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堤 和博
徳島大学
2024年12月23日更新
- 職名
- 教授
- 電話
- 研究者総覧に該当データはありませんでした。
- 電子メール
- tsutsumi.kazuhiro@tokushima-u.ac.jp
- 学歴
- 1987/4: 大阪大学大学院文学研究科博士前期課程入学
1990/3: 大阪大学大学院文学研究科博士前期課程修了
1990/4: 大阪大学大学院文学研究科博士後期課程入学
1993/3: 大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位修得退学 - 学位
- 文学修士 (大阪大学) (1990年3月)
博士(文学) (大阪大学) (2004年3月) - 職歴・経歴
- 1993/4: 鈴峯女子短期大学講師
1998/3: 鈴峯女子短期大学退職
1998/4: 徳島大学総合科学部人間社会学科助教授
- 専門分野・研究分野
- 日本文学 (Japanese Literature)
2024年12月23日更新
- 専門分野・研究分野
- 日本文学 (Japanese Literature)
- 担当経験のある授業科目
- コース入門講座 (学部)
コース配属ガイダンス (学部)
卒業研究 (学部)
和歌から俳諧,俳諧から俳句へ (共通教育)
国際教養コースゼミ配属ガイダンス (学部)
国際教養コース入門講座 (学部)
国際教養コース卒業研究提出 (学部)
国際教養コース連絡 (学部)
地域創成特別演習 (大学院)
日本古典文学『蜻蛉日記』を読む (共通教育)
日本文化研究Ⅰ(日本古典文学) (学部)
日本文化研究演習Ⅰ(日本古典文学) (学部)
日本文化研究演習Ⅱ(日本古典文学) (学部)
日本表象文化論Ⅰ(日本古典文学) (学部)
日本言語文化特論 (大学院)
書道 (学部) - 指導経験
- 4人 (学士), 1人 (修士)
2024年12月23日更新
- 専門分野・研究分野
- 日本文学 (Japanese Literature)
- 研究テーマ
- 中古文学 (和歌, 日記文学, 物語) (中古における和歌(特に歌物語的な私家集)
日記
物語(特に歌物語)の総合的な研究)
- 著書
- 堤 和博 :
蜻蛉日記上巻前半部研究,
新典社, 2020年10月. 堤 和博 :
紫式部・定家を動かした物語, --- 謙徳公の書いた豊蔭物語 ---,
新典社, 東京, 2010年9月.- (要約)
- 藤原伊尹の『一条摂政御集』の歌物語的部分(主人公の名にちなんで「豊蔭物語」と仮称した)を精読した.「豊蔭物語」は豊蔭の恋愛相手である女主人公を異にする八段の短編から成る.しかし,作者伊尹には,「下衆」の姿勢をあくまでも貫く豊蔭と必ずしもそうではない女主人公との対照,それに,各段に劇的な展開を含ませるという二つのテーマを,原則として全体に及ぼそうとする意図をもっていたと思われることなどを指摘した.そして,「豊蔭物語」に感銘を受けた紫式部が『源氏物語』の柏木の人物造形に「豊蔭物語」特に最初の豊蔭の歌を援用し,また,定家が『百人一首』で伊尹歌を撰歌する際にも「豊蔭物語」の存在が影響した様相を説いた.
- (キーワード)
- 一条摂政御集 / とよかげ / 歌物語 / 源氏物語 / 百人一首
和歌を力に生きる, --- 道綱母と蜻蛉日記 ---,
新典社, 東京, 2009年10月.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻前半部(作者道綱母と夫兼家との間の長歌の贈答がある頃まで)を取り上げ,道綱母が兼家との夫婦生活を維持していく中で,如何に和歌を生きる力にしていたか,その様相を分析した.兼家の誠実な愛情を求める道綱母は,兼家の愛情を古今調の贈答歌,それも兼家の贈歌で始まる贈答歌の成立で確認しようとした.結婚成立前迄はそのような贈答歌がいくらかあったのであるが,結婚後は兼家の贈歌は殆ど無くなってしまう.即ち,贈答歌で愛情確認が出来なくなるのである.そんな時には,道綱母は,自ら兼家に贈歌したり,あるいは独詠歌を詠んだり,歌語りを享受したり,兼家のもう一人の妻時姫と贈答歌を交わしたりして,心を遣らなければならなかった.以上のような,道綱母の言わば和歌に縋って生きていく姿を,具体的に説いた.
- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 和歌 / 道綱母
歌語り・歌物語隆盛の頃, --- 伊尹・本院侍従・道綱母達の人生と文学 ---,
和泉書院, 大阪, 2007年10月.- (要約)
- 第一部「歌語り・歌物語隆盛の頃―伊尹・本院侍従・道綱母達の人生と文学―」では,伊尹の『一条摂政御集』の歌物語部分(「とよかげ」の部),同他撰部,『本院侍従集』,並びに『蜻蛉日記』を取り上げた.伊尹や本院侍従を取り巻く文学圏で如何に歌語りが流布していたかを考え,歌語りから歌物語(「とよかげ」の部)や私家集(『一条摂政御集』他撰部及び『本院侍従集』)が生成してくる様相を追究した.『蜻蛉日記』については,兼忠女と兼家の関係並びに二人の間にできた子を作者が養女にとるところを問題とし,兼忠女と兼家の関係が上巻に記述されない理由と,養女を取る経緯が物語的に記述される理由・様相を絡めて論じた.第二部「引歌表現研究」では,『蜻蛉日記』上巻最初の作者の引歌表現,及び『源氏物語』に見られる二つの引歌表現について論じた.『蜻蛉日記』に関しては,問題の引歌表現は基の歌の詠歌事情をも踏まえた「引き歌語り表現」とでもいうべきものであるという,従来の引歌表現の在り方を越える理解を示した.『源氏物語』については,引歌表現の様相を分析することで,引歌表現を行う登場人物の人物造形に,引歌表現の質的在り方が如何に関与しているのかを分析した.
- (キーワード)
- 歌物語 / 歌語り / 日記文学 / 引歌
日本国語大辞典第二版第十一巻, --- 「ふくかぜの」「ふしまちのつき」 ---,
小学館, 東京, 2001年11月.- (要約)
- 「ふくかぜの」の「補注」欄と,「ふしまちのつき」の「語誌」欄を執筆.
日本国語大辞典第二版第十巻, --- 「はしひめ」 ---,
小学館, 東京, 2001年10月.- (要約)
- 「はしひめ」の「語誌」欄を執筆.
日本国語大辞典第二版第三巻, --- 「かすがもうで」 ---,
小学館, 東京, 2001年3月. 前田 冨祺, 堤 和博 :
日本国語大辞典第二版第一巻, --- 「いずてぶね」 ---,
小学館, 東京, 2000年12月.- (要約)
- 「いずてぶね」の「語誌」欄を執筆.
- 論文
- 堤 和博 :
兼家の歌に自ら返歌する前の道綱母―『蜻蛉日記』上巻の「今これより」と「しれたるやうなりや」の検討を通して―,
語文, No.122, 1-11, 2024年.- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 藤原道綱母 / 返歌 / 藤原兼家
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1520019391146314368
(CiNii: 1520019391146314368) 堤 和博 :
蜻蛉日記上巻後半部の始発から歌との別れへ―道綱母にとっての和歌―,
古代中世文学論考刊行会編『古代中世文学論考第41集』, 55-84, 2020年. 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻後半部の道綱母と時姫の短連歌の場面―「いとをかしと思ひけり」の主語は道綱母―,
語文, No.112, 19-31, 2019年.- (要約)
- type:紀要論文 Departmental Bulletin Paper
- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 道綱母 / 時姫 / 短連歌
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050581168901885056
(CiNii: 1050581168901885056) 堤 和博 :
道綱母と時姫の二組の贈答歌―『蜻蛉日記』上巻前半部における町の小路の女の存在と関わって―,
古代中世文学論考第37集, 2018年.- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』 / 贈答歌 / 時姫 / 町の小路の女
離婚状態の時の道綱母の歌―「矢といふにこそ」詠を巡って―,
古代中世文学論考第31集, 72-99, 2015年.- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』 / 誹諧歌 / 離婚
『蜻蛉日記』兼家の求婚歌到来の場面・追考-上巻前半部の「序段」としての役割-,
国文学攷, No.223, 1-13, 2014年.- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』 / 求婚歌
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050577740961739904
(CiNii: 1050577740961739904) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻前半部の「序段」としての求婚場面, --- 鈴木隆司論への疑問とともに ---,
国語国文, Vol.82, No.10, 31-56, 2013年.- (要約)
- 『蜻蛉日記』の兼家の求婚場面で,兼家が道綱母との結婚を父倫寧に申し込んだのは,普通の求婚手続きからすると手を抜いた手続きなので,道綱母は不満に思ったとみるのが通説である.この件に関して,鈴木隆司「蜻蛉日記序説―いわゆる「兼家の求婚」場面を中心に―」は,次のように論じる. ㋐摂関家の男子の結婚について調査し,兼家と道綱母との間に「正式な意味での結婚」は成り立たたないのが分かった. ㋑父親に直接申し込むのは,正式な結婚に繋がる手続きである. ㋒通説が不満の吐露とみるところは,正式な結婚が成り立たない兼家が父親に申し込んできたことを不審に思っている可能性がある. 本稿ではまず,通説の見方とは大きく異なる㋒が,『蜻蛉日記』の本文解釈上成り立つか検証した.結果,鈴木の論では「いとぞあやしき」と書かれてある位置を見誤るなどの問題点があり,㋒は本文解釈に当て嵌めることはできないと考えた.また,鈴木の論には,道綱母は当時の常識を基準にして自己の結婚について考えていたという前提があるが,このような前提も通説とは大きく違う.しかし鈴木の前提では,道綱母が己が人生に苦悩したことも『蜻蛉日記』を執筆したことも説明がつかないと言わざるを得ない. 結局,道綱母は求婚場面では兼家の手続きに対して不満を吐露しているのであり,その不満は序文から読み取れる物語世界への憧れにも起因していると考えられる. このように,鈴木論の検証を通して通説的理解に立つことの妥当性が再確認できた.さらに,先に著した拙著での検討や「いとぞあやしき」の位置なども考慮すると,当該場面は,我が身に「歌物語的世界」が実現することを希求しながらそれがならなかったことを書き連ねる上巻前半部のテーマを象徴的に先取りする役割を持つ,即ち,当該場面は上巻前半部の「序段」の役割を持つと考えられる.
- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』 / 求婚
「さ夜ふけてかくやしぐれのふりは出づ」兼家に対する道綱母, --- 『蜻蛉日記』上巻57番歌の場面 ---,
『日本古典文学研究の新展開』, 153-176, 2011年.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻の作者が「ことわりの折とは見れどさ夜ふけてかくやしぐれのふりは出づべき」歌(57番歌)を詠んだ場面を解読した.ここには,本降りの雨の中夫兼家が「それはしも,やんごとなきことあり」と言って外出しようとするのを,当該の歌で作者が引き止めようとして果たせなかった経緯が描かれる.従来,この場面で,作者は自己の和歌の力の無力を思い知らされ,折しも兼家の新しい愛人町の小路の女の存在に苦しんでいる頃でもあり,二人の夫婦仲の危機的状況が読みとられていた.しかし,兼家の発言からは兼家の外出は公務によるものであることがうかがえ,だとすると作者も兼家の公務の重要性を理解していた筈であり,それが歌の上の句にも表れていると見なされる.よって,作者はここで自己の和歌の力の無力を感じることもなかったのである.また,この頃兼家は町の小路の女に対する興味を急速に失いつつあり,それにつれて作者の嫉妬心等もおさまりつつあり,穏やかな気分で歌の贈答等がなされていた.よって,この場面からは,夫婦仲の危機的状況も読みとれないのである.以上のように,この場面に対する新たな読みを示した.さらに,町小路の女が現れてからは,作者はずっと嫉妬や兼家に対する怒りを抱いていたという従来の作家論的研究に対しても,修正を迫った.
『蜻蛉日記』上巻49∼52番の二組の贈答歌を中心とした場面の考察, --- 道綱母にとっての和歌から実際面を探る ---,
国文学攷, No.206, 2010年.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻で,兼家の新しい愛人町の小路の女が男児を出産した後兼家から作者の所に仕立物の依頼があり,怒った作者はそれを突き返す.この場面に続いては,46∼57番歌が作者と兼家との間で交わされ,続いて兼家に捨てられた町の小路の女に対して作者が憎悪を剥き出しにする記述がくる.仕立物の場面と憎悪の記述に挟まれた46∼57番歌応酬の場面も,概ね二人の仲に亀裂が走っていることを前提にした読みがなされている.本稿で取り上げた49∼52番歌の応酬,特に49・50番の贈答はそのように読まれている.対して本稿では,この時期は既に兼家は町の小路の女に対する興味を失いつつあった頃であり,作者の心境も穏やかなものになっていたと思われることを重視し,かつ,これまでに見られた二人の危機的状況の中で詠まれた歌との比較結果から検討し,46∼57番歌は,平静な中でやり取りされたものとみなされると結論した.しかし,自らの不幸を強調せんとしながら『蜻蛉日記』上巻を綴る作者は,なるべく二人が喧嘩しているように見せかける叙述をなしていることも同時に指摘できる.
- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 道綱母 / 藤原兼家 / 贈答歌 / 作家論
『一条摂政御集』「とよかげ」の部のテーマ設定,
古代中世文学論考刊行会編『古代中世文学論考第23集』, 153-186, 2009年.- (要約)
- 藤原伊尹の私家集『一条摂政御集』の冒頭41首で構成される「とよかげ」の部(摂政まで陞った伊尹が自らを大蔵省の下級官人大蔵史生倉橋豊蔭なる架空人物に仮託して成した歌物語)は,恋愛相手の女性を異にする八段から構成される.この八段は詞書に工夫を凝らし後書も駆使しながら緊密な構成をとって成されているⅠ∼Ⅴ段と,詞書には工夫が見られず後書もなく緊密な構成も読み取れないⅥ∼Ⅷ段の二つの部分に分けることができ,後半部分は未定稿であるとも思われると主張したのが,先の拙稿「『一条摂政御集』論―「とよかげ」の部の特質―」であった.本稿ではこの拙稿を受け,Ⅰ∼Ⅷ段全体を貫くテーマを伊尹は設定したのではないかと考えた.即ち,恋愛及び恋愛歌贈答においてあくまでも一途な「下衆」の態度を貫く豊蔭の姿と,身分は「下衆」ながら最初は「上衆」めく態度をとっていた女主人公が豊蔭の態度に絆されて「下衆」な態度に移っていくという,男女主人公の対照的な姿を描くのが一つ目のテーマである.そして,各段における展開上,劇的な展開をみせるのが二つ目のテーマである.しかし,この二つのテーマについてⅠ∼Ⅴ段とⅥ∼Ⅷ段を比較すると,Ⅵ∼Ⅷ段はどちらか一つを欠いていたりして,やはりⅠ∼Ⅴ段と比べると達成度には差があることがうかがえるのである.
- (キーワード)
- 一条摂政御集 / とよかげ / 歌物語
「若き御心(心地)に」考, --- 『蜻蛉日記』上巻の侍女の言葉 ---,
解釈, Vol.55, No.3.4, 45-53, 2009年.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻で,作者の心を悩ませて嫉妬心もかき立てさせた夫兼家の愛人町の小路の女が兼家の寵を失った後,作者は兼家は自分の所に戻ってくると期待したのであるが,その期待は裏切られた.作者はまた兼家の愛情の欠如に悩苦しむのである.そんな作者に,侍女が「若き御心(心地)」にと言う.この言い回しは他に用例がなく,用例を集めて帰納的には解するわけにはいかない.そんな中,これは,心の持ちようが成熟しない作者を侍女が窘めた発言とみるのが有力であった.しかし,特に上巻に出てくる侍女達の作者に対する迎合的態度を勘案すると,作者を窘める侍女がこの頃作者の側にいたとは思えない.そこでこの発言は,兼家が若い頃の気持ちを捨てきれないということを言ったもの,即ち,多くの女と関係をやまようとしない兼家を非難して作者を慰めたものと解されることを説いた.
- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 道綱母 / 侍女
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1520853834050350080
(CiNii: 1520853834050350080) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻欠文部の養女問題・続攷, --- 養女問題執筆削除説における上巻前半部の主題を中心に ---,
古代中世文学論考, Vol.16, 110-129, 2005年.- (要約)
- 前記「『蜻蛉日記』上巻欠文部の養女問題攷―養女問題執筆削除の可能性―」の続編.同論文では,養女問題が一旦執筆された後に削除され,現行の『蜻蛉日記』の形になった可能性を指摘した.もしそうであるならば,養女問題が含まれていた時の『蜻蛉日記』上巻の主題も,現在のものとは別のものであったと考えなくてはならない.そこで,上巻に養女問題が含まれていた場合の主題を考え,結果,現在上巻の主題として言われている「はかなき身の上」という意味には,兼家妻としての地位の不安定さに対する不安も含まれるものと解さなければならないと指摘した.
- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 養女 / 欠文部
本院侍従の歌語り, --- 道綱母を取り巻く文壇 ---,
日本文学史の課題と方法―漢詩和歌物語から説話唱導へ―, 177-205, 2004年.- (要約)
- 藤原伊尹・兼通・兼家三兄弟のうち,伊尹の『一条摂政御集』の他撰部分に載る伊尹と本院侍従をめぐる歌語りを,詞書の在り方や内容等から詳細に分析し,これらの歌語りが本院侍従側で纏められた可能性が高いことを指摘した.加えて,兼通と本院侍従との恋愛歌を歌物語風に纏めた『本院侍従集』も本院侍従側で纏められたことなども勘案すると,本院侍従の周辺には歌物語・歌語りを創り出す環境があったと分かる.そして,そのような環境が兼家の妻である『蜻蛉日記』の作者道綱母にも影響した可能性についても考えた.
- (キーワード)
- 道綱母 / 蜻蛉日記 / 本院侍従 / 歌語り
『蜻蛉日記』上巻欠文部の養女問題攷, --- 養女問題執筆削除の可能性 ---,
古代中世文学論考第10集, 201-221, 2003年.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻15年間の内,958年冬∼961年の間は記事を欠く.この間にも書かれてもよいような出来事が多いのにである.その内で,兼家と兼忠女との関係が『蜻蛉日記』に記載されない理由については,作者が兼忠女に嫉妬したか否かを軸に検討されてきた.が,それより兼忠女が産んだ女子を作者の養女とすることを兼家が提案した件を重視し,この提案に第二子の懐妊を切望している作者は衝撃を受けて一旦は兼家と兼忠女との関係から養女問題までを執筆し,その女子を後年実際に養女にとる際(この経緯は下巻に記載されている)に削除したとの考えを提示した.
- (キーワード)
- 蜻蛉日記
『蜻蛉日記』下巻の夢と夢解きの部分に関する一考察, --- 日付と事実関係をめぐって ---,
王朝文学の本質と変容散文編, 115-130, 2001年.- (要約)
- 物語的に叙述されていると従来言われてきた『蜻蛉日記』下巻の夢と養女迎えの記事が連接している部分のうち,特に夢と夢解きの部分を取り上げ,考え得る可能性を幾つか提示した.具体的には,従来,石山の法師が夢を告げてきたのは「十七日」とされてきたが,『蜻蛉日記』下巻の日記的部分と物語的部分における日付の不整合性などを勘案すると,石山の法師の夢は十七日以前に告げられたのが事実である可能性などを指摘した.
- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』下巻 / 養女迎え
古語辞典の記述·用例について, --- 「あざむく」·「になひいだす」·「かきかぞふ」·「あたたけし」を例として ---,
前田富祺先生退官記念論集日本語日本文学の研究, 15-26, 2001年.- (要約)
- 副題にある4語について,主な古語辞典にどのように記述されているかを分析し,記述内容の問題点を指摘するとともに,改善すべき点を提示した.取り上げた4語を具体例として,古語辞典のあるべき姿を探った研究である.検討したのは,用例を挙げる際の出典の諸本の問題や,初出例の問題,文学的な修辞用法の用例だけしか見つからない語の問題,マイナーな作品に見られる用例の問題,並びに,奈良時代における読みの問題などである.
- (キーワード)
- 古語辞典
瓜を詠み込む歌, --- 付·『師輔集』の「大和瓜」の歌 ---,
古代中世文学研究論集第三集, 239-266, 2001年.- (要約)
- 平安時代から鎌倉時代初期頃までに見られる瓜を詠み込んだ和歌について考察した.山城の狛が瓜の産地として当時有名であったが,狛以外の瓜を詠んだ歌,日常詠における瓜の歌,非日常詠における瓜の歌に分けてそれぞれを分析し,特徴を指摘した.また,瓜の縁語「たつ」は熟するという意味との関連から説明されることが多いが,必ずしもそうとは言えないことを指摘した.加えて,『師輔集』に載る大和瓜を詠み込んだ師輔歌の特徴を分析し,師輔の歌の力量が従来考えられているよりもかなり高いものであることなども指摘した.
- (キーワード)
- 瓜 / 歌語 / 『師輔集』
「臥待月」意義考, --- 「臥待月」は十九日の月か ---,
古代中世文学研究論集第二集, 38-50, 1999年.- (要約)
- 「臥待月」は十九日の月の異名であるというのが通説であるが,それは院政期以降にしか当てはまらないことであり,それまでは月の下旬頃の月を一般的に指す「有明の月」と同義であったと思量するのが妥当であることを,用例を示しながら論証した.併せて,『源氏物語』に一例みられる「臥待月」を十九日の月とする従来の見解には,根拠がないことを指摘した.
- (キーワード)
- 臥待月 / 『源氏物語』 / 歌語
『平中物語』の原型への一階梯, --- 『平仲物語』と『大和物語』附載説話の比較覚書 ---,
日本文学史論―島津忠夫先生古稀記念論集―, 39-52, 1997年.- (要約)
- 静嘉堂文庫蔵『平仲物語』第23·27段と『大和物語』鈴鹿本·御巫本の附載説話の同話部分の本文を詳細に比較考証し,写しが杜撰だと言われる『平仲物語』の本文の誤写と思われる部分を可能な限り正し,『平中物語』の原型の復原を試みた.また,『平中物語』原型復元の新たな方法を提示したものでもある.
- (キーワード)
- 『平仲物語』 / 『大和物語』附載説話
『源氏物語』の引歌一首, --- 「神無月いつも時雨は⋯⋯」 ---,
詞林, No.16, 45-57, 1994年.- (要約)
- 『源氏釈』等が『源氏物語』葵巻にある光源氏が行った引歌表現の引歌として指摘する出典未詳歌「神無月いつも時雨はふりしかどかく袖くたすをりはなかりき」については,その存在を疑問視する説もあった.が,当該歌を引歌とする引歌表現は,他にも,『本院侍従集』,『源氏物語』幻巻等にもあり,当該歌が存在したことは疑えないものであることを指摘した.併せて,上に示した当該歌を引歌とする引歌表現の在り方などから当該歌の詠歌事情を推察し,その上でこれら引歌表現の表現効果について考察した.結果,例えば,光源氏の引歌表現の表現効果は大変高いと言えるが,『本院侍従集』で兼通をモデルとする男が行った引歌表現は,有機的な展開となって後ろに繋がっていっていないことなどが分かった.
『本院侍従集』考, --- 配列に施された虚構を中心として ---,
詞林, No.14, 1-14, 1993年.- (要約)
- 『本院侍従集』は藤原兼通と本院侍従との恋愛の発端から破局までを,二人の贈答歌を中心に歌物語風に纏めた作品である(ちなみに,二人の実名は出されない).そこに描かれている事柄を記録類などと突き合わせてみると,実際に起こった順序とは入れ替えて配列されていることがわかる.これは,本院侍従を兄伊尹に奪われた兼通の姿をより惨めに描こうとした編者の意図によるものと思量される.従って,兼通が自己の文学的才能を示そうとして何者かに編ませたとも言われる本集の編者は,兼通側以外の人物に求められる(あるいは,兼通と敵対する弟兼家の命によって編まれたか)と指摘した.
歌語りから「とよかげ」の部へ, --- 『一条摂政御集』の好古女関連歌を中心として ---,
語文, No.58, 1-11, 1992年.- (要約)
- 藤原伊尹の私家集『一条摂政御集』の冒頭歌物語部分(男主人公に仮託された架空人物大蔵史生倉橋豊蔭の名にちなんで「とよかげ」の部と仮称)には,小野好古女を女主人公のモデルとした話があるなど,伊尹と好古家は文学的にも強い繋がりがあるのがうかがえる.そこで同集の他撰部分に載る好古女関連の歌に着目した.すると,それらは詞書で助動詞「き」を用いているなど,他撰部分の他の歌にはない特徴を備えているのが分かった.そして,このようなことなどを勘案すると,好古家が伊尹の私家集である他撰部分の成立にある程度関与していたと想定できた.伊尹と小野家は,従来考えられていた以上の強い繋がりあったと思わなくてはならないのである.この点に立って,「とよかげ」の部の好古女を女主人公のモデルとした話について考察した.結果,『宇治拾遺物語』に載る同話の異伝の内容なども考慮に入れると,この話が歌語りから「とよかげ」の部に取り込まれた歌物語へと変貌を遂げる過程にも,小野家が関与していたと想定できるのであった.
解題, --- 坂上是則と『是則集』 ---,
詞林, No.10, 90-115, 1991年.- (要約)
- 『詞林』第10号で『是則集』の注釈を特集したのに伴い,坂上是則の生涯,特に官歴·文学活動について纏めるとともに,『是則集』の諸本について解題した.新見としては,是則の文学活動のうち,「紀師匠曲水和歌宴」に関することがある.同宴への出席が是則の歌人として特筆すべき経歴の一つに数えられていたのだが,同宴で詠まれたとされる歌の諸歌集類への入集状況などを勘案すると,同宴は実際に行われたものではなく,後代の仮託である可能性が高いと主張した.また,『是則集』に関する新見としては,『定家本』の位置づけがある.5系統に分類される『是則集』諸本のうち,第1系統本が原型である部類名歌集本に最も近いとされ,第5系統定家本が原型に最も遠いとされてきた.しかし,5系統本文を対照比較し,現存の部類名歌集切や勅撰和歌集に取られた形などとも比較検討してみると,定家本の方が原型を忠実に伝えている割合が高い可能性もあることが分かった.
『一条摂政御集』の他撰部についての一考察, --- 詞書を中心として ---,
詞林, No.8, 1-13, 1990年.- (要約)
- 藤原伊尹の私家集『一条摂政御集』の他撰部分(42∼194番)のうち,『拾遺集』から補われた末尾2首(193・194番)を除く部分,特に120番以下を取り上げた.従来,42∼119番と120∼192番の部分は,性質·成立事情等を異にするものと指摘されていた.しかし,120番以下の部分を詳細に考察してみると,本院侍従の日記的歌集が入り込んでいる152∼164番を挟む120∼151番の部分と165∼192番の部分もそれぞれ異なる特徴を備えていることが分かった.例えば,120∼151番の部分では,伊尹以外の人物の名も明らかにしようとする傾向があるのに対し,165∼195番の部分では,その反対の傾向があるなどの違いが指摘できるのである.そして,このような違いを考慮し,それぞれの部分がどのような資料源から『一条摂政御集』の他撰部分に加えられていったのかも考察した.
『一条摂政御集』論, --- 「とよかげ」の部の特質 ---,
詞林, No.2, 14-31, 1987年.- (要約)
- 藤原伊尹の私家集『一条摂政御集』の冒頭41首は伊尹自作の歌物語(主人公に仮託された架空の人物大蔵史生倉橋豊蔭の名にちなみ,「とよかげ」の部と仮称)で,豊蔭の恋愛相手の女性をそれぞれ異にする8段で構成されている.それで,Ⅰ∼Ⅴ段目までの前半とⅥ段目以降の後半を比較すると,前半は,後書がある,詞書・後書等に様々な工夫が凝らされている,『伊勢物語』を意識した言辞が見られる,各段ごとにテーマが読みとれる,という特徴を持つのに対し,後半は,後書が原則としてなく前半に指摘される特徴が見いだせない,という重大な違いがあることが分かった.この違いから,後半は未定稿と考えることが妥当であると指摘した.
- MISC
- 堤 和博 :
日記文学の始発―『蜻蛉日記』上巻前半部を中心に―,
中古文学, No.111, 1-12, 2023年.- (キーワード)
- 日本文学史 / 日記文学 / 『蜻蛉日記』
『本院侍従集』続考─兼通の描かれ方─,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.29, 1-31, 2021年.- (キーワード)
- 『本院侍従集』 / 藤原兼通 / 歌物語的私家集
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 116645
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- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1573950402380558976
(徳島大学機関リポジトリ: 116645, CiNii: 1573950402380558976) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻後半部の道綱母と時姫の短連歌―平安時代短連歌史と関わらせての考察―,
詞林, No.64, 2018年.- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』 / 短連歌 / 時姫
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- ● Publication site (DOI): 10.18910/70608
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- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.18910/70608
(DOI: 10.18910/70608) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻前半部の長歌贈答をめぐる考察,
言語文化研究徳島大学総合科学部, Vol.25, 1-29, 2017年.- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 長歌 / 贈答歌
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 110985
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- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050302172853884672
(徳島大学機関リポジトリ: 110985, CiNii: 1050302172853884672) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻の桃の節供の日とその翌日の場面,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.24, 1-21, 2016年.- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 折 / 贈答歌
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 109996
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- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050302172854239744
(徳島大学機関リポジトリ: 109996, CiNii: 1050302172854239744) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻の桃の節供の折を逸した贈答歌,
詞林, No.60, 1-18, 2016年.- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 折 / 贈答歌
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- ● Publication site (DOI): 10.18910/58622
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- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1390853649737652608
- ● Search Scopus @ Elsevier (DOI): 10.18910/58622
(DOI: 10.18910/58622, CiNii: 1390853649737652608) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻の離婚状態を脱した時の贈答歌―浜千鳥の贈答歌をめぐる考察―,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.23, 1-34, 2015年.- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』 / 離婚 / 贈答歌
- (徳島大学機関リポジトリ)
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- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050583647831122816
(徳島大学機関リポジトリ: 109540, CiNii: 1050583647831122816) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻の兼家の求婚と『うつほ物語』あて宮求婚譚-付・『蜻蛉日記』下巻の遠度の求婚-,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.22, 1-23, 2014年.- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』 / 『うつほ物語』
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 106392
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- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050865122807867136
(徳島大学機関リポジトリ: 106392, CiNii: 1050865122807867136) 堤 和博 :
平安後期の「ことなしぶ」とその派生語の検討―付・異文「ことならふ」とその派生語―,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.20, 1-32, 2012年.- (キーワード)
- ことならふ / ことなしぶ
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 105003
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- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1520572357906823808
(徳島大学機関リポジトリ: 105003, CiNii: 1520572357906823808) 堤 和博 :
阿波国文庫旧蔵・徳島県立図書館蔵『拾遺集私抄』翻刻補遺,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.19, 71-92, 2011年.- (要約)
- 『拾遺集私抄』の孤本徳島県立図書館本の翻刻は佐藤高明によって既に公にされているが,佐藤翻刻には正確でない所も多く,主として佐藤翻刻の間違いを正すべく翻刻の補遺を作成した.また,今後の『拾遺集私抄』の研究に資するため,翻刻の過程で気付いた点を覚え書きとして記した.
- (キーワード)
- 拾遺集私抄 / 拾遺集注釈 / 翻刻
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 84279
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- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050302172854673536
(徳島大学機関リポジトリ: 84279, CiNii: 1050302172854673536) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻46∼48番の贈答歌を中心とした記事, --- 道綱母にとっての和歌,兼家との贈答歌 ---,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.17, 1-17, 2009年.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻の46∼48番の作者と兼家との贈答歌が交わされた場面を取り上げた.従来この場面は,兼家の愛人町の小路の女の存在もあり,二人の仲に亀裂が走る中で交わされたとみなされている.しかし,これまで作者と兼家との仲が「危機」「悪化」をむかえているのを作者が感じて「歎き」などを託した内容の鋭い歌の例と比較すると,作者の46番歌の内容は緩いものとなっており,それを取り返そうとして48番を詠んだとも思える.そもそもこの頃には,兼家は町の小路の女を捨ててしまったわけではないが,興味はほとんど失っており,作者にすれば,それまで感じていた妻としての地位の危機感が薄らいだのは確かで,ために46番の内容は緩いものになってしまったと考えられる.そして46∼48番は緊張感のない贈答歌となってしまったのだが,その思いが執筆時にもあり,この贈答歌を評する「よろしういひなして」という言葉も書き加えられたのであろう.要するに,通説のようにこの贈答歌が夫婦の危機的状況の中で交わされたとみて解するのは当を得ておらず,上記のように把握するべきだと考えた.
- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 道綱母 / 藤原兼家 / 贈答歌
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 75677
(徳島大学機関リポジトリ: 75677) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻の「返し,いと古めきたり」考, --- 道綱母と兼家の贈答歌の問題を中心に ---,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.16, 1-22, 2008年.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻で,兼家からの贈歌「嘆きつつ返す衣の露けきにいとど空さへ時雨添ふらむ」(19番)に作者が返した歌「思ひあらば干なましものをいかでかは返す衣の誰も濡るらむ」(20番歌)に対し,作者は「返し,いと古めきたり」と書き加えた理由をを考えた.作者は兼家の贈歌で始まる贈答歌で愛情を確認したいのだが,結婚後兼家の贈歌はほぼなくなる.そこに珍しく兼家が29番歌を贈ってきた.愛情確認のためには,返歌の常として,鋭く切り返すことが必要だったのに,20番は,内容の面では兼家の訴えを認めてしまい,また技巧面でも「思ひ」の「日」と「火」の掛詞を詠み込むなど,陳腐な歌になってしまった.久々に兼家から贈歌がきたにも拘わらず,それに鋭い返歌を返して愛情を確認することに失敗したのである.その忸怩たる思いが執筆時に甦って,「返し,いとふるめきたり」の一言を書き加えさせたと考えた.
- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 道綱母 / 贈答歌
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 529
(徳島大学機関リポジトリ: 529) 堤 和博 :
『一条摂政御集』から説話へ, --- 歌語り・歌物語から説話へ序説 ---,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.15, 1-13, 2007年.- (要約)
- 藤原伊尹の私家集『一条摂政御集』の歌物語的部分(主人公に仮託された架空人物の名にちなみ「とよかげ」の部と呼ぶ)のうち,小野好古女を女主人公のモデルとする一段と,説話集『宇治拾遺物語』に載る同話の異伝を比較検討した.結果,『宇治拾遺物語』に載るのは,「とよかげ」の部に発する伝承であると想定され,かつ,もとの歌物語では歌を中核に置いて男女の愛情の有様を伝えるのが興味の中心にあったのに対し,説話では人間の言動の「おかしさ」へと興味の中心が移っていくことがみてとれた.また,以上の考察に,『一条摂政御集』の他撰部分に載る伊尹の北の方恵子が爛柯の故事を踏まえた歌を伊尹に投げ掛ける話と,同歌を載せる『後撰集』の詞書の内容との比較検討をも加味すると,上記の歌物語から説話への興味の中心の変遷は,歌物語隆盛の頃からすでにその兆しがあったことがうかがえるとも指摘した.
- (キーワード)
- 歌物語 / 説話
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 515
(徳島大学機関リポジトリ: 515) 堤 和博 :
兼家の嘘の言い訳を求める道綱母の歌語り享受, --- 道綱母対町の小路の女と恵子女王対好古女 ---,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.14, 1-23, 2006年.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻で,夫兼家の新しい妻として町の小路の女が出現し,兼家に捨てられるのではないかとも危惧していた作者道綱母は,兼家が町の小路の女の所へ出掛けて行く際,「内裏に(行かなければならない)」などと嘘の言い訳でもして行けばよいものを,との感懐を漏らす.このような嘘の言い訳を求める心境に道綱母が陥った背景には,兼家の兄伊尹の私家集『一条摂政御集』に載る伊尹とその北の方恵子女王を巡る歌語りを享受した影響があると考えた.その歌語りでは,好古女の所に入り浸りになりながら「内裏に内裏に(いる)」と嘘を吐く伊尹に対し,恵子は爛柯の故事を踏まえた皮肉な歌を伊尹に贈る.これに対し道綱母には,自分は嘘さえも吐かれず,嘘を基にして歌を詠むこともできないというやるせない思いが去来していたものと想定した.
- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』 / 『一条摂政御集』 / 歌語り
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 503
(徳島大学機関リポジトリ: 503) 堤 和博 :
総角巻の引歌表現「かく袖ひつる」考, --- 匂宮論と関わり合わせて ---,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.13, 1-21, 2005年.- (要約)
- 前記「「かく袖ひつる」考― 総角巻の匂宮の引歌表現―」に修正を施したもの.同論文では,問題の引歌表現を匂宮によるものとして考察したが,記述の在り方からすれば,これは語り手乃至は大君によってなされた可能性もあり,確定は難しいと考えた.しかし,いずれにせよ,この引歌表現は,心底には中君に対する真摯な愛情を抱いておりながら,世間からは軽薄な人間,即ち「あだ人」だと誤解されていく匂宮の人物造型と深く関わる表現構造になっていると結論できると指摘した.
- (キーワード)
- 源氏物語 / 総角巻 / 匂宮論 / 引歌表現
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 491
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050583647831674752
(徳島大学機関リポジトリ: 491, CiNii: 1050583647831674752) 堤 和博 :
『一条摂政御集』1番歌について·続考,
言語文化研究徳島大学総合科学部, Vol.12, 1-20, 2005年.- (要約)
- 「『一条摂政御集』部分的小考四題」でも取り上げた『一条摂政御集』1番歌と同集冒頭歌物語的部分(仮託された男主人公の名にちなみ「とよかげ」の部と仮称)との関連を考えた.1番歌は「とよかげ」の部の冒頭歌でもあるが,何ら技巧は凝らされていない素直な詠み振りの歌である.しかし,この歌の初句「あはれ」と下句「身のいたづらになりぬべきかな」について,『万葉集』時代から『古今集』時代を経て当代に至るまでの先行歌を考察すると,何ら技巧が凝らされていない同歌であるが,和歌の伝統を踏まえた名歌だと評価できることが分かった.よって,かかる歌が「とよかげ」の部の冒頭に置かれたのは,「とよかげ」の若い頃の恋を描く「とよかげ」の部にあって,「とよかげ」の情熱的な態度と歌の力量を冒頭で同時に強調するためのことさらの選択であったと思量されると主張した.
- (キーワード)
- 一条摂政御集 / 歌物語
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 481
(徳島大学機関リポジトリ: 481) 堤 和博 :
『一条摂政御集』部分的小考四題,
徳島大学総合科学部言語文化研究, Vol.11, 21-53, 2004年.- (要約)
- 『一条摂政御集』から部分的に四つの歌群を取り上げ,各々考察した.最初に取り上げたのは,同集の冒頭にある物語的部分の第1歌群,特に1番歌についてである.1番歌は特に技巧があるわけでもない素直な詠み振りの歌なのだが,歌には技巧が凝らされるのが当たり前のような当時にあって,このような歌がが物語的部分の頭書を飾る狙いや意義等につき考察した.他はいずれも他撰部分の歌群の考察である.まず,北の方恵子との贈答歌を取り上げた.他撰部の数カ所にばらけて配されている恵子関連の歌は,もとは伊尹と恵子との仲が順調ではなかった頃の歌にテーマを絞って創られた歌語り乃至は歌物語であった可能性を,歌の内容や詞書の特徴から探った.次に「とばりあげの君」との贈答歌群をとりあげ,これらの歌群は「とばりあげの君」と交わされたものとして配列されているが,実は別人との贈答歌も含めて季節の推移に添って,「とばりあげの君」一人との贈答であるように仕立てたものであると指摘した.最後に「東宮にさぶらひける人」との贈答歌を取り上げ,構成と詞書の文体に着目し,この贈答歌群に見られる歌語り・歌物語的性格を指摘した.
- (キーワード)
- 私家集 / 歌物語 / 歌語り
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 470
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050020697878257792
(徳島大学機関リポジトリ: 470, CiNii: 1050020697878257792) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』下巻の物語的手法とその限界, --- 夢と養女迎えの記事 ---,
徳島大学総合科学部言語文化研究, No.6, 1-16, 1999年.- (要約)
- 従来物語的に叙述されていると言われる『蜻蛉日記』下巻の夢と養女迎えの記事が連接している部分を取り上げた.『蜻蛉日記』に描かれる内容と,当時の常識等を勘案して推測される事実とを比較検討することにより,作者が当該部分を執筆する際に,どのような物語的叙述方法がとられたのか,また,その叙述方法の限界が如何なる面にみられるのかというような,これまで具体的に指摘されなかった事柄につき具体的な側面にまで踏み込んで考察した.その結果,作者は,夢見や夢解きの時間経過に操作を加えるなどして物語的構成を考えた叙述を行いながら,自らが記しているものは「日記」であるとの意識から完全には脱却出来ずに,施した操作を糊塗することまでは出来なかった(操作したことが見え透いた叙述になってしまている)というようなことが指摘できた.
- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』下巻 / 養女迎え
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 407
(徳島大学機関リポジトリ: 407) 堤 和博 :
『蜻蛉日記』上巻の最初の引歌表現, --- いかにして網代の氷魚にこと問はむ ---,
古代中世文学研究論集第一集, 35-59, 1996年.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻の作者の引歌表現「いかにして網代のこと問はむ」は,通説のように,引歌の下句「何によりてか我をとはぬと」を強調したいためにだけなされたと捉えるのは不十分で,『大和物語』等に載る引歌の詠歌事情(修理が右馬頭につれなくされたという事情)も踏まえてなされたのであると捉えなくてはならないと指摘した.そして,その上で当該引歌表現に対して新しい解釈を施した.加えて,当該引歌表現が日常生活でなされたことに注目すれば,会話や手紙においてなされる引歌表現は,物語の地の文における引歌表現とは違い,引歌の詠歌事情までを踏まえることが多いことを,他の例も踏まえて指摘した.
歌語「いつてふね」覚書,
鈴峯女子短期大学人文社会科学研究集報, No.42, 1-12, 1995年.- (要約)
- 『万葉集』巻二十にそれぞれ1例ずつみられる「伊豆手夫祢」(4336番)·「伊豆手乃船」(4440番)という歌語は,平安時代になると全く詠まれなくなる.が,院政期の歌論の隆盛の頃には,その意義について色々な説が出される.例えば,「伊豆出船」(『和歌童蒙抄』)とか「五手船」(『奥義抄』)とかである.そして,『順徳院百首』で「いつて舟おひ風はやくなりぬらしみほの浦わによする白浪」が詠まれ,14世紀後半には歌語としての復活をみる.その後この言葉は順徳院歌の影響を,あるいは受けながら,あるいは受けないで江戸時代まで詠み継がれていく.その様相を,管見に入った限りの用例を網羅して,具体的に後付けた
- (キーワード)
- 歌語 / いつてふね / 『万葉集』 / 順徳院
「かく袖ひつる」考, --- 総角巻の匂宮の引歌表現 ---,
鈴峯女子短期大学人文社会科学研究集報, No.41, 27-38, 1994年.- (要約)
- 『源氏物語』総角巻で,匂宮が「いつも時雨は」という引歌表現をなす.『源氏物語』の古注釈を見ると,この引歌表現の引歌として,『花鳥余情』以下は「神無月いつも時雨はふりしかどかく袖くたすをりはなかりき」を指摘するが,『源氏釈』『奥入』等は「いにしへも今も昔もゆくすゑもかく袖くたすたぐひあらじな」を指摘する.どちらが正しいか明確な結論は出せないので,それぞれの場合につき,当該引歌表現がどのような表現効果を齎すのか考察し,引歌が前者なら場違いな引歌表現,後者なら陳腐な引歌表現と見なされると指摘した.また,この結果をもとに,引歌表現を行った匂宮が,周囲の人間に真意を理解されずに「あだ人」と捉えられていってしまうという,匂宮の人物造型の在り方の考察に及んだ.
『多武峯少将物語』の主題・冒頭・構成など─師輔・師氏の生活圏の作品群との比較─,
武蔵野文学, No.69, 8-13, 2021年.- (キーワード)
- 多武峯少将物語 / 九条流 / 日記文学
物語的私家集覚え書き,
鈴峯国語研究, No.10, 33-41, 1993年.- (要約)
- 『一条摂政御集』や『本院侍従集』など物語的私家集といわれる作品を対象にこれまで行ってきた研究内容の解説と今後の展望を記した.
- 総説・解説
- 堤 和博 :
百人一首の成立,
鈴峯国語研究, No.14, 6-24, 1998年3月.- (要約)
- 『鈴峯女子短期大学広報』NO.23∼25に連載した「【教育・研究の解説シリーズ】⑮∼⑯ 百人一首の成立(1)∼(3)」の再録.藤原定家撰『小倉百人一首』の成立過程と,成立過程の研究史について解説した.
- 講演・発表
- 堤 和博 :
『蜻蛉日記』:桃の節供の折を逸した翌日の贈答歌,
中日文学与文化交往対話国際学術検討会, 2016年9月.- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 贈答歌
『蜻蛉日記』作者道綱母の和歌-六朝的き傍表現と誹諧歌-,
華中科技大学シンポジウム, 2015年3月.- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 道綱母 / 誹諧歌
日記文学の始発―『蜻蛉日記』を中心に―,
2022年10月.- (キーワード)
- 日記文学 / 蜻蛉日記 / 文学史
町の小路の女の出現直後の検討―動詞「ことなしぶ」の考察を端緒にして―,
2012年度中古文学会春季大会, 2012年5月.- (キーワード)
- 蜻蛉日記 / 町の小路の女 / ことなしぶ
『蜻蛉日記』上巻前半の和歌, --- 桃の節供の翌朝の場合 ---,
和歌文学会5月例会 (於・鶴見大学), 2011年5月.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻前半九五六年桃の節供の翌朝に交わされた三首の和歌,即ち,道綱母歌(29番)・兼家歌(30番)・為雅歌(31番)を取り上げ,現実問題としてどのような意味が込められていたのかを考察した.その際,褻の歌を解するには,現代からは窺い知ることが困難である面も含めて歌が詠まれた状況やその場の雰囲気,当事者の心境なども推察しながら解釈する必要がある点に留意した.また,当該三首の場合,他の和歌には類例の少ない「すき」(「すく」)の掛詞の意味認定(掛詞であるかどうかも含めて)を巡って諸説が紛々としているので,そこを焦点として考察した.検討の結果,道綱母歌の「すき」は,「過ぎ」と,桃の花酒を飲む「飲(す)き」を掛ける珍しい掛詞と判断された.同歌にはもう一つ「花の枝(え)」と「花の宴(え)」という珍しい掛詞も詠み込まれており,さらに,この歌を道綱母は「手習ひ」にして兼家から隠そうとした点なども総合すると,前年に発覚した町の小路の女の件などはこの時点では念頭になく,本文には触れられない前日の兼家の曲水の宴出席による不参を仕方ないものと認めつつ,明るい気持ちで,敢えて皮肉な内容に仕立てたのが道綱母歌であった.これを受けた兼家歌は,道綱母歌の掛詞をわざと踏襲せず,道綱母歌では桃の花(酒)が取り立てられていたのを,西王母伝説を踏まえた桃の実を一首の焦点に転換するところを眼目として,大袈裟に前日の自分の不参に対する言い訳としている.さらに,為雅は,二人が明るい気持ちで贈答する雰囲気を窺知し,道綱母歌の「すき」の掛詞の意のうち,「過ぐ」の代わりに「好く」の意を持ち込んでより誹諧的に仕立て,場を盛り立てるのにも一役かったと目される.以上のことより,『蜻蛉日記』に載る和歌を解する場合は,作者がわざと省筆・朧筆・あるいは曲筆したところをも見通して解釈しなければならないことも改めて確認された.
- (キーワード)
- 『蜻蛉日記』 / 道綱母 / 贈答歌
学生企画 学びのコミュニティー``Hatoba''の取り組み,
平成21年度全学FD 徳島大学教育カンファレンス in 徳島, 24-25, 2010年3月.- (要約)
- 平成20年度より本学全学共通教育センターで取り組んでいる「地域社会人ボランティアを活用した教養教育」の一環として,2009年10月より学生企画である学びのコミュニティー``Hatoba''を設立した.Hatobaの理念は「あなたのオリジナルカラーは何色ですか」である.学生の視点で様々な課外学習活動を企画し,それらを学生や教員・社会人に提供することで参加者自身のオリジナルカラーを発見,また再確認する手助けを目標としている.本発表では,既に実施している「恋のうた学習会」と「洋画字幕翻訳コンテスト」について報告する.
- (キーワード)
- 課外学習活動 / 地域社会人活用 / 学生企画
和歌から物語へ,和歌から日記へ, --- 『豊蔭』『本院侍従集』『蜻蛉日記』続考 ---,
和歌文学会関西例会第99回例会(於・大阪大学), 2009年4月.- (要約)
- これまでに,『豊蔭』(『一条摂政御集』冒頭物語的部分)・『本院侍従集』・『蜻蛉日記』上巻前半部を対象とした論考を踏まえ,それぞれの作者編者が,どのような意図をもって和歌を取り込みながら歌物語や日記へと作品を形成していったのかに関して,新たに考えた点や考え直した点を述べた.『豊蔭』については,八段に分かれる各段ごとのテーマを中心にかつて考察し,Ⅰ∼Ⅴ段からはテーマが読み取れるが,Ⅵ∼Ⅷ段からはテーマは読み取れず,Ⅵ∼Ⅷ段は未定稿ではないかと考えた.今回は,八段のうちから主要な段を取り上げ,Ⅵ∼Ⅷ段は未定稿であるという仮説も絡めて考察した結果,男女の主人公を「上衆」「下衆」という視点から捉えての描写と,劇的な展開の描写を全体的なテーマとするのが,作者伊尹の意図であったと読み取ることができた. 『蜻蛉日記』上巻前半部については,『豊蔭』の影響を受けて一般的な私家集のあり方とは違った作品を目指した作者が,和歌を力に生きる自己の生き様,もう少し具体的に言えば,和歌によって兼家との関係の維持強化をはかろうとした自己の生き様を同時代の女性の生き方と比べて特徴的なものであると捉え,その姿を和歌の羅列を中心として描こうとしたのではないかと指摘した.『本院侍従集』は,『豊蔭』・『蜻蛉日記』と同様に藤原摂関家の文学圏の中にある作品であるはずなのだが,序文や1番歌の詠みぶりをみる限り,他の二作品とは違い,歌中心の作品よりも説話への傾斜がうかがえる作品であると言えると指摘した.
- (キーワード)
- 『一条摂政御集』 / 豊蔭 / 藤原伊尹 / 『蜻蛉日記』 / 道綱母
総角巻の引歌表現「かく袖ひつる」考, --- 匂宮論と関わり合わせて ---,
平成17年度第37回解釈学会全国大会, 2005年8月.- (要約)
- 匂宮が「あだ人」と捉えられるのは,世間での世評が世評を生んだ結果であり,彼は中君に対しても実は真摯な愛情を心底に秘めているのだが,八宮·大君·中君も世評から匂宮の人柄を判断している,とみるのが,近年の匂宮論の趨勢である.そんな匂宮は総角巻で中君との結婚を果たすが,身分柄自由に宇治には行けず,そのことを気に病んで中君に手紙を送る.ちなみに,病気の中君に代わり大君が手紙を披見する.「例の,こまやかに書きたまひて, ながむるは同じ雲居をいかなればおぼつかなさを添ふる時雨ぞ かく袖ひつる,などいふこともやありけむ,耳馴れにたるを,なほあら じことと見るにつけても,うらめしさまさりたまふ.」本発表で主に問題にしたのは「かく袖ひつる」という引歌表現である.これは手紙の末尾にあり,歌に添えられたよくあるものと一見思える.しかし,直後の草子地に推測表現がある(「などいふこともやありけむ」)ことなどを考慮すると,この引歌表現は,匂宮の手紙の中にあったのではなく,語り手乃至大君によって匂宮の手紙の内容を纏めるためになされたものと考えられる.引歌表現のあり方としてはかなり特異なのである.さらに,この引歌表現の引歌を『花鳥余情』等が指摘する出典未詳歌「神無月いつも時雨はふりしかどかく袖ひつるおりはなかりき」だと想定すると,同歌は,妻を喪った光源氏によって二度も引かれていることなどからして,恋人を喪った時に創られた歌だと思われる.すると,死者を悼む場面ではない当該場面において,同歌が引かれるのは,謂わば不適切なのである.要は,匂宮の手紙の内容が,匂宮の意図とは無関係に,語り手乃至大君によって不適切な引歌表現でもって纏められているのだ.そして,手紙全体が等閑な手紙と受け取られ,世評による匂宮の不誠実性と合致してくる.当該引歌表現の特異なあり方とそんな匂宮像の造型との緊密な連鎖に注目した.後,「総角巻の引歌表現「かく袖ひつる」考―匂宮論と関わり合わせて―」(『言語文化研究徳島大学総合科学部』第13巻)に纏めた.
- (キーワード)
- 源氏物語 / 引歌表現 / 匂宮論
『蜻蛉日記』上巻欠文部の養女問題·続攷,
中古文学会2004年度秋季大会, 2004年10月.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻の欠文部(九五八年冬∼九六一年)が抱える問題の焦点は,下巻で回想される兼家と源兼忠女との関係が記述されていないことだと考えるのだが,その頃の道綱母の感情について論じる際,兼家·兼忠女の恋愛だけが注視されてきた感がする.対して,兼忠女が産んだ女子を道綱母の養女にするとの提案が兼家によってなされたという,回想の中で一言触れられるに過ぎない件の方が道綱母には衝撃であったと考えた.その衝撃が原動力となって兼家と兼忠女の関係から養女提案の件までが一旦執筆されたが,下巻でこの女子を実際に養女に迎えた時点で削除されたとの臆説を出した(「『蜻蛉日記』上巻欠文部の養女問題攷―養女問題執筆削除の可能性―」〈『古代中世文学論考第10集』2003〉).本発表では,前稿で取り残した問題について論じた.その第一は,欠文部において兼家と兼忠女との関係が焦点となること,そのうちでも養女問題が重要であることの再検討である.欠文部で起きた種々の出来事と,兼忠女関連の件を比較すれば,記述されていないことを最も問題視しなければならないのは,兼忠女関連の件,特に養女問題であると考える.第二は,第一の問題を発展させ,上巻の主題について考えた.養女問題を最重要視した時,あるいは,養女問題執筆削除説にたった時,上巻(特に欠文部以前)の主題をどうとらえればよいのか,説明を試みた.後,『古代中世文学論考第16集』(新典社)所収,「『蜻蛉日記』上巻欠文部の養女問題・続攷―養女問題執筆削除説における上巻前半部の主題を中心に―」に纏めた.
『蜻蛉日記』上巻欠文部の養女問題攷, --- 養女問題執筆削除の可能性 ---,
広島大学国語国文学会2003年度春季研究集会, 2003年6月.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻15年間の内,958年冬∼961年の記事を欠く.この間にも書かれてもよい出来事が多いのにである.その内,兼家と兼忠女との関係がない理由について,作者が兼忠女に嫉妬したか否かを軸に検討される.が,それより兼忠女が産んだ女子を作者の養女とすることを兼家が提案した件を重視し,一端は兼家と兼忠女との関係から養女問題まで執筆され,その女子を実際に養女にとる際に削除されたとの考えを提示した.後,「『蜻蛉日記』上巻欠文部の養女問題攷―養女問題執筆削除の可能性―」(『古代中世文学論集第十集』和泉書院)に纏めた.
- (キーワード)
- 蜻蛉日記
『蜻蛉日記』下巻の物語的手法とその限界, --- 夢と養女迎えの記事の配列を中心に ---,
中古文学会1998年度春季大会, 1998年5月.- (要約)
- 「『蜻蛉日記』下巻の物語的手法とその限界―夢と養女迎えの記事―」と同内容.
『蜻蛉日記』下巻の養女迎えの記事が内包する問題,
平成9年度大阪大学国語国文学会総会, 1998年1月.- (要約)
- 「『蜻蛉日記』下巻の物語的手法とその限界―夢と養女迎えの記事―」(『言語文化研究徳島大学総合科学部』第6巻)と同内容.
『蜻蛉日記』上巻の引歌表現, --- 「いかにして網代の氷魚にこととはむ」 ---,
関西平安文学会第15回例会, 1996年4月.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻の作者の引歌表現「いかにして網代の⋯⋯」は,引歌の下句「何によりてか我をとはぬと」を強調したいためにだけになされたのではなく,『大和物語』等に載る引歌の詠歌事情も踏まえてなされたのであり,当該引歌表現が日常生活でなされたことに注目すれば,会話や手紙においてなされる引歌表現は,物語の地の文における引歌表現とは違い,引歌の詠歌事情までを踏まえることが多いことを,他の例も踏まえて指摘した.学会発表「『蜻蛉日記』にみえる最初の引歌表現―いかにして網代の氷魚にこと問はむ―」(平成7年度広島大学国語国文学会春季研究集会,於・広島大学)の内容に修正を施したもので,後に『古代中世文学研究論集第一集』(和泉書院)所収「『蜻蛉日記』上巻の最初の引歌表現―いかにして網代の氷魚にこと問はむ―」に纏めた.
『蜻蛉日記』にみえる最初の引歌表現, --- 「いかにして網代の氷魚にこと問はむ」 ---,
平成7年度広島大学国語国文学会春季研究集会, 1995年6月.- (要約)
- 『蜻蛉日記』上巻にある作者の引歌表現「いかにして網代の氷魚のこととはむ」は,引歌の下句「何によりてか我をとはぬと」を引き出したいためにだけなされたのではなく,『大和物語』や『拾遺集』に載る,引歌の詠歌事情までも踏まえてなされたと思量されることを指摘した.
『本院侍従集』考, --- 配列に施された虚構を中心として ---,
和歌文学会第38回大会, 1992年10月.- (要約)
- 「『本院侍従集』考-配列に施された虚構を中心として-」(『詞林』第14号)と同内容.
歌語りから「とよかげ」の部へ, --- 『一条摂政御集』の好古女関連歌を中心として ---,
和歌文学会第45回関西例会, 1991年4月.- (要約)
- 「歌語りから「とよかげ」の部へ-『一条摂政御集』の好古女関連歌を中心として-」(『語文』第58輯)と同内容.
- 研究会・報告書
- 堤 和博 :
研究余滴道綱母と時姫の短連歌及び短連歌史余説,
解釈, Vol.66, No.9.10, 52-53, 2020年10月. 堤 和博, 伊井 春樹, 佐藤 明浩 :
是則集注釈,
詞林, No.10, 5-89, 1991年11月.- (要約)
- 平安時代の歌人坂上是則の私家集『是則集』の全注釈.全体を監修した.伊井春樹・佐藤明浩・堤和博,他(全体を監修したため,担当部分の抽出は不可能)
- (キーワード)
- 是則集 / 注釈
古筆切研究文献目録,
講座平安文学論究第五輯, 323-351, 1988年10月.- (要約)
- 古筆切(ここでいう古筆切とは,鑑賞等のために人為的に切断された切をはじめとして,種種の理由のために生じた断簡の類をも含み,色紙・短冊・懐紙等は原則としてこれを除外する.ただし,色紙・短冊・懐紙等であっても,国文学史上重要と思われるものについては,これを含める場合がある)に関する,戦後1946年から1986年までに刊行・発表された学術論文の文献目録.近本謙介,堤和博(全体を二人による共同作業によって作成した文献目録であるため,担当部分の抽出は不可能)
- (キーワード)
- 古筆切 / 研究文献目録
全学共通教育センター FDの歴史,
徳島大学FDの歴史, Vol.2, 91-111, 徳島, 2014年12月. 堤 和博, 岸江 信介, 仙波 光明, 村田 真実, 清水 勇吉 :
日本語力の向上を目指して,
大学教育研究ジャーナル, Vol.9, 39-53, 徳島, 2012年3月.- (キーワード)
- 日本語力 / 診断テスト / 分析 / 日本語力の比較
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 96841
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050865122808057216
(徳島大学機関リポジトリ: 96841, CiNii: 1050865122808057216) 堤 和博, 岸江 信介, 仙波 光明, 村田 真実, 岡部 修典, 清水 勇吉 :
2010年度日本語力テスト実施報告,
大学教育研究ジャーナル, Vol.8, 138-152, 徳島, 2011年3月.- (キーワード)
- 日本語力 / 診断テスト / 分析
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 82996
- (文献検索サイトへのリンク)
- ● CiNii @ 国立情報学研究所 (CRID): 1050020697878009472
(徳島大学機関リポジトリ: 82996, CiNii: 1050020697878009472) 堤 和博 :
全学共通教育FD講演会・討論会∼プロの講談師・落語家との討論∼, --- 2009年度全学共通教育センター部局FD事業実施報告 ---,
大学教育研究ジャーナル, No.7, 200-205, 徳島, 2010年3月.- (キーワード)
- 話芸 / 講義 / 連続もの
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 82853
(徳島大学機関リポジトリ: 82853) 堤 和博, 仙波 光明, 岸江 信介, 岡部 修典, 清水 勇吉, 坂東 正康, 村田 真実 :
2009年度日本語力テスト実施報告,
大学教育研究ジャーナル, No.7, 159-172, 徳島, 2010年3月.- (キーワード)
- 日本語力 / 診断テスト / 分析
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 82850
(徳島大学機関リポジトリ: 82850) 堤 和博, 仙波 光明, 岸江 信介, 清水 勇吉 :
日本語運用能力の向上をめざして, --- 日本語力テストの実施 ---,
大学教育研究ジャーナル, No.6, 75-84, 徳島, 2009年3月.- (キーワード)
- 日本語力 / 診断テスト / 分析 (analysis)
- (徳島大学機関リポジトリ)
- ● Metadata: 82693
(徳島大学機関リポジトリ: 82693)
- 特許
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- 作品
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- 補助金・競争的資金
- 研究者番号(90259614)による検索
- その他
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2024年12月23日更新
- 専門分野・研究分野
- 日本文学 (Japanese Literature)
- 所属学会・所属協会
- 中古文学会
和歌文学会
解釈学会
大阪大学国語国文学会
広島大学国語国文学会 - 委員歴・役員歴
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- 受賞
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- 活動
- 人間社会学科紀要編集委員会委員 (1998年4月〜2001年3月)
入学試験委員会委員 (2001年5月〜2003年4月)
学生委員会委員 (2003年4月〜2005年3月)
将来構想委員会委員 (2005年4月〜2007年3月)
自己点検・評価委員会委員 (2005年4月〜2007年3月)
2024年12月22日更新
2024年12月21日更新
Jグローバル
- Jグローバル最終確認日
- 2024/12/21 01:17
- 氏名(漢字)
- 堤 和博
- 氏名(フリガナ)
- ツツミ カズヒロ
- 氏名(英字)
- Tsutsumi Kazuhiro
- 所属機関
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リサーチマップ
- researchmap最終確認日
- 2024/12/22 01:43
- 氏名(漢字)
- 堤 和博
- 氏名(フリガナ)
- ツツミ カズヒロ
- 氏名(英字)
- Tsutsumi Kazuhiro
- プロフィール
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- 登録日時
- 2011/1/19 00:00
- 更新日時
- 2020/12/21 10:08
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- 経歴
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- Misc
- 論文
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- 講演・口頭発表等
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- 書籍等出版物
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- 所属(過去の研究課題
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研究課題
研究成果
共同研究者
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