 堀 輝三 :
DNA分析によるイチョウの同木伝説の検証,
徳島生物学会第114回総会, 2004年11月. 佐藤 征弥, 山崎 識知, 堀 輝三 :
日本の古樹イチョウにみられるDNA多型の地理的分布について,
日本植物学会第68回大会, 2004年9月. 海老ケ迫 幸子, 佐藤 征弥, 堀 輝三 :
DNA分析で辿る銀杏の移動の歴史 - 日本,韓国,中国のイチョウ巨樹について -,
徳島生物学会第112回総会, 2003年12月. 佐藤 征弥, 海老ケ迫 幸子, 堀 輝三 :
イチョウの移動の歴史をDNA分析で辿れるか - 日本,韓国,中国のイチョウ巨樹について,
日本植生史学会第18回大会, 2003年11月. 佐藤 征弥, 佐藤 陽子, 天羽 宏予, 柴原 良子, 堀 輝三 :
日本の古樹イチョウにみられるDNA多型の地理的分布について,
日本植物学会第67回大会, 2003年9月. 佐藤 征弥, 越智 美幸, 小山 保夫 :
微細藻類のビタミンC量とH2O2感受性について,
日本藻類学会第27会大会, 2003年3月. 柴原 良子, 天羽 宏予, 佐藤 陽子, 小倉 奈々, 佐藤 征弥 :
巨樹のDNA分析によるイチョウの日本への伝来と伝播について,
徳島生物学会第110回総会, 2002年12月. 佐藤 征弥, 佐藤 陽子, 小倉 奈々, 堀 輝三 :
日本の巨樹イチョウにみられるDNA変異とその地理的分布,
日本植生史学会第17回大会, 2002年11月. 佐藤 征弥, 佐藤 陽子, 小倉 奈々, 堀 輝三 :
日本におけるイチョウmtDNAの変異とその分布,
日本植物学会第66回大会, 2002年9月. 佐藤 征弥, 小山 保夫 :
植物プランクトンの nonprotein thiol について,
徳島生物学会第107回総会, 2002年9月. 佐藤 征弥, 吉岡 愛, 小林 真紀, 浦本 陽華, 小山 保夫 :
微細藻類における細胞内チオール量と水銀耐性及び酸化ストレスとの関係,
日本植物学会第65回大会, 2001年9月. 佐藤 征弥, 平地 義伸, 吉岡 愛, 小林 真紀, 小山 保夫 :
微細藻類における細胞内チオール量と重金属耐性について,
日本植物学会第64回大会, 2000年9月. 佐藤 征弥, 平地 義伸, 向井 真弓, 小山 保夫 :
プラシノ藻類及びハプト藻類の細胞内チオールの定量,
日本藻類学会第24回大会, 2000年3月. 佐藤 征弥, 布野 敬子, 山崎 慎介, 金丸 芳 :
ストレス処理により分泌される褐藻類ヒジキの生理活性物質について,
日本植物学会第63回大会, 1999年10月. 佐藤 征弥, 高島 由希, 濱崎 静恵, 小山 保夫 :
プラシノ藻類 Tetraselmis tetrathele における重金属結合性ペプチドの動態,
日本藻類学会第23回大会, 1999年3月. 佐藤 征弥, 布野 敬子, 梯 麻美子, 唐木 恵美, 金丸 芳 :
褐藻類ヒジキにおけるストレス処理による分泌物の性質について,
日本藻類学会第23回大会, 1999年3月. 佐藤 征弥, 梯 麻美子, 唐木 恵美, 布野 敬子, 小山 保夫 :
褐藻類ヒジキにおける紫外線吸収物質のストレス処理による分泌·合成,
日本植物学会第62回大会, 1998年9月. 佐藤 征弥 :
藻類の環境ストレス防御メカニズム,
徳島生物学会第101回総会, 1998年6月. 佐藤 征弥, 梯 麻美子, 唐木 恵美, 小山 保夫 :
プラシノ藻類 Tetraselmis tetrathele における重金属結合性ペプチドの解析,
日本藻類学会第22回大会, 1998年3月. 佐藤 征弥, 高島 由希, 濱崎 静恵, 小山 保夫 :
プラシノ藻類 Tetraselmis tetrathele における重金属処理による細胞内チオールレベルの変化,
日本植物学会第61回大会, 1997年9月. 佐藤 征弥, 濱崎 静恵, 高島 由希, 酒井 敦, 黒岩 常祥 :
ミル(Codium fragile)オルガネラDNAの精製,
日本藻類学会第21回大会, 1997年3月. 佐藤 征弥, 高島 由希, 濱崎 静恵, 小山 保夫 :
重金属処理によるプラシノ藻類 Tetraselmis tetrathele 細胞内チオール濃度の変化,
日本藻類学会第21回大会, 1997年3月. 浅井 和美, 門脇 光一, 佐藤 征弥, 西口 正通, 原田 久也 :
ダイズゲノムに存在するマイクロサテライトの構造解析,
日本育種学会第90回講演会, 1996年9月. 佐藤 征弥 :
ヒトエグサ葉緑体DNAの精製,
日本藻類学会第20回大会, 1996年3月. 川崎 信二, 佐藤 征弥, 宮本 勝, 安東 郁男 :
イネのいもち病抵抗性遺伝子の精密マッピングとゲノムライブラリー作成の試み,
日本植物生理学会1994年度年会, 1994年3月. 佐藤 征弥, 宮本 勝, 安東 郁男, 斎藤 彰, 川崎 信二 :
イネいもち病菌に対する抵抗性遺伝子の探索,
第25回種生物学シンポジウム, 1994年1月. 宮本 勝, 佐藤 征弥, 安東 郁男, 児玉 治, 赤塚 尹巳, 川崎 信二 :
イネのいもち病抵抗性遺伝子Pi-bの精密マッピング,
日本育種学会第84回講演会, 1993年10月. 佐藤 征弥, 宮本 勝, 安東 郁男, 斎藤 彰, 川崎 信二 :
イネのいもち病抵抗性遺伝子Pi-ta2及びPi-ztの精密マッピング,
日本育種学会第84回講演会, 1993年10月. 佐藤 征弥, 宮本 勝, 安東 郁男, 斎藤 彰, 川崎 信二 :
RFLP分析によるイネのいもち病抵抗性遺伝子のマッピング I, --- Pi-bおよびPi-ztについて ---,
日本育種学会第82回講演会, 1992年10月. 佐藤 征弥, 宮本 勝, 安東 郁男, 斎藤 彰, 川崎 信二 :
インド型イネから導入したいもち病抵抗性遺伝子のRFLP分析,
日本植物学会第57回大会, 1992年9月. 川崎 信二, 佐藤 征弥, 宮本 勝 :
2次元電気泳動で分離した植物オルガネラ特異的タンパク質のキャラクタリゼーション,
日本植物生理学会1992年度年会, 1992年3月. 佐藤 征弥, 宮村 新一, 堀 輝三 :
制限酵素パターンの解析による緑藻イワヅタ属(Caulerpa)葉緑体DNAの種間および種内変異,
日本植物形態学会第4回大会, 1991年10月. 佐藤 征弥, 堀 輝三, 佐々 勤 :
緑色藻類における眼点の単離およびその性質の解析,
日本植物学会第56回大会, 1991年9月. 佐藤 征弥, 堀 輝三, 佐々 勤 :
プラシノ藻類(Prasinophyceae)Pyramimonas parkeaeにおける眼点の単離とその色素分析,
日本藻類学会第15回大会, 1991年3月. 佐藤 征弥, 宮村 新一, 堀 輝三 :
嚢状緑藻イワヅタ属(Caulerpa)葉緑体DNAの単離と解析,
日本植物形態学会第3回大会, 1990年10月. 佐藤 征弥, 根本 泰行, 河野 重行, 長田 敏行, 黒岩 常祥 :
タバコ培養細胞におけるミトコンドリア染色体の多様性とその存在様式,
日本植物学会第54回大会, 1989年9月. 佐藤 征弥, 根本 泰行, 長田 敏行, 黒岩 常祥 :
タバコ培養細胞からintactなミトコンドリアの単離法の開発,
日本植物学会第53回大会, 1988年10月. 佐藤 征弥, 根本 泰行, 河野 重行, 長田 敏行, 黒岩 常祥 :
タバコ培養細胞のミトコンドリア核のDNA量及びゲノム組成,
日本植物学会第53回大会, 1988年10月.
- 研究会・報告書
- 佐藤 征弥 :
日本生物学オリンピック2023講習会, --- 植物学・生態学 ---,
日本生物学オリンピック講習会, 2023年6月.- (要約)
- 徳島県内の高校生とジュニアドクター(中学生)を対象に「日本生物学オリンピック2022 予選問題」の中から植物学と生態学の分野の問題を取り上げた解説動画を無料配信した.
- (キーワード)
- 日本生物学オリンピック
日本生物学オリンピック2022講習会, --- 植物学・生態学 ---,
日本生物学オリンピック講習会, 2022年6月.- (要約)
- 徳島県内の高校生とジュニアドクター(中学生・小学生)を対象に「日本生物学オリンピック2021 予選問題」の中から植物学と生態学の分野の問題を取り上げた解説動画を無料配信した.
- (キーワード)
- 日本生物学オリンピック
令和3年度 オンライン日本生物学オリンピック講習会, --- 植物学・生態学 ---,
日本生物学オリンピック講習会, 2021年6月.- (要約)
- 徳島県内の高校生とジュニアドクター(中学生・小学生)を対象に「日本生物学オリンピック2020 代替試験 一次試験問題」の中から植物学と生態学の分野の問題を取り上げた解説動画を無料配信した.
- (キーワード)
- 日本生物学オリンピック
講義「日本庭園について」と実習(自然観察), --- 城北高校の理数科学科の「総合的な探求の時間」において, 旧徳島城表御殿庭園をフィールドとして日本庭園に関する講義と調査, 自然観察を行なった. ---,
2020年10月.- (キーワード)
- 日本庭園 / 旧徳島城表御殿庭園
令和2年度 オンライン日本生物学オリンピック講習会, --- 植物学・生態学 ---,
日本生物学オリンピック講習会, 2020年10月.- (要約)
- 徳島県内の高校生とジュニアドクター(中学生・小学生)を対象に「日本生物学オリンピック2019予選問題」の中から植物学と生態学の分野の問題を取り上げた解説動画を無料配信した.
- (キーワード)
- 日本生物学オリンピック
モラエスゆかりの紅羊羹の復活秘話,
徳島市・レイリア市姉妹都市提携50周年記念事業 ポルトガル&レイリア・ウィーク, 2019年11月.- (要約)
- かつてモラエスが好んだ日の出楼の紅羊羹は,製造中止になっていた.2018年に徳島大学大学院の授業にて,復活させるプロジェクトに取り組み,2019年7月1日に日の出楼から「紅羊羹」「赤ワイン羊羹」の2種類の羊羹が発売された.その経緯について解説した.
- (キーワード)
- モラエス / 羊羹 / ポルトガル / ポルトガル&レイリア・ウィーク
日本生物学オリンピック講習会 植物学・生態学分野, --- 問10,11,12,14 の解説 ---,
日本生物学オリンピック講習会, 2019年6月.- (要約)
- 徳島県内の高校生とジュニアドクター(中学生・小学生)を対象に「日本生物学オリンピック2018予選問題」の中から植物学と生態学の分野の問題を取り上げて解説した.
- (キーワード)
- 日本生物学オリンピック
日本生物学オリンピック講習会2017 予選問題の解説, --- 植物・生態分野(問 7, 8, 15, 16, 17) ---,
日本生物学オリンピック講習会, 2018年6月.- (要約)
- 県内の高校生および中学生を対象に「日本生物学オリンピック2017予選問題」の中から植物と生態に関する問題を取り上げて解説した.
- (キーワード)
- 日本生物学オリンピック
今こそモラエス,
2018年3月28日例会, 2018年3月.- (要約)
- モラエスの人生と作品,またモラエスの顕彰に尽くした人々についてロータリークラブの理念と絡めて講演した
- (キーワード)
- モラエス / ロータリークラブ
巨樹の話,
2017年6月.- (要約)
- 世界の巨樹,日本の巨樹,徳島県の巨樹を紹介し,巨樹と人との関わりや保護について紹介した.
- (キーワード)
- 巨樹
農作物・樹木の病害診断と治療,文化的資源としての活用,
平成28年 県と徳島大学との農林水産関係研究発表会, 2016年3月.- (要約)
- これまでの研究成果の中から農林水産業と関係の深いテーマである野菜の病害の遺伝子診断法の開発,樹木の病気の治療,公園の歴史の解明と観光地化,リスボン植物園に関する共同研究,徳島の巨樹イチョウについて紹介した.
モラエスの庭, --- 徳島の自然・人・心 ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.2, No.0, 91-93, 2012年12月.- (キーワード)
- モラエス / 成果報告 / 創生研究プロジェクト / モラエス研究 / 徳島 (Tokushima)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 105946
(徳島大学機関リポジトリ: 105946) 佐藤 征弥 :
農作物の病気被害を減らせ, --- 遺伝子検査による病気の診断と予防への応用 ---,
第1回東京編・徳島大学研究者との集い, 2011年2月. 佐藤 征弥 :
創成学習における少人数教育と学外活動の試みについて,
平成18年度 徳島大学教育カンファレンス, 2007年3月.- (要約)
- 創成学習の授業「身近にあるゆったりもの(天然記念物調査)」では,この2年間学生とともに巨樹の歴史調査を行った.少人数教育にしたことにより,フィールド調査,聞き取り調査,史料調査,ディスカッションなど多様な内容を試みることができたが,学外での作業を多くしたため授業時間内に終わらない等の問題点もあった.これら少人数教育と学外活動の組み合せのメリット,デメリットについて報告する.
スペルミンによるタバコ病害抵抗性の獲得,
日本ポリアミン研究会第16回研究発表会, 2001年1月. 佐藤 征弥 :
モラエスがみた「幸福な日本人」,
令和5年度総合科学部創生研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進経費報告書「異文化に照らし出された四国 ∼グローカルな観点による外国人受容と交流についての文献調査∼」, 34-48, 2024年3月.- (要約)
- モラエス(Wenceslau de Moraes)の作品には,弱者に対する深い同情や共感がしばしば表れる.彼の著作から彼が考える幸福,そして彼自身の幸福とはどのようなものであったのだろうか.本研究は,モラエスの著作から「幸福」「幸せ」と表現されている箇所を抽出し,モラエスの考える幸福について掘り下げた.
- (キーワード)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス / モラエス / ditoso / feliz / felicidade
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 119219
(徳島大学機関リポジトリ: 119219) 古田 貴, 増田 拓朗, 佐藤 征弥 :
令和3年度緊急調査事業・令和4年度再生事業報告書『国指定天然記念物「赤羽根大師のエノキ」の再生に向けて』,
1-79, 2023年3月.- (要約)
- 衰弱が進んだ国指定点年記念物「赤羽根大師のエノキ」について令和3年に実施した緊急調査事業,および令和4年に実施した再生事業について報告した.
- (キーワード)
- 赤羽根大師のエノキ / 天然記念物 / 巨樹
モラエスの趣味を通じた友人倉本清一と彼が残したモラエス忌の寄せ書きについて,
令和4年度徳島大学総合科学部創生研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進経費報告書「異文化に照らし出された四国 ∼地域における外国人受容の意義についての歴史的研究∼」, 46-59, 2023年3月.- (要約)
- 倉本清一は,昭和前期に活躍した徳島市の実業家であり,モラエスと趣味を通じて親しく交際していた貴重な人物であった.しかし,これまでのモラエス研究において彼が注目されることはなかった.2022年に倉本清一の遺族より,彼が昭和27(1952)年から昭和30(1955)年にかけての4年間のモラエス忌の際に作成した寄せ書きが発見された.本研究は,寄せ書き解析と,遺族の方へのインタビューにより,清一がどのような人物であり,モラエスとどのような交流があったのか明らかにした.
- (キーワード)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス / モラエス
初期邦訳の広告・書評からみえるモラエスの宣伝戦略について,
令和3年度総合科学部創生研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進経費報告書「異文化に照らし出された四国 ∼グローカルな視点からの文献調査から∼」, 45-56, 2022年3月.- (要約)
- モラエスの著作は七回忌を契機に1935(昭和10)年に最初の邦訳『日本精神』が第一書房から刊行され,翌年1936(昭和11)年にかけて第一書房からは『徳島の盆踊』『日本夜話』が,昭森社から『おヨネと小春』が矢継ぎ早に邦訳された.本研究は,第一書房と昭森社の出版思想から,モラエスを第二の小泉八雲として,また当時ブームであった南欧詩人の一人として売り出そうという背景があったことを明らかにした.
- (キーワード)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス / モラエス / 第一書房 / 昭森社 / 秋朱之介 / 日本精神 / おヨネと小春 / おヨネとコハル / 花野富蔵 / 長谷川巳之吉
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 117080
(徳島大学機関リポジトリ: 117080) 佐藤 征弥 :
モラエス七回忌法要の背景, --- 顕彰,観光への期待,『日本精神』刊行の意味するもの ---,
令和2年度総合科学部創生研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進経費報告書「異文化に照らし出された四国 ∼グローカルな視点からの地域文化に関する文献調査から∼」, 46-60, 2021年3月.- (要約)
- 1935(昭和10)年のモラエスの七回忌法要は,日本政府の後援を得て盛大に営まれた.本論文は,この法要に重要な役割を果たした人物の背景や思想を紹介し,七回忌法要に対する彼らの思惑を考察した.特に徳島出身で外務省情報部長であった天羽英児や,これまでのモラエス研究で取り上げられることのなかった日本文化連盟会長で内務省警保局長を務めたことのある松本学が法要の計画時から携わり,文芸を通じて国際社会に日本精神を伝えることで国威発揚を目論み,大々的な法要を通じて国内外にモラエスをアピールすることを企図したことを指摘した.また,徳島側にとっては,モラエス顕彰は国内外に徳島を紹介する材料としたいという期待があり,天羽や光景図書館長坂本章三がその橋渡し役を担った.さらに彼らをとりまく人物や関係団体に触れながら,七回忌法要の目的とその後のモラエス顕彰に与えた影響について論考した.
- (キーワード)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス / モラエス / 湯本二郎 / 花野富蔵 / 天羽英児 / 日本精神 / 松本学 / 日本文化連盟 / 文芸懇話会 / 佐藤春夫 / 国際文化振興会 / 新居格
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 115948
(徳島大学機関リポジトリ: 115948) 佐藤 征弥 :
モラエスの``Dai-Nippon (O Grande Japâo)''に対する評価について,
平成31年度総合科学部創生研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進経費報告書「異文化に照らし出された四国 ∼外国語文献と異文化的視点を持つ関連文献の調査から∼」, 52-60, 2020年3月.- (要約)
- 本研究は,ポルトガルと日本以外,特に欧米の国々におけるモラエスに対する関心の高さや作品の評価ついて調査した.WorldCatによる調査では,世界の図書館で最も収蔵数が多い彼の著作は``Dai-Nippon (O Grande Japâo)''(邦題『大日本』)であった. 『大日本』)はデジタルアーカイブによる検索でもヒット数が多く,また古書市場においても他の著作よりも高い値がついている.日本論というテーマからすると,晩年に著した『日本精神』の方が内容の深さいう点では勝るが,西洋諸国が日本に関心を抱きはじまた時に刊行された『大日本』が,当時大きな話題となったことが,この調査からも裏付けされた.
- (キーワード)
- ヴェンセスラウ・デ・モラエス / モラエス / 大日本 / O Grande Japâo
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 114717
(徳島大学機関リポジトリ: 114717) 佐藤 征弥 :
モラエスの前半生の軌跡, --- 生い立ちから日本移住まで ---,
2019(令和元)年度放送大学学長裁量経費プロジェクト モラエス顕彰による「ふるさと創生」プロジェクト報告書, 15-21, 徳島, 2020年1月.- (要約)
- 2019年9月1日に放送大学徳島学習センターで開催したシンポジウムでの講演の内容をまとめたものである.モラエスの生い立ちから日本移住までの前半生を著作を交えて紹介した.
- (キーワード)
- モラエス
喜賓会設立における蜂須賀茂韶の存在と旅行案内所に描かれた四国,
平成30年度総合科学部創生プロジェクト経費・地域創生総合科学推進経費報告書「異文化に照らし出された四国∼外国人ならびに国際的に活躍した四国出身者の残した文献の調査・研究∼」, 57-69, 2019年3月.- (要約)
- 日本で最初に作られた外国人観光客の誘致のための組織は明治26年(1893)に設立され喜賓会(The Welcome Society)であり,会長に就いたのは徳島藩最後の藩主で,明治維新後は外交官,政治家,実業家として活躍した蜂須賀茂韶である.近年,観光産業に関する研究が盛んになるとともに喜賓会に言及する研究が増えてきたが,蜂須賀茂韶については深く取り上げられることがなかった他,本研究は蜂須賀茂韶が会長となった経緯を調べた.蜂須賀茂韶は,外交において,交通インフラのビジネスにおいて,そして政治家として,喜賓会の創立メンバーの多くと幅広く太い人脈を有していた.喜賓会の創立時には,貴族院議長という要職にあり,また侯爵というメンバーの中で最も高い爵位を有していることが会長に選ばれた大きな理由であることに間違いないだろうが,肩書きだけの問題ではなく,名実ともに会長にうってつけの人物であったと言える. 次に喜賓会が発行した外国人向けのガイドブックに四国がどのように扱われているか調べた.ガイドブックに示された推奨プランのうち,四国で入っているのは道後温泉のみで,それも3週間よりも長い旅行期間が取れる場合である.遍路や四国霊場はほとんど紹介されていない.四国は観光地としての価値が極めて低いと言わざるを得ないが,その大きな要因となっているのは交通の不便さにあったと考えられる.
- (キーワード)
- 蜂須賀茂韶 / 喜賓会 / インバウンド / 四国 (Shikoku)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 113662
(徳島大学機関リポジトリ: 113662) 佐藤 征弥 :
モラエスを初期に国内外に紹介した会田慶佐,
平成29年度総合科学部創生研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進報告書「異文化に照らし出された四国∼外国語文献の調査・研究∼」, 50-59, 2018年3月.- (要約)
- 会田慶佐は,ヴェンセスラウ・デ・モラエスの ‟O ‟Bon-odori„ em Tokushima''(邦題『徳島の盆踊』)を翻訳した人物として知られている.会田訳の『徳島の盆踊』は,モラエスの死後5年経った1934(昭和9)年6月22日から徳島毎日新聞に連載された.翌年,会田はモラエスの七回忌の法要に出席するため徳島を訪れ,座談会に出席したり新聞に回想や翻訳を発表した.筆者は,七回忌における会田の証言や記事から,彼がモラエスのことを存命中から知っており,ブラジル滞在中にサンパウロの新聞にモラエスを紹介し,帰国後モラエスと書簡を交わしたり,日本の雑誌にモラエスを詳しく紹介したことを知った.モラエス存命中における会田のこれらの活動は,これまでのモラエス研究で見逃されていた.本稿では,会田とモラエスの関わりについて紹介し,初期のモラエス紹介者として彼が果たした功績を検証した.
- (キーワード)
- 会田慶佐 / 會田慶佐 / モラエス / ヴェンセスラウ・デ・モラエス
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 113658
(徳島大学機関リポジトリ: 113658) 宮崎 隆義, 石川 榮作, 佐藤 征弥, 境 泉洋 :
平成28年度徳島大学総合科学部部局長裁量経費 総合科学部創生研究プロジェクト実践報告, --- モラエス顕彰による地方創生プロジェクト ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.7, 16-20, 徳島, 2017年12月.- (要約)
- 2016年4月から2017年3月にかけての徳島大学総合科学モラエス研究会の活動を記す.まず,研究会の例会を9回開き,モラエス著『日本精神』をテキストに用いた読書会を行った.また,モラエス研究の成果として論集を発行した他,論文や報告書等を発表した.さらに行事として,2016年5月30日にモラエス誕生日を祝う行事を,2016年9月17日にポルトガルファド講座2016「ファドとアマリア・ロドリゲス」を,2016年10月15日に『恋の浮島』講演会と映像研究会を開催した.
- (キーワード)
- モラエス / 成果報告 / 創生研究プロジェクト / モラエス研究会
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 110987
(徳島大学機関リポジトリ: 110987) 佐藤 征弥 :
モラエス翁記念碑について,
「モラエス顕彰による地方創生プロジェクト」論集, No.3, 26-31, 2017年3月.- (要約)
- 徳島市新町橋2丁目にあるモラエスの石碑は,1954年(昭和29)7月1日にモラエス生誕100年を記念して徳島市が建立したものであり,造園家椎原兵市により設計された.彼の母校である京都工芸繊維大学に収蔵されている設計図を調査し,設計の詳細を紹介するとともに,石碑に関連する事柄についてまとめた. 碑石や台座は北木石が指定されており,肖像のレリーフはブロンズ製,碑文を刻む石は黒御影石が指定されている.肖像部分は彫刻家樽谷清太郎が製作した.また,碑文に刻まれたモラエス評「日本の魂に取替えた人」および「故国の銀河を遠く離れて燦と輝く明星」という表現は,どちらも故国ポルトガルでの評価であり,前者がフィデリーノ・デ・フィゲイレド(Fidelino de Sousa de Figueiredo),後者はフィアリョ・デ・アルメイダ(José Valentim Fialho de Almeida)による. この石碑については正式な名称が定まっていないが,設計図には「モラエス翁記念碑」と明記されており,この名称を定着させるべきであると考える.
- (キーワード)
- モラエス / ポルトガル / モラエス研究会
グローバリズムとモラエス, --- モラエスが世界に広げた〈徳島の自然・人・心〉の再構築 ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.6, No.0, 26-29, 徳島, 2016年12月.- (要約)
- This report is a record of the social action activities in 2015 of W. de Moraes financed by the Faculty of Integrated Arts and Sciences, Tokushima University. Moraes's Studies Group, launched on July 31, 2010, the members of which are Takayoshi Miyazaki (English Literature, Comparative Literature), Eisaku Ishikawa (German Literature, Comparative Literature), Masaya Satoh (Plant Physiology), Mtohiro Sakai (Clinical Psychology), all at the Institute of Socio-Arts and Sciences, Tokushima University, has been continuing analytical research on Moraes's works and trying to open new facets of Moraes's biographical aspects, including the social action activities of organizing exhibitions and lectures on Moraes with other groups in Tokushima. As the basic activities, we have been organizing regular meetings every month or every two months, and have read Moraes's O Bon-odori em Tokushima, Ó-Yoné e Ko-Haru, and we are now reading Relance da Alma Japonesa. Our activities are further developing with the cooperation with other local groups in Tokushima, Kobe, Osaka and Tokyo; and also gaining connections with Portugal, after visiting Leiria, Coimbra and Lisbon in Portugal in March 2015.
- (キーワード)
- モラエス / 成果報告 / 創生研究プロジェクト / モラエス研究 / グローバリズム / 徳島 / 平成27年度報告
2015ポルトガル訪問記,
「モラエス顕彰による地方創生プロジェクト」論集, No.2, 3-14, 2016年3月.- (要約)
- 2014年3月に徳島大学総合科学部から国際交流に関わる助成を得て,モラエス研究会のメンバーのうち宮崎と佐藤の2名が,ポルトガルを訪問した.短い期間ではあったがレイリア市でIPレイリアとの交流打ち合わせやモラエス研究会の活動報告を行い,リスボンではモラエス協会会長ご夫妻やイングリッド・マルティンス女史と交流,モラエス生家の訪問など様々な活動を行った.
- (キーワード)
- モラエス / ポルトガル / モラエス研究会
グローバリズムとモラエス, --- モラエスが世界に広げた〈徳島の自然・人・心〉の再構築 ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.5, No.0, 42-45, 徳島, 2015年12月.- (要約)
- 平成23年度徳島大学総合科学部学部長裁量経費 総合科学部創生研究プロジェクトの成果を報告した.例会である読書会の開催の他,徳間大学ガレリアでのモラエス展示,住友美代子氏による朗読会の開催,藤原正彦氏による講演会「モラエス,父,私」を共催した.
- (キーワード)
- モラエス / 成果報告 / 創生研究プロジェクト / モラエス研究 / グローバリズム / 徳島
岡村多希子訳『日本精神』読書会,
「モラエス顕彰による地方創生プロジェクト」論集, No.1, 4-7, 2015年3月.- (要約)
- 2014年11月29日に,翻訳者岡村多希子氏が参加されてモラエス研究会主催の『日本精神』読書会を行い,日本と西洋の言語や文化の違いについてモラエスの考えや現在の学説について議論した.
- (キーワード)
- モラエス / モラエス研究会 / 日本精神
グローバリズムとモラエス, --- モラエスが世界に広げた〈徳島の自然・人・心〉の再構築 ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.4, No.0, 64-67, 徳島, 2014年12月.- (要約)
- 平成23年度徳島大学総合科学部学部長裁量経費 総合科学部創生研究プロジェクトの成果を報告した.例会である読書会の開催の他,神戸三宮周辺での調査資料見学ツアーを開催した.
- (キーワード)
- モラエス / 成果報告 / 創生研究プロジェクト / モラエス研究 / 徳島 (Tokushima)
モラエスの庭, --- 徳島の自然・人・心 ---,
徳島大学地域科学研究, Vol.3, No.0, 140-142, 徳島, 2013年12月.- (キーワード)
- モラエス / 成果報告 / 創生研究プロジェクト / モラエス研究 / 徳島 (Tokushima)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 106421
(徳島大学機関リポジトリ: 106421) 大橋 眞, 山城 孝, 中鉢 龍一郎, 佐藤 征弥, 佐藤 高則, 石田 啓祐, 西山 賢一 :
地域的課題に関心を向ける体験型環境教育の意義と試行的実施,
大学教育研究ジャーナル, Vol.4, No.4, 62-67, 徳島, 2007年3月.- (要約)
- 現代教育ニーズ取組支援プログラムの一環として開始した「豊饒な吉野川を持続可能とする共生環境教育」のフィールドでの環境教育として,生命科学系,地学系の教員が中心となり,2006年度は3つの体験型授業プログラムを実施した.実施概要を報告するとともに,いずれのプログラムに置いても受講生の評価は高く,自然科学を基盤とした環境教育において,地域の抱える課題に関連した体験型授業プログラムを講義やゼミに組み入れることの重要性を論じた.
- (キーワード)
- 環境教育 / 体験型授業 / 地域
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 82414
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050282812440487424
(徳島大学機関リポジトリ: 82414, CiNii: 1050282812440487424)
- 特許
- 川崎 信二, 桂 直樹, 佐藤 征弥, 安東 郁男, 斉藤 彰 : イネのいもち病抵抗性遺伝子の核酸マーカーと,このマーカーによって得られるイネいもち病抵抗性遺伝子, 特願06-179314, 特開07-163357, . 川崎 信二, 桂 直樹, 宮本 勝, 佐藤 征弥, 安東 郁男 : イネのいもち病抵抗性遺伝子の核酸マーカーと,このマーカーによって得られるイネいもち病抵抗性遺伝子, 特願06-179313, 特開07-163371, . 佐藤 征弥, 大﨑 康平, 本田 順子, 永富 靖章, 布藤 聡 : ウリ科野菜果実汚斑細菌病菌および褐条病菌の検出方法, 特願2015-146944 (2015年7月), 特開2017-023084 (2017年2月), . 佐藤 征弥 : イチゴうどんこ病菌の検出方法および検出用プライマー, (2015年6月), 特開2015-112561 (2016年12月), 特許第2016-220651号 (2016年12月). 佐藤 征弥, 広田 恵介, 向井 真紀子 : イチゴ重要病害の病原菌検出方法および検出用プライマー, 特願2008-214831 (2008年8月), 特開2010-46038 (2010年3月), .
- 作品
- 研究者総覧に該当データはありませんでした。
- 補助金・競争的資金
- DNA分析に基づくイチョウの伝播と伝説に関する研究 (研究課題/領域番号: 19520542 )
古イチョウのDNA分析からみた中世の日本国内及び東アジアの交流について (研究課題/領域番号: 15652039 )
藻類における環境汚染物質の解毒メカニズムの解析 (研究課題/領域番号: 11760136 )
研究者番号(00274192)による検索
- その他
- 研究者総覧に該当データはありませんでした。
2024年11月22日更新
- 専門分野・研究分野
- 生物学 (Biology)
- 所属学会・所属協会
- 社団法人 日本植物学会
日本藻類学会
日本植物生理学会
日本植物形態学会
徳島生物学会
日本植生史学会
日本北方圏域文化研究会 - 委員歴・役員歴
- 徳島生物学会 (庶務担当理事 [1997年6月〜2003年6月])
- 受賞
- 2018年9月, 教養教育賞 (徳島大学教養教育院)
2018年10月, 第5回モラエス賞 (モラエス賞実行委員会)
2020年3月, 感謝状 (徳島市長)
2020年4月, 教養教育賞 (教養教育院)
2020年10月, 感謝状 (徳島日本ポルトガル協会)
2022年11月, 教養教育賞 (教養教育院)
2023年4月, 教養教育特別表彰 (教養教育院) - 活動
- 徳島県 (徳島県環境影響評価審査会委員 [2000年4月〜2008年3月])
徳島県 (フロンティアテクノ21推進事業·研究開発ジャンプアップ事業評価委員 [1996年4月〜1998年3月])
徳島県 (徳島県環境審議会委員 [2020年8月〜2024年7月])
徳島県海陽町 (国指定天然記念物「宍喰浦の化石漣痕」保護検討委員会委員 [2009年7月〜2010年3月])
徳島県阿波市 (国指定天然記念物「阿波の土中」緊急調査指導委員会委員 [2011年7月〜2013年3月])
徳島県阿波市 (国指定天然記念物「野神の大センダン」整備基本計画策定委員 [2017年5月〜8月])
徳島県 (徳島県県民環境部指定管理候補者選定委員会委員 [2017年7月〜10月])
徳島市教育委員会 (史跡徳島城跡保存活用計画策定委員会委員 [2018年9月〜2022年3月])
徳島県つるぎ町 (つるぎ町国指定天然記念物「赤羽根大師のエノキ」保護検討委員会委員長 [2021年7月〜2023年3月])
徳島市 (徳島市緑化審議会委員 [2023年4月〜2024年6月])
徳島県 (徳島県立佐那河内いきものふれあいの里指定管理候補者選定委員会委員長 [2022年7月〜10月])
徳島市 (徳島市緑化審議会委員 [2024年7月〜2026年6月])
教務委員会委員 (1996年4月〜1999年3月)
地域共同センターリエゾンオフィス運営委員会 (1999年4月〜2001年3月)
入試委員 (2000年5月〜2002年4月)
環境安全委員会 (2001年4月〜2003年3月)
将来構想委員会委員 (2004年4月〜2010年3月)
自己点検評価委員会委員 (2006年4月〜2007年3月)
FD委員会委員 (2008年4月〜2009年3月)
ネットワーク委員会委員 (2009年4月〜2010年3月)
紀要編集委員会委員 (2011年5月〜2024年4月)
総務委員会委員 (2012年4月〜2020年3月)
自己点検評価委員会委員 (2018年4月〜2021年3月)
入試委員 (2019年5月〜2020年3月)
現況調査表作成WG委員 (2019年11月〜2020年3月)
駐車場委員会委員 (2020年4月〜2023年3月)
SIH道場コーディネーター (2021年4月〜2022年3月)
学生委員会委員 (2022年4月〜2024年3月)
創成科学専攻学生委員会 (2022年4月〜2024年3月)
2024年11月17日更新
2024年11月16日更新
Jグローバル
- Jグローバル最終確認日
- 2024/11/16 01:21
- 氏名(漢字)
- 佐藤 征弥
- 氏名(フリガナ)
- サトウ マサヤ
- 氏名(英字)
- Satoh Masaya
- 所属機関
- 徳島大学 准教授
リサーチマップ
- researchmap最終確認日
- 2024/11/17 01:34
- 氏名(漢字)
- 佐藤 征弥
- 氏名(フリガナ)
- サトウ マサヤ
- 氏名(英字)
- Satoh Masaya
- プロフィール
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 登録日時
- 2009/7/16 00:00
- 更新日時
- 2024/1/17 14:10
- アバター画像URI
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- ハンドル
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- eメール
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- eメール(その他)
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 携帯メール
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 性別
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 没年月日
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 所属ID
- 0344009000
- 所属
- 徳島大学
- 部署
- 総合科学部
- 職名
- 准教授
- 学位
- 理学博士
- 学位授与機関
- 東北大学
- URL
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 科研費研究者番号
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- Google Analytics ID
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- ORCID ID
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- その他の所属ID
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- その他の所属名
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- その他の所属 部署
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- その他の所属 職名
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 最近のエントリー
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- Read会員ID
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 経歴
- 受賞
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- Misc
- 論文
- 講演・口頭発表等
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 書籍等出版物
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 研究キーワード
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 研究分野
- 所属学協会
- 担当経験のある科目
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- その他
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- Works
- 特許
- 学歴
- 委員歴
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
- 社会貢献活動
- リサーチマップAPIで取得できませんでした。
2024年11月16日更新
- 研究者番号
- 00274192
- 所属(現在)
- 2024/4/1 : 徳島大学, 大学院社会産業理工学研究部(生物資源産業学域), 准教授
- 所属(過去の研究課題
情報に基づく)*注記 - 2009/4/1 : 徳島大学, 大学院・ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部, 准教授
2007/4/1 – 2008/4/1 : 徳島大学, 総合科学部, 准教授
2003/4/1 – 2005/4/1 : 徳島大学, 総合科学部, 助教授
2000/4/1 : 徳島大学, 総合科学部, 助教授
1999/4/1 : 徳島大学, 総合科学部, 講師
- 審査区分/研究分野
-
研究代表者
農学 / 水産学 / 水産学一般
人文社会系 / 人文学 / 史学 / 史学一般
- キーワード
-
研究代表者
藻類 / 植物プランクトン / nonprotein thiol / グルタチオン / システイン / 解毒 / 重金属 / 酸化ストレス / イチョウ / Ginkgo biloba / DNA / ミトコンドリアDNA / 伝来 / 巨樹 / 文化交流史 / 伝説
研究課題
研究成果
共同研究者