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井戸 慶治
徳島大学
2024年11月25日更新
- 職名
- 名誉教授 (2024.4)
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- 学歴
- 1987/3: 京都大学 大学院文学研究科ドイツ語学ドイツ文学専攻博士後期課程 退学
- 学位
- 文学修士 (京都大学) (1985年3月)
- 職歴・経歴
- 〜: 徳島大学 助教授, 総合科学部 (-2007.3.)
2007/4: 徳島大学 准教授, 総合科学部 (-2009.3.)
2009/4: 徳島大学 准教授, 大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部 (-2012.3.)
2012/4: 徳島大学 教授, 大学院ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部 (-2016.3.)
2016/4: 徳島大学 教授, 大学院総合科学研究部 (-2017.3.)
2017/4: 徳島大学 教授, 大学院社会産業理工学研究部 (-2024.3.)
- 専門分野・研究分野
- ドイツ文学 (German Literature)
2024年11月25日更新
- 専門分野・研究分野
- ドイツ文学 (German Literature)
- 担当経験のある授業科目
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- 指導経験
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2024年11月25日更新
- 専門分野・研究分野
- ドイツ文学 (German Literature)
- 研究テーマ
- ドイツ・ロマン派文学, 第一次世界大戦時のドイツ捕虜 (ノヴァーリス) (ドイツの初期ロマン派文学(ヴァッケンローダー
ノヴァーリスなど)
最近は特にこの時代の芸術論・芸術家論について研究している.また
第一次世界大戦のときに日本に抑留されていたドイツ捕虜の研究を
彼らの新聞や手記の翻訳を中心におこなっている.)
- 著書
- 井戸 慶治, 川成 洋 :
巡洋艦「カイゼリン・エリーザベト」と第一次世界大戦」(『ハプスブルク事典』の一部), --- 日本におけるオーストリア=ハンガリー兵捕虜 ---,
丸善出版, 2023年1月.- (要約)
- 2023年に丸善書店より刊行された『ハプスブルク事典』(編者代表:川成洋)のうち,「題名」に記した個所(644-645頁)を担当.
- (キーワード)
- オーストリア兵捕虜
松山のドイツ兵捕虜と収容所新聞「ラーガーフォイアー」,
愛媛新聞社, 松山, 2019年12月.- (要約)
- 第一次世界大戦時の青島のドイツ兵捕虜収容所のひとつである松山俘虜収容所(1914ー1917)について主に扱い,捕虜新聞『ラーガーフォイアー』の記事その他の関連史料からの引用・参照をおこなった.内容的には,青島戦争と捕虜収容の概要,収容所内での諸活動,上記新聞記事から日本や世界旅行記,戦争に関するものを取り上げ,終章では日露戦争における松山俘虜収容所や前後の時代の捕虜待遇などとの比較を試みた.2021年1月,「愛媛出版文化賞」の奨励賞を受賞.
- (キーワード)
- 第一次世界大戦 / 捕虜
「ディ・バラッケ」第三巻,
鳴門市ドイツ館, 2005年3月.- (要約)
- 「板東俘虜収容所」のドイツ人捕虜によって作られた新聞の翻訳.1918年10月から19年3月までに発行された部分を収録.
フィヒテ全集 第22巻 教育論·大学論·学者論,
晢書房, 入間, 1998年10月.- (要約)
- 関連日記·書簡のうち『オット家の子供たちの教育に関する日誌』(1789年)(439∼487頁)を担当.これは,フィヒテがチューリヒのオット家に滞在して二人の子供の家庭教師をしていた頃の,両親への報告と意見表明である.フィヒテと教育方針の合わない両親との辛辣なやり取りから,彼の人間観に即した教育論や頑固な性格が読み取れる.
フィヒテ全集 第2巻 初期政治論,
晢書房, 入間, 1997年9月.- (要約)
- 『眠れぬ夜の断想』(1788年),『プロイセン治下の諸国住民への呼びかけ』(1792年),『思想の自由回復の要求』(1793年)(以上1∼69頁),『フリーメイソンリーの哲学―コンスタントへの手紙―』(1802年),関連日記·書簡のうち『チューリヒ日記』(1789年)(以上339∼441頁)を担当. はじめの3つは,フィヒテが無名の頃に書かれた比較的短い政治的著作.『眠れぬ夜の断想』は,当時のヨーロッパの政治·社会制度を批判するユートピア小説の構想.『プロイセン治下の諸国住民への呼びかけ』は,プロイセン王フリードリヒ·ヴィルヘルム二世の宗教勅令を支持する文書の構想.『思想の自由回復の要求』は匿名で出版されたパンフレットで『呼びかけ』とは異なる立場から書かれている.自由にものを考え,その内容を他者に伝達することが人間の譲渡不可能な権利であることを主張し,ドイツ諸邦の言論統制を批判したもの. 『フリーメイソンリーの哲学』は,フリーメイソンであった頃のフィヒテがこの結社の理念について論じたもの.それは人間性一般の陶冶を目的とするもので,成員がさまざまな地位·職業の人々からなることがこれに役立つことなどが述べられている.『チューリヒ日記』は,チューリヒで家庭教師をしていた若きフィヒテの思いや構想を記したもの.
- 論文
- 井戸 慶治 :
ケルン大聖堂の建設とゲレスのゴシック建築論,
シェリング年報, No.20, 84-95, 2012年.- (要約)
- 19世紀のケルン大聖堂の建築再開にかかわるヨーゼフ・ゲレスのゴシック建築論を扱った.数百年間建築の中断していたケルン大聖堂の再建を彼は1814年に呼びかけるが,そのさい中世に栄えたReich(神聖ローマ帝国)のその後の分裂と没落,望まれるドイツ統一を念頭に置いていた.彼の建築史的概観において,ゴシック建築は「皇帝党の建築」,すなわち芸術におけるゲルマン的北方のローマへの抵抗,信仰分裂(宗教改革)の前段階と捉えられている.彼はゴシック様式をドイツの建築家による発明とみなして「ドイツの建築」と呼び,それ以前のロマネスク,ビザンチンの様式よりも優れたものとする.ケルン大聖堂はかつての構想において「全ドイツ建築のカノン」とみなされ,ライン地方を含む「アウストラシア」はゴシックの中心とされる.ゲレスのこうした見方には,特にナポレオンの支配以来の愛国主義と,彼の故郷ライン地方をその後領有したプロイセンへの抵抗・愛郷心と結びついた芸術に対するロマン派特有の擬似宗教的な姿勢が見て取れる.
- (キーワード)
- ゴシック建築
ヴァッケンローダーにおける芸術家と社会,
ドイツ文学論集, No.43, 1-17, 2010年.- (要約)
- ヴァッケンローダーの作品の中で問題視されている芸術家,ルネサンスの画家ピエロ・ディ・コジモと18世紀の架空の音楽家ヨーゼフ・ベルクリンガーの,社会との関係を検討し考察したもの.旺盛な想像力を抑制せず,社会との関係を断って孤独に死ぬピエロは,同様の資質を持ちながら外界にも素材を求め,学芸・活動の普遍性を持つレオナルド・ダ・ヴィンチと対照的に描かれている.やはりピエロに似た傾向を持つベルクリンガーは,父親との若いとその死の悲しみにより現実世界との関係を回復する.しかし彼は,芸術の社会的有用性への疑いと芸術の欺瞞性に対する良心の呵責を持ち,この近代芸術(家)に内在する問題点をピエロはまだ持たない.
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1520290885452840320
(CiNii: 1520290885452840320) 井戸 慶治 :
初期ティークにおける芸術の自律性の思想,
シェリング年報, No.18, 63-73, 2010年.- (要約)
- ドイツ・ロマン派に見られる芸術の自律性の思想の諸芸術間における相互影響について,初期ティークにおいて考察したもの.音楽においては,言語テキストに依存しない器楽曲,特に交響曲が自律的芸術一般の範として賞賛される.絵画においては,従来の歴史画と異なり,宗教的・歴史的コンテキストから独立した風景画が,新しい芸術として提示される.文芸においては,意味の脈絡の希薄な気分や音声を重視した作品が提起されている.自律的文芸は,ほかの芸術に比べれた最も実現から遠かったにしても,自律的芸術の思想を表明したのは,ティークやヴァッケンローダーの文芸作品が最も早く,同時代とそれ以降の音楽や絵画に影響を与えたが,それには彼らの諸作品が音楽と造形芸術をともに扱ったものであることも影響している.
ノヴァーリスとシラー, --- 両者の十字軍観を中心に ---,
ドイツ文学論集, No.38, 37-48, 2005年.- (要約)
- シラーは十字軍に関する論考の中で,中世の「戦いの千年」と十字軍がその愚劣さにもかかわらず,結果的に人間的自由の萌芽を守ったとする.ノヴァーリスは,「青い花」第四章で,騎士たちの視点から「聖戦」の熱狂を,また捕われた東邦の女性の視点から侵略戦争の残虐さを描く.またある断片では,「十字軍においてヨーロッパが目に見えるものとなる」と述べている.啓蒙主義の思想家・歴史家たちは十字軍をもっぱら否定的に見たが,両者はそれのみならず新たなものを産み出す肯定的な要素も見ており,この共通点においてノヴァーリスが学生時代に聞いたシラーの歴史講義の影響の可能性が考えられる.
Überlegungen zu Novalis' Das Gedicht`` und seiner Interpretation,
Neue Beiträge zur Germanistik, Vol.3, No.5, 119-134, 2004. 井戸 慶治 :
『夜の讃歌』と『パラミュティーエン』,
ヘルダー研究, No.9, 71-96, 2003年.- (要約)
- ノヴァーリスの「夜の讃歌」とヘルダーの「パラミュティーエン」の関連と両者における神話的要素の処理などについて考察したもの.両者はともにヤングの「夜想」から着想を得たとする説と,後者の三つの小品が前者の三つの讃歌に影響を与えているというウンガーの説を紹介·検討.神話的要素の処理法については,第五讃歌と「パラミュティーエン」の中の「スフィンクス」を比較した.前者の第一の特徴は,神々や人物の名が挙げられず,特性描写や行為から誰なのかがわかることであるが,後者では神々の名のみならず歴史的人物の名まで呼ばれる.第二の特徴はギリシア神話からキリスト教への自然な移行であり,そのさいノヴァーリスは,キリストとギリシアの神々を同一の神性の異なった形態と見なす.異種の神話圏結合のために,仲介者である「ヘラスから来た歌人」が配置され,キリストにギリシア世界を引き渡し,ポエジーの代理者としてキリストに作品全体の核心的思想を述べる.ヘルダーが作品の各所に新しい着想を少しずつ加えているのに対し,ノヴァーリスは,ギリシア神話や福音書の内容が別個に語られるときにはほとんど何も変えず,両者の結合点に半ば創作の人物である歌人を配置し,ここに独自のものを集中的に盛り込んでいる.
ノヴァーリスの詩'An Tieck'について,
ドイツ文学論集, No.35, 63-72, 2002年.- (要約)
- 表題の詩は,ティークの勧めで読んだヤーコプ·ベーメから刺激を受けて書かれたノヴァーリス後期の作品.当論文では,18世紀終わり頃までのベーメ受容史を略述したのち,この詩の解釈を試みた.この詩の中には,ベーメに特徴的な表現のみならず,古来の,また同時代の諸表現が効果的に使用されていること,また推敲の過程では,表現の拡散を抑制することにより,作品の統一性や簡明さが志向されていたことなどを,指摘した.
- (キーワード)
- ノヴァーリス / ヤーコプ·ベーメ
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1520853835406250112
(CiNii: 1520853835406250112) 井戸 慶治 :
ノヴァーリスにおける「器官の能動的使用」について,
シェリング年報, No.6, 75-84, 1998年.- (要約)
- テキストの精査により,ノヴァーリスの「魔術的観念論」の核心が「器官の能動的使用」であることをまず指摘した.「能動的使用」の例は,芸術家が普通は受容的にしか作用しない感覚器官を用いて,同時にみずからのうちから産出をおこなうところに見られる.すでにかなりの程度恣意的に扱える思考器官を出発点として,能動的使用を諸器官一般にまで拡張できるとされる.そのさいフィヒテの「知的直観」がその範型として言及されるが,ここに言うのは自我の「事行」(Tathandlung)と直結した知的直観というよりも,むしろ哲学者のおこなう自由な知的直観であることを指摘した.これによって哲学者は自我を生じさせると同時に,それを観察,描写してみずからの体系をも産出する.この「実験」の方法を,ノヴァーリスは器官の能動的使用とみなすのである.
- (キーワード)
- ノヴァーリス / フィヒテ / 知的直観
1800年におけるノヴァーリスの病気論,
ドイツ文学論集, No.26, 1-9, 1993年.- (要約)
- 1800年に成立した病気に関するノヴァーリスのいくつかの断片を主として扱ったもの.それらに共通するのは,病気が「より高い」ものと関連づけられていることである.まず,病気は当時の生理学理論に言うSensibilität(筋肉の刺激反応能力であるReizbarkeitの対概念で,神経,魂の能力である.)が,「より高い力」へと移行しようとして生じるのであり,自然を越えてゆく自由や優れた精神の特性の証拠であるとされる.また病気は,「より高い故郷,より高い自然の記憶」であり,さらに「生きる術と心の鍛錬のための修業時代」として,人間形成のために利用されるべきだとされる.このようにノヴァーリスの病気論の特徴は,一般には否定的に見られがちな病気を,さまざまな「より高い」ものとの関連で,肯定的に評価していることである.病気はわれわれの中にある優れた潜在能力や理想的状態の現れであり,それを想起させるものであり,それに到達するための手段と考えられている.
ノヴァーリスと考えるという行為について,
ドイツ文学論集, No.22, 1-8, 1989年.- (要約)
- ノヴァーリスの断片などにおけるDenken, Philosophierenの意味について考察したもの.1796年のフィヒテ研究ノートにおいて,Philosophierenは根拠を求める行為と規定されるが,絶対的な根拠は与えられていないのでこの欲求は無限の自由な活動へと移行し,それが結局は唯一可能な絶対的なものだという逆説が提示されている.この行為の所産としての哲学(Philosophie)は,自由への努力の中断によって産み出されたものにすぎない.また1798年の断片では,Philosophierenが高次の自我,理想的な自我との対話であるとされている.考える行為と深く関わるのが初期ロマン派の断片(Fragmente)という形式である.これはフランスのアフォリズムの一変種とも見なされるが,相違を強調すればアフォリズムが自己完結を志向するのに対し,断片は開かれた性質を持ち,より大きな全体との関連が意識されている.それは著者の思索の最終的結論ではなく,生成途上の思想の一時的定着であり,読者を刺激して自発的な思考を促すのであり,この点で固定化された体系的叙述とは逆のものである.
- MISC
- 井戸 慶治 :
徳島・板東俘虜収容所における日本人向け音楽会(続),
令和4年度徳島大学総合科学部創成研究プロジェクト経費・地域創生総合化学推進経費報告書「異文化から照らし出された四国∼地域における外国人受容の意義についての歴史的考察∼」, 4-22, 2023年.- (要約)
- 前年に引き続いて同じ出版物で徳島・板東の両収容所におけるドイツ兵捕虜の日本人向け音楽会を扱った.事項としては,捕虜たちの帰国の少し前に開催された「俘虜演芸会」(お別れ演芸会)があり,捕虜側のプログラムなどの記録が残っていないため,日本側のプログラムから演奏された曲の名を推測した.さらに比較のため,久留米,名古屋,広島における捕虜の日本人向け演奏会について調査し,比較した.その結果,徳島・板東の収容所では,かなり早期の段階から日本人向けの演奏会が実施されていることが明らかになり,軍上層部の指示には従っていないこと,当時の新聞や捕虜による収容所新聞などに記録がないことなどから,松江所長以下の収容所管理部の裁量で許可していたのではないかと推測した.
- (キーワード)
- 音楽 (music) / ドイツ兵捕虜
徳島・板東俘虜収容所における日本人向け演奏会,
令和3年度総合科学部創成研究プロジェクト「異文化に照らし出された四国∼「ぐろーかる」な観点からの文献調査から∼」, 4-17, 2022年.- (要約)
- 第一次世界大戦時にドイツ兵捕虜が収容されていた徳島と板東の俘虜収容所において開催された日本人向け演奏会について知りうるかぎり挙げ,その内容について調査したもの.日本側の陸軍文書の記録や英文学者中野好夫の回想録,捕虜側の記録などに依拠した.曲目やプログラムの変化を通して,日本人とドイツ兵捕虜相互の音楽的交流の進展が明らかになった.
- (キーワード)
- 音楽 (music) / ドイツ兵捕虜
リスト<フン族との戦い>,
南葵音楽文庫紀要, No.4, 36-42, 2021年.- (キーワード)
- ドイツ兵俘虜 / 音楽 (music)
板東のドイツ兵捕虜と櫛木への遠足,
『異文化に照らし出された四国∼外国人ならびに国際的に活躍した四国出身者の残した文献の調査・研究から∼』令和2年度総合科学部創成研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進報告書, 3-16, 2021年.- (要約)
- 板東俘虜収容所のドイツ兵捕虜による遠足,特に櫛木海岸への遠足を扱った.多くの人間が長期間不自由な生活を強いられる捕虜生活は「鉄条網病」と呼ばれた精神疾患や人間関係の悪化の原因となり,外出や遠足はそれへの重要な対処法のひとつであった.板東では実質的に戦闘の終わった1918年終わり頃から鳴門の撫養や阿讃山脈を越えて瀬戸内海に至る長距離の遠足が数多くなされた.捕虜たちに最も好まれた目的地は櫛木(往復30キロ)であり,1919年7月下旬から10月26日までの全28回の遠足ではすべてここで海水浴その他の活動がなされた.その地域の住民との人間的な交流もなされ,捕虜たちのストレス抑止にも役立ったと思われる.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 115945
(徳島大学機関リポジトリ: 115945) 井戸 慶治 :
徳島俘虜収容所について ―その開設をめぐって―,
青島戦ドイツ兵俘虜収容所研究, No.16, 39-63, 2020年.- (要約)
- 第一次世界大戦時の徳島俘虜収容所の開設をめぐる事柄について取り上げた.陸軍によって当初約1,000名の捕虜の収容が寺町の数箇寺に予定されていたが,当時の地方新聞によれば賃貸料の関連で見合せとなる.その後200名の収容が決定されるが,場所については県会議事堂兼公会堂となり隣接の中学校の宿舎の一部も予定されるが,こちらは中止となり,代わりに議事堂構内にバラッケが新設される.大阪から小松島を経て徳島収容所に至った捕虜たちに公衆や新聞の対応は比較的良好であった.松江所長の捕虜向けの挨拶や市民向けの言葉は,表面上簡潔で寛大な待遇を期待させるものではないが,基本的な方針は日露戦争時の捕虜待遇の理念に従ったもので,加えて捕虜との正確なコミュニケーションを重視している.
徳島俘虜収容所の新聞『トクシマ・アンツァイガー』の徳島関連記事,
『異文化に照らし出された四国∼外国人ならびに国際的に活躍した四国出身者の残した文献の調査・研究から∼』平成31年度総合科学部創成研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進報告書, 5-18, 2020年.- (要約)
- 第一次大戦時の徳島俘虜収容所の捕虜新聞『トクシマ・アンツァイガー』における徳島関連の記事を扱った.まず,年中行事や祭りについては,収容所のある川辺で見られた天神祭りや現在「阿波踊り」と呼ばれている盆踊り,ひな祭りと遊山に関する記事を取り上げた.次に川と船に関連した内容で,近くの港に出入りするさまざまな会社の汽船,ボート競争をおこなう生徒たち,水浴する子供たちなどを描写した記事に言及した.最後に,捕虜たちが外出して訪れた教会での宗教音楽(捕虜の楽団が演奏),近郊の日の峰,中津峰への遠足の記録なども取り上げた.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 114714
(徳島大学機関リポジトリ: 114714) 井戸 慶治 :
松山収容所の捕虜新聞『ラーガーフォイアー』における日本・四国関連記事について,
『異文化に照らし出された四国∼外国人ならびに国際的に活躍した四国出身者の残した文献の調査・研究から∼』平成30年度総合科学部創成研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進報告書, 5-19, 2019年.- (要約)
- 第一次大戦時の松山収容所で出されていた捕虜新聞『ラーガーフォイアー』における日本,特に四国,松山周辺にかかわる記事を扱った.5号にわたって連載された記事「マツヤマ」からは,松山城,道後温泉,歴史関連のこと,日本人の特色や宗教にかかわる部分を取り上げた.またそれ以外の記事からは松山の町の様子,銭湯,芸者,寄席,相撲,五月の節句に関する箇所を取り上げて論じた.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 113659
(徳島大学機関リポジトリ: 113659) 井戸 慶治 :
捕虜郵便と検閲 ―松山収容所の場合―,
青島戦ドイツ兵俘虜収容所研究, No.15, 61-86, 2018年.- (要約)
- 第一次大戦時の日本の捕虜収容所における郵便と検閲について,松山収容所を例にとって論じた.捕虜の郵便は,受信・送信ともハーグ条約の規定により送料は無料であり,そのため検閲も合わせて収容所の業務は多忙となり,送信便数の制限や作業の遅滞という結果となった.検閲により,日本や収容所管理部に都合の悪い情報は削除されたが,通常のルートによらない「秘密通信」も試みられ,管理部もそれを取り締まった.参考資料として,収容所新聞『ラーガーフォイアー』の記事より,散歩における日本社会の観察について書かれた対照的な二つの手紙文例(多分に皮肉な内容のもの)と,松山収容所からの「秘密通信」によりドイツに到達した一文書を訳出した.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 115802
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050850412711831040
(徳島大学機関リポジトリ: 115802, CiNii: 1050850412711831040) 井戸 慶治 :
松山俘虜収容所(1914-1917)の捕虜待遇に関するドイツ兵捕虜の見解,
『異文化に照らし出された四国∼外国語文献の調査・研究から∼』平成29年度総合科学部創成研究プロジェクト経費・地域創生総合科学推進報告書, 5-15, 2018年.- (要約)
- 第一次世界大戦時の松山収容所における捕虜待遇について,異なる立場からの諸見解を多面的に検討した.アメリカ大使館の書記官サムナー・ウェルズの報告では,収容所の待遇は比較的よいもので,捕虜将校から出された苦情については根拠が不十分としている.ジーメンス社のドレンクハーンによる視察報告では,松山収容所は上中下のうち下のランクと評価され,「非友好的かつ拒否的」とされている.ベルリン文書館に保管されているおそらく将校による秘密通信の手紙では,捕虜たちが収容所管理部によって嫌がらせを受けていることが報告されている.兵卒捕虜の中では特権的地位であった日語通(通訳)のマイスナーは前川所長に対して一部肯定的な評価もしているが,兵卒ラウテンバッハの日記では,日本側管理部の評価は非常に悪い.以上を総合すれば,松山収容所の捕虜待遇は時を経るにしたがって徐々に悪化していったことがわかり,この時期の日本の収容所としてはあまり良好ではなかったことになる.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 113655
(徳島大学機関リポジトリ: 113655) 井戸 慶治 :
徳島・板東におけるドイツ兵捕虜の展覧会,
青島戦ドイツ兵俘虜収容所研究, No.11, 21-44, 2014年.- (要約)
- 第一次世界大戦時の徳島と板東の両俘虜収容所(松江所長以下管理部スタッフはほぼ同じ)におけるドイツ兵捕虜による展覧会について扱った.徳島の展覧会(1916年4月23日)は全国の収容所では最初のものであり,その目的は,管理部にとっては不測の事態防止のための捕虜の精神衛生向上,日本社会にとってはドイツの優れた技術の民間産業・教育への普及,捕虜にとっては展示品販売による経済的利益であった.板東での「美術工芸展覧会」(1918年3月8∼19日)は,丸亀での成果を参考に日本人公衆にも公開され,多くの観客を集めて盛況であった.当時の陸軍公文書や地方新聞によれば,好評を博し日本人管理部,周辺住民の協力もあったことがわかる.
- (キーワード)
- 捕虜 / ドイツ
ドイツ兵捕虜と「武士道」, --- ―ドイツ側からの「武士道」への言及について― ---,
青島ドイツ兵俘虜収容所研究, No.8, 25-48, 2010年.- (要約)
- 第一次大戦時の在日ドイツ捕虜をめぐるドイツ側(捕虜による収容所新聞の記事と報告書,当時のドイツの新聞)にかなり多く見られる「武士道」への言及を分析したもの.新渡戸稲造の英文著作"Bushido"や日露戦争における各国の報道や日本側のプロパガンダなどが,ドイツ人の「武士道」知識の起源と考えられるが,その新聞記事や報告には,それらの情報源で非常に賞賛されていた「武士道」への幻滅も見られ,一部の収容所における待遇の悪さや実際の日本人との接触の体験によると思われる.
青島戦ドイツ人捕虜の元部隊について, --- ―ドイツ海兵隊の歴史と性格― ---,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.16, 79-100, 2008年.- (要約)
- 第一次大戦時の青島ドイツ兵捕虜の所属部隊である「第三海兵大隊」「東アジア海軍分遣隊」と「膠州海軍砲兵隊」は,いずれも海軍に属していながら前二者は「ドイツ海兵隊」に属し,階級名などの点で陸軍と共通点が多く,第三の部隊はそうではない.そこで,ドイツ海兵隊のブランデンブルク以来の歴史と各時代における任務をいくつかの文献をもとに調査し,その性格を明らかにし,それによって海兵隊に属しているが陸軍との人事交流が多かった前二者の部隊と,直接海軍に属する「膠州海軍砲兵隊」の階級名や服装の差異の原因を指摘した.海兵の部隊はアフリカ植民地の原住民による反乱や義和団事件にも有事即応部隊として投入され,必ずしも「騎士道的」とは言えない戦闘にも従事した.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 521
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050001337463603456
(徳島大学機関リポジトリ: 521, CiNii: 1050001337463603456) 井戸 慶治 :
ヴァッケンローダーに描かれたラファエロとデューラー,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.14, No.0, 31-55, 2006年.- (要約)
- ヴァッケンローダーによる二人の画家の描写を検討し,彼の意図や芸術館を考察.ラファエロは紙と直接接する人とされ,距離感をもって描かれ,原典のヴァザーリにある彼の勤勉さや弱点は無視される.デューラーは,祖国(ドイツ)の親しみ深い画家として描かれ,彼の宗教性は神への従順さとして表わされる.伝記作者(ヴぁざー利など)は事実に即して描いているのに対し,ヴァッケンローダーは素材を選択し,虚構を交えることで,芸術家のある特性を強調し,彼らに作品全体の中で特定の役割を与える.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 496
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050564287416132096
(徳島大学機関リポジトリ: 496, CiNii: 1050564287416132096) 井戸 慶治 :
ヴァッケンローダーの音楽観,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.13, 59-75, 2005年.- (要約)
- ヴァッケンローダーの「芸術についての幻想」の音楽を扱った部分などにおける彼の音楽観を論じたもの.第一に音楽と感情との密接な関連性,第二に音楽の数学的性質,第三に音楽の持つ純粋性とデモーニッシュな性格という両義性,という彼の音楽観の三つの主要な論点を指摘した.第一の点に関連して,バロック期のAffektenlehreとの関連について,過去の諸研究を整理した.最後に,彼の作品における音楽の部と絵画の部の文体的・素材的相違に触れ,これが音楽に関する論考を音楽的な仕方で表そうとする表現の実験なのだと仮説を立てた.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 487
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050583647831675648
(徳島大学機関リポジトリ: 487, CiNii: 1050583647831675648) 井戸 慶治 :
ノヴァーリスの刺激理論受容における生理学用語の使用について―シェリングとの比較において―,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.8, 77-103, 2001年.- (要約)
- ノヴァーリスの断片や研究ノートにおける類義の生理学用語,Reizbarkeit, Irritabilität, Erregbarkeitの異同と,刺激理論の受容について考察したもの.まずこれらの概念がハラーやブラウンを経て18世紀後半のドイツに至る歴史を概観し,ついで1790年代後半に書かれたシェリングの自然哲学諸著作における用語の使用を調査し,最後にこれと比較しつつノヴァーリスの関連する記述を成立順に扱った.結論としては,ノヴァーリスのReizbarkeitの意味が時期によって変化しており,1798年秋頃まではブラウン説のErregbarkeitをさし,それ以降はレシュラウプ,シェリングによってブラウン説に取り込まれたハラー理論の(Sensibilitätと対になっている)Irritabilitätをさすという仮説を提示した.ノヴァーリスはブラウン説の一貫した単純性や主張の大胆さには共感していたが,その機械論的要素については終始批判している.またシェリングはSensibilitätをIrritabilitätの上位において,有機体における外界からの影響よりも内発性を重視するが,ノヴァーリスはそれ以上に自由や病気につながる可能性としてSensibilitätに着目している.
- (キーワード)
- ノヴァーリス / シェリング / ブラウン説
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 427
(徳島大学機関リポジトリ: 427) 井戸 慶治 :
日常生活の哲学と魔術的観念論, --- ノヴァーリスのテプリッツ断片集について ---,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.4, 71-94, 1997年.- (要約)
- 未刊行だがその予定で書かれ,完結したものとみなされる標記断片集について考察したもの.集の中心にあるのは「日常生活の哲学」であり,それは「歴史的な」ものと「哲学的な」ものを,すなわち日常生活の観察,叙述と,それについて思考し,それにしたがって行為することを含む.日常生活の哲学はまた,事物のうちにより高い意味を見出す術をも含む.こうして日常生活の哲学は,広義の宗教的なもの,敬虔さともかかわる.この集のある断片は,魔術的観念論にはじめて言及しているが,その内容は説明されていない.集の外にある断片や書簡の記述から,これは通常受容的に使用される感官などを逆方向に産出的に用いる「器官の能動的使用」であると考えられる.魔術的観念論は,日常生活の哲学のために理論的根拠を与える.あるいは後者は身近なものへの前者の適用である.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 371
(徳島大学機関リポジトリ: 371) 井戸 慶治 :
フリードリヒ·シュレーゲルにおける「漂い」について,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.2, 107-123, 1995年.- (要約)
- 「漂い」(Schweben)というシュレーゲルに特徴的な思考法について考察したもの.これは活動範囲によって対象の上での漂い,自我の上での漂い,二極間での漂いの三つの種類に分類できる.文学作品の批判と創作において,シュレーゲルは対象への自在な没入のみならず,対象から距離をとること,すなわち第一種の漂いをも要求する.イロニー概念への言及の中には第三種の例が多く,そこでは漂いが無制約のものと制約されたもの,本能と意図,「自己創造」と「自己破壊」などのあいだでなされる.そのさい両極はけっして合一されえないので,主体は両者を総合するために絶えず往復運動をしなければならない.あるべき文学作品において漂いは,文芸そのものを対象として扱い,その創造の諸条件を叙述し,場合によってはそれ自体を批判する「超越論的ポエジー」,あるいは「ポエジーのポエジー」として現れる.フィヒテやノヴァーリスにおける漂いとの比較は示唆的である.彼らの理論によれば,「生産的想像力」の漂いが両極を同時に保持するのであり,それどころかこの漂いそのものがはじめて両極を産み出すのである.
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 348
(徳島大学機関リポジトリ: 348) 井戸 慶治 :
ある旅人の言説, --- ノヴァーリスにおける自己観察と内部世界での自然産出の方法について ---,
徳島大学教養部紀要(外国語·外国文学), Vol.3, 147-186, 1992年.- (要約)
- 「ザイスの学徒」の第二部後半で最初に語る旅人の見解を考察したもの.第一に注意力の集中によって惹起される精神状態の叙述を扱い,これがシラーの「遊戯衝動」や今日の「自己暗示」であるとする説を検討し,自己観察と覚醒状態についてノヴァーリスの他の作品における類似の叙述と比較した.第二に,人間の感官と外界の自然との関連について,また純粋な内的自然を産出するための思考力の訓練についての叙述を扱い,これを理解するために,自己の精神と身体の諸機能に対する意志力の拡大というノヴァーリス特有の思想に言及した.第三に旅人の二回目の発言を扱い,その方法の特徴である「見ることと作ることとの結合」,「創造的観察」が一回目の発言における方法と関連しており,離れた箇所にある二つの発言が一貫性を持つことを指摘した.さらにここで,人間は自然をduとみなしてこれと親密に愛をもって交渉すべきだという,主知的なこの旅人の方法には合わないように思える見解が示されるが,これは実は旅人たちの会話と「ザイスの学徒」全体の底流をなしているとした.最後に,この言説とフィヒテの「哲学的反省」や「知的直観」などとの関連に言及した.
ノヴァーリスの『ヒヤシンスとローゼンブリューテのメールヒェン』について,
徳島大学教養部紀要(外国語·外国文学), Vol.1, 169-192, 1990年.- (要約)
- 小説「ザイスの学徒」の中にある標記メールヒェンを三つの観点から解釈したもの.第一にテキスト内部における解釈においては,最初の状態が子供の世界であること,旅立ちのきっかけとなる本の焼却が死と再生を象徴するものであること,旅の途上での自然景観の変化とヒヤシンスの内面の変化が相応していることなどを指摘し,憧憬の対象イシスが幼なじみのローゼンブリューテであったことの意味は,至高のもの·絶対者がそれ自体としてではなく個別的なものにおいて愛によって見出されることであるとした.第二に,自然をテーマとする外枠の小説との関連では,このメールヒェンは,思考や知識によってではなく感情によって自然を真に認識できるというひとつの自然観を間接的に表明しているとした.第三にこのメールヒェンは,原初的統一から過渡的分裂を経て最終的統一に至るという三段階の筋全体によって,小説の中で扱われる人類と世界の歴史,および人間の感官や精神諸機能の発展過程,登場人物たちの人生行路を象徴するものであるとした.
ノヴァーリスと気分について,
徳島大学教養部紀要(人文·社会科学), Vol.23, 159-182, 1988年.- (要約)
- 気分(Stimmung)の概念に関するノヴァーリスの記述を成立順に考察したもの.それによれば気分は,定かでない,音楽的な,調和的な,などと形容される魂の状態であり,幸福感をもたらしたり自然や他者との共感的交渉の媒介となったりするが,特に次の二点が彼の思想に特徴的である.第一に,何か変わった出来事によってかきたてられる気分はわれわれを散文的な日常生活から解放し,生命感を活気づけるが,ここに詩情,詩的な気分,あるいはそれを醸すものという,広義のポエジーが関わってくる.この意味でのポエジーは「心の調和的な気分」とされ,心(Gemüt)の諸機能が均衡を保ちつつ相和している状態である.第二に,仕事の始めに努力するとある種の気分が生じて,それが有益な着想をもたらし,活動を促すことがあるとされる.ここでは間接的ではあるが意図的に気分を作り出して,さらに外界に能動的にはたらきかける可能性が考えられている.
1918年6月2日,徳島における「徳島俘虜奏楽団」演奏会,
青島戦ドイツ兵俘虜収容所研究, No.5, 57-60, 2007年.- (要約)
- フライブルク連邦軍事文書館の資料に,徳島市で市民のために行われた「和洋大音楽祭」の日本語プログラムがあり,そこでは板東俘虜収容所の捕虜楽団が日本人の演奏家たちによる筝曲,長唄の演奏に挟まれて,ロッシーニの「ウィリアム・テル」序曲などを演奏することになっている.この演奏会についてはほかに記録が一切ない.この日は板東収容所でベートーヴェンの第九交響曲全曲が演奏された翌日であるが,欄外の書き込みから,それを演奏したのと同じオーケストラがその翌日に上述の演奏をおこなったことを明らかにした.(後にこの事実と符合する写真が確認された.)
- 総説・解説
- 研究者総覧に該当データはありませんでした。
- 講演・発表
- 古屋 S. 玲, 齋藤 隆仁, 井戸 慶治, 宮崎 隆義, 饗場 和彦, 三好 德和, 荒木 秀夫, 日野出 大輔, 吉本 勝彦, 佐々木 奈三江 :
徳島大学における「大学入門講座・読書レポート2014」の試み:読書からアカデミック・ライティングへ-,
平成26年度 FD推進プログラム 大学教育カンファレンス in 徳島, 2014年12月. 古屋 S. 玲, 齊藤 隆仁, 井戸 慶治, 宮崎 隆義, 饗場 和彦, 三好 德和, 荒木 秀夫, 日野出 大輔, 佐々木 奈三江 :
徳島大学における「大学入門講座・読書レポート2014」の試み, --- 読書からアカデミック・ライティングへ ---,
平成26年度全学FD 徳島大学教育カンファレンスin徳島, 14-15, 2014年12月.- (キーワード)
- 大学入門講座 / 読書レポート / 新入生 / 附属図書館
ノヴァーリスにおける「器官の能動的使用」について,
日本シェリング協会第6回大会, 1997年7月. 井戸 慶治 :
ノヴァーリスの病気論,
第42回日本独文学会中国四国支部研究発表会, 1992年11月.
- 研究会・報告書
- 井戸 慶治, 依岡 隆児, 川上 三郎, 田村 一郎, 最上 英明 :
『ラーガーフォイアー』第1巻, --- 松山俘虜収容所週刊新聞 ---,
Vol.1, 2022年12月.- (要約)
- 第一次大戦時のドイツ兵捕虜を抑留していた松山俘虜収容所の捕虜新聞前半の翻訳.5名の翻訳者の共訳.
- (キーワード)
- ドイツ兵捕虜
福岡俘虜収容所に関するノイマイアーの手記(翻訳),
青島戦ドイツ兵俘虜収容所研究, No.18, 89-122, 2022年12月.- (要約)
- 第一次世界大戦時に日本の抑留されていたドイツ兵捕虜ノイマイアーの,福岡俘虜収容所に関する部分の前半を訳出した.収容所の生活や捕虜の活動,日本人との交流などが描かれている.1914年11月から1916年1月までの記録である.
- (キーワード)
- ドイツ兵捕虜
大分俘虜収容所に関するノイマイアーの日記(続)(翻訳),
青島戦ドイツ兵俘虜収容所研究, No.17, 93-124, 2021年12月.- (要約)
- 全号に引き続いて第一次世界大戦時に日本に抑留されていた捕虜ノイマイアーの日記のうち,大分俘虜収容所に関する後半部分を訳出した.1917年2月6日から翌年の8月1日までの部分である.捕虜が収容所であった小学校でおこなった演劇や体操(トゥルネン)の催しを多数の日本人が見物したことなどが描写されている.
- (キーワード)
- ドイツ兵捕虜
大分俘虜収容所に関するノイマイアーの日記 (翻訳),
青島戦ドイツ兵俘虜収容所研究, No.16, 65-89, 2020年11月.- (要約)
- 第一次世界大戦時の青島ドイツ兵捕虜ヤーコプ・ノイマイアーの日記のうち,大分俘虜収容所に関連する部分の前半(1916年10月27日∼1917年1月31日)を訳出したもの.福岡収容所から大分への列車での移転,小学校の一校舎を利用していた収容所の様子,郊外の神社への遠足などが描写されている.日本人との関係にあまり緊張感は見られない.後半は次号にて訳出の予定.
(書評)松山寿一著『造形芸術と自然―ヴィンケルマンの世紀とシェリングのミュンヘン講演』(法政大学出版局,2015年),
シェリング年報, No.24, 177-181, 2016年7月. 井戸 慶治, 川上 三郎, 田村 一郎, 瀬戸 武彦, 田中 優 :
トクシマ・アンツァイガー ―徳島俘虜収容所新聞― (ドイツ語テキストと翻訳・CDRom),
2012年3月.- (要約)
- 第一次大戦時の徳島俘虜収容所(1914-1917)で出されていた捕虜新聞のドイツ語テキスト校訂と翻訳.全3巻67号のうち第1巻13号から25号,および第2巻1号の計14号分を責任担当.
フンツィカー牧師の収容所巡回報告,
青島戦ドイツ兵俘虜収容所研究, No.8, 65-86, 2010年11月.- (要約)
- 東京小石川に活動の拠点を置く宣教団体から派遣されたフンツィカー牧師の在日ドイツ人捕虜収容所巡回旅行報告第5-7回(1917-18)の翻訳(原典はベルリン文書館の史料).
「ディ・バラッケ」第4巻,
2007年3月.- (要約)
- 坂東俘虜収容所の捕虜新聞の翻訳.最後の半年分で月刊となった部分(1919年4月から9月,3分冊,全658ページ)のうち,7月号の一部(324-340ページ ),9月号(431-547ページ)を担当.また,同じ編集部によって作られた帰国途上の船上新聞「帰国航」Heimfahrt (639-657ページ)を担当.
フィヒテ全集補巻, --- フィヒテの生涯 ---,
2006年3月.- (要約)
- 「詩集」(フィヒテ自作の詩と,イタリア,スペイン,ポルトガルの作品の彼による訳詩)の部の翻訳と注,解説(103-148頁,421-435頁)を担当.
令和元年度 徳島大学高等教育研究センターアドミッション部門 報告書,
令和元年度 徳島大学高等教育研究センターアドミッション部門 報告書, 2020年3月. 井戸 慶治, 依岡 隆児, 他4名 :
徳島読書人が選ぶ味わいの31冊,
徳島読書人が選ぶ味わいの31冊, 1-8, 徳島, 2020年3月.- (キーワード)
- 読書 / 地域交流 / ブックリスト
徳島読書人が選ぶ魅惑の31冊,
徳島読書人が選ぶ魅惑の31冊, 1-8, 徳島, 2018年3月.- (キーワード)
- 読書 / 地域交流 / ブックリスト
松山調査報告,
青島戦ドイツ兵俘虜収容所研究, No.12, 59-79, 2015年3月.- (要約)
- 第一次大戦時の松山俘虜収容所跡地の取材報告.山越地区の弘願寺(ぐがんじ),長建寺などを訪問して住職の談話を聴取し,前者では保管されていた捕虜制作の油絵,後者ではドイツ兵捕虜が撮影した写真にある庭園と,過去帳にある日清戦争時の捕虜三名の名前も確認した.また近隣のロシア兵墓地の傍らにあるドイツ兵捕虜ラウエンシュタインの墓碑を見た.最後に関連資料として,捕虜新聞『ラーガーフォイアー』の記事「山越の展覧会」の全文試訳を添えた.
- 特許
- 研究者総覧に該当データはありませんでした。
- 作品
- 川野 卓二, 吉田 博, 金西 計英, 井戸 慶治, 齊藤 隆仁, 上田 勇仁, 塩川 奈々美 :
徳島大学SIH道場∼アクティブ・ラーニング入門∼,
2019年4月. 川野 卓二, 宮田 政徳, 吉田 博, 金西 計英, 井戸 慶治, 齊藤 隆仁, 新原 将義, 上田 勇仁 :
徳島大学SIH道場∼アクティブ・ラーニング入門∼(平成30年度),
2018年2月. 川野 卓二, 宮田 政徳, 吉田 博, 久保田 祐歌, 金西 計英, 井戸 慶治, 齊藤 隆仁, 新原 将義 :
徳島大学SIH道場∼アクティブ・ラーニング入門∼(平成29年度),
2017年2月. 川野 卓二, 宮田 政徳, 吉田 博, 川瀬 和也, 久保田 祐歌, 金西 計英, 井戸 慶治, 齊藤 隆仁 :
徳島大学SIH道場∼アクティブ・ラーニング入門∼(平成28年度),
2016年2月. 川野 卓二, 宮田 政徳, 吉田 博, 川瀬 和也, 久保田 祐歌, 金西 計英, 井戸 慶治, 齊藤 隆仁 :
徳島大学SIH道場∼アクティブ・ラーニング入門∼(平成27年度),
2015年3月. - 補助金・競争的資金
- 徳島・板東俘虜収容所の研究 (研究課題/領域番号: 20652026 )
ドイツ文学における日本受容と日本文学におけるドイツ受容 (研究課題/領域番号: 17520178 )
研究者番号(40193536)による検索
- その他
- 研究者総覧に該当データはありませんでした。
2024年11月25日更新
- 専門分野・研究分野
- ドイツ文学 (German Literature)
- 所属学会・所属協会
- 日本独文学会
中国四国支部
日本フィヒテ協会
日本シェリング協会
日本ヘルダー学会 - 委員歴・役員歴
- 研究者総覧に該当データはありませんでした。
- 受賞
- 研究者総覧に該当データはありませんでした。
- 活動
- 教務委員会委員 (1999年4月〜2001年3月)
入試委員会委員 (2002年5月〜2004年4月)
教務委員会副委員長 (2014年4月〜2015年3月)
教務委員会委員長 (2015年4月〜2016年3月)
総合科学部入学試験委員会副委員長 (2019年5月〜2020年4月)
総合科学部入学試験委員会委員長 (2020年5月〜2021年4月)
(全学)入学試験委員会副委員長 (2020年5月〜2021年4月)
2024年11月24日更新
2024年11月23日更新
Jグローバル
- Jグローバル最終確認日
- 2024/11/23 01:17
- 氏名(漢字)
- 井戸 慶治
- 氏名(フリガナ)
- イド ケイジ
- 氏名(英字)
- Ido Keiji
- 所属機関
- 徳島大学 助教授
リサーチマップ
- researchmap最終確認日
- 2024/11/24 01:20
- 氏名(漢字)
- 井戸 慶治
- 氏名(フリガナ)
- イド ケイジ
- 氏名(英字)
- Ido Keiji
- プロフィール
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- 登録日時
- 2009/7/16 00:00
- 更新日時
- 2009/7/16 00:00
- アバター画像URI
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- ハンドル
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- eメール
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- eメール(その他)
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- 没年月日
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- 所属ID
- 0344009000
- 所属
- 徳島大学
- 部署
- 総合科学部
- 職名
- 助教授
- 学位
- 文学修士
- 学位授与機関
- 京都大学
- URL
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- 科研費研究者番号
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- ORCID ID
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- その他の所属ID
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- その他の所属名
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- その他の所属 部署
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- その他の所属 職名
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- 最近のエントリー
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- Read会員ID
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- 経歴
- 受賞
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- Misc
- 論文
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- 講演・口頭発表等
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- 書籍等出版物
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- 研究キーワード
- 研究分野
- 所属学協会
- 担当経験のある科目
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- その他
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- Works
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- 特許
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- 学歴
- 委員歴
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- 社会貢献活動
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2024年11月23日更新
- 研究者番号
- 40193536
- 所属(現在)
- KAKEN APIで取得できませんでした。
- 所属(過去の研究課題
情報に基づく)*注記 - 2009/4/1 : 徳島大学, 大学院・ソシオ・アーツ・アンド・サイエンス研究部, 准教授
2007/4/1 – 2008/4/1 : 徳島大学, 総合科学部, 准教授
2005/4/1 – 2006/4/1 : 徳島大学, 総合科学部, 助教授
- 審査区分/研究分野
-
研究代表者
人文社会系 / 人文学 / 文学 / ヨーロッパ文学(英文学を除く)
研究代表者以外
人文社会系 / 人文学 / 文学 / ヨーロッパ語系文学
- キーワード
-
研究代表者
戦争捕虜 / ドイツ / 国際文化交流 / 国際方法交換 / 国際情報交換
研究代表者以外
ドイツ文学 / 日本文学 / 比較文学 / 比較文化 / 文化の影響関係 / 文化変容 / 文化交流 / 異文化理解 / German literature / Japanese literature / Comparative literature / Comparative culture / relationship of cultural influence / cultural tranfiguration / cultural exchange / crosscultural understanding
研究課題
研究成果
共同研究者